100名城築城年代別リスト

築城年代別リスト

日本100名城と続日本100名城は、公益財団法人日本城郭協会が選定した優れた文化財・史跡であるお城の一覧です。
これらのお城は、著名な歴史の舞台であり、時代や地域を代表する存在として選ばれました。

日本100名城は2006年に選定され、平成18年に選ばれた100城を含みます。
一方、続日本100名城は2017年に選定され、平成29年に選ばれた100城を含んでいます。
これらの名城をめぐるスタンプラリーに挑戦する人々も増えているようですね!

戦国時代、日本には3~5万もの城があった。
現在残る天守はわずか12だけ。現存天守の記事を見る

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一国一城令

現存12天守 佐幕派の城が破壊されたというのは大嘘

しかし、明治時代までは多くの城が残っていたのだ。
慶長20年(1615)、江戸幕府が一国一城令を発したことで、それまで数万もあった城が一気に約170まで激減する。

幕府は一つの国に一城のみ認め、そのほかの城を廃城にすることで、諸大名の勢力を鎮圧しようとした。
また、武家諸法度を発令し、新城はおろか、許可のない増築も禁止したため、最低限の修復以外、城の工事はなくなった。

さらに太平の世になったことで天守を築くこともなくなり、築城技術は必然的に廃れていった。

廃城令発令

江戸時代が終焉を迎えると、幕藩体制を維持する役割を担っていた城も役目を終え、明治6年の廃城令発令後は、ほとんどの城が売却・撤去された。

莫大な維持費がかかることから保存は難しく、取り壊された建造物は木材として破格値で売買され、薪とされた例は少なくない。
姫路城のように、撤去費用すらなく放置されて残った天守もあれば、松本城のように、文化的価値を見出した地元有力者の尽力により守られた天守もある。

廃城をまぬかれた城

お城がつぎつぎと壊されていくなかで、お城を残そうとしていた人もいました。

陸軍の「中村重遠」大佐は陸軍卿「山県有朋」にたいして、建築学的にも芸術としても価値のあるお城をどうにか保存できないかを訴えました。
中村大佐の訴えを聞き入れた山県有朋はお城の保存を決定し、1879年には陸軍の費用で姫路城と名古屋城の修理がされています。

また松本城は民間人によって守られたお城。

当時「信飛新聞」を発刊していた「市川量造」は、松本城天守が落札された話を聞きつけて保存することができないか奔走。

「笹部六左衛門」という人が松本城天守を買ったわけですが、市川量造は取り壊しを待ってくれと頼みに行きました。
その後、市川量造は有志とともに資金を集め、とりあえず松本城を「10年間借用」することができました。

市川量造と有志らは松本城での博覧会を開催(5回)。
その博覧会での収益でやっと松本城を買い戻すことができたのである。

また明治天皇の一言で取り壊しをまぬがれたお城もあります。

明治天皇が彦根に立ち寄った際、大隈重信(早稲田大学をつくった人)が明治天皇に対して彦根城の保存を提案。
明治天皇はこの提案に同意し、彦根城の保存を命令。

このようにして彦根城は守られました。

廃城令で取り壊しをまぬがれたお城(一部)

弘前城(青森県)
本丸御殿などは取り壊されたが、旧藩主の津軽家がお城の貸与を許可され公園として一般開放される。
松本城(長野県)
丸岡城(福井県)
一時は競売にかけられ落札されたが、町民によって買い戻され丸岡町(現・福井県坂井市)に寄付される。
犬山城(愛知県)
廃城令で天守以外取り壊し。明治24年の濃尾地震で被害を受けたが修復を条件に旧藩主・成瀬家に譲渡される。
大垣城(岐阜県)
彦根城(滋賀県)
二条城(京都府)
陸軍から宮内庁へ引き渡され、二条離宮として残された。
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
福山城(広島県)
丸亀城(香川県)
櫓や塀は順次取り壊されたいたが、旧藩士の嘆願により天守と大手門は取り壊しをまぬがれる。
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)

昭和20年の第二次世界大戦の空襲で20天守までに減少

それでも、廃城令後、60以上現存していた天守は、徐々に姿を消し、20天守までに減少。

昭和20年の第二次世界大戦の空襲で、水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城の7天守が焼失し、翌年松前城が火災で焼失したため、12天守だけになってしまった。

幾多の危機を乗り越えて生き残る、幻の天守を見に行こう。

100名城選考で落選した城郭

日本城郭協会は選考委員会を設置し、各都道府県の教育委員会や研究者から推薦された候補城に対して、複数の観点から審査を行った。評価項目は以下の通り。
歴史的・学術的価値
遺構の残存状況
国史跡など文化財としての指定状況
地域における代表性
現地へのアクセスや整備状況
対象には、現存天守をもつ近世城郭だけでなく、中世の山城や古代の城柵跡なども含まれ、時代・地域・構造のバランスが意識されている。石垣や堀、縄張といった遺構の保存状態が良好な城も高く評価された。

100名城選考で落選した残念な城 訪問記
高崎城 |富山城 |郡上八幡城 |小倉城 |中津城

三大山城

三大山城訪問記
高取城 比高が日本一。麓から本丸までの高低差を表す比高は390m
岩村城 標高が日本一。本丸最高所の標高は717m
備中松山城 日本唯一の山城の現存天守。現存城郭建造物所在地の標高430mは日本一

戦国初期の八大名城

戦国初期の八大名城訪問記
春日山城 |一乗谷城 |七尾城 |小谷城 |井ノ口城(稲葉山城) |城<要害山/a> |観音寺城 |信貴山城

世界遺産の城

世界遺産の城訪問記
姫路城 |二条城 |首里城 |今帰仁城 |中城城 |

100名城築城年代別リスト 太字は合戦のあった城

弥生時代の城訪問記

お城のはじまりは、 弥生時代の「環濠集落」 にさかのぼります。
お城とは、敵から身を守るために住居の周りに堀や柵などをめぐらしたものです。
自分の土地のまわりに濠 (ほり)をめぐら 「環濠集落」 が、お城の先祖です。
環濠集落は、今から約2000年前の 弥生時代 中期から後期に数多くつくられました。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡が代表例です。 吉野ヶ里では環濠集落の様子がわかるよう大規模に再現されていますよ。
吉野ヶ里遺跡

飛鳥時代の城訪問記

中世の山城は、たくさんの曲輪を備えた複雑な縄張になっていますが、古代山城は山上にドンと大きな曲輪をひとつ設けて、その周囲をぐるりと囲んだシンプルな縄張になっています。
周囲を囲んだ城壁は、土塁が主体。こちらも、臨時的な施設だった中世山城のやや大ざっぱな土塁とは違い、板などで囲んだ枠の中に土を詰め、たたいて突き固めることを繰り返した、版築土塁(はんちくどるい)だったようです。
665年   大野城
7世紀後半?  鬼ノ城

奈良時代の城訪問記

西日本の古代山城に対して、東北には先住民・蝦夷(えみし)の支配を進めるために、城柵(じょうさく)が築かれました。
城柵は柵や塀で囲まれた政庁(役所)で、官庁としての機能を持ち、蝦夷に対する軍事的な拠点でもありました。

代表的な城柵は多賀城で、約3.5キロメートルの外郭を柵などで囲み、さらに中心部に置かれた政庁は100メートル四方の塀に取り囲まれていました。
724年     多賀城

平安時代の城訪問記

平安時代半ばになると武士が出現し、南北朝時代には本格的な武士同士の武力衝突が起こり、戦略的優位性から険しい山の上高くに山城が築かれるようになりました。
平安時代末期 足利氏館

鎌倉時代の城訪問記

中世山城が普及したきっかけは元弘3年・正慶2年(1333)、楠木正成(くすのき まさしげ)率いる軍勢が、三方を絶壁で囲まれた千早城に籠もり鎌倉幕府の大軍に対抗したことによります。
以降、各地の武士は少数の兵で大軍を退けることができる中世山城をこぞって築きました。
13世紀頃   今帰仁城
1332年    千早城
1334年    根城
14世紀後半  中城城

室町時代の城訪問記

室町時代は「乱世に始まって乱世に終わる」と言われるほど、争いばかりの時代でした。
そのため山城が作られるようになり、武士の館も堀や土塁をつくって防御を意識するようになっていきます。
1469年    金山城
15世紀後半  一乗谷城
1471年?   観音寺城
16~18世紀  根室半島チャシ跡群
1504~28年頃 七尾城
1508年    長篠城
1519年    武田氏館
1523年    小谷城
1535年    湯築城
1537年    犬山城
1547年修改築 高遠城
1551年    吉田郡山城
1558~70年  山中城
1558~70年  岐阜城
1560年    鉢形城
1560年頃   松代城

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安土桃山時代の城訪問記

荒々しい中世山城に対して、優美な天守を持つ近世山城が安土桃山時代後期から築かれていきます。
比較的緩やかな山に築かれるケースも多く、居住性を重視した城も多くなります。

本格的な天守を持つ城は、織田信長が築城した安土城が初めてと言われています。
安土城の中心部には五重の天守(現地では「天主」と表記)が建てられ、全山が総石垣で囲い込まれていました。
また、楽市・楽座の城下町を設け、城下から権威の象徴として巨大な天守が見えるように築城されました。

安土城は城の概念を変え、以降、全国に天守と石垣、そして城下町を持つ城が普及していきます。
1573~92年  春日山城
1575~1660年 岩村城
1576年    安土城 |丸岡城
1583年    金沢城 |上田城
1584年?   八王子城
1585年    高取城
1586年    徳島城
1588年    高松城 |松阪城
1589年    広島城 |人吉城
1590年    掛川城 |箕輪城
1590年代   甲府城
1591年    岡崎城
1592年    名護屋城
1592~1600年 竹田城
1593~94年  松本城
1596年    岡城 |宇和島城
1597~98年  盛岡城
1597年    岡山城|大分府内城
1598年頃   新発田城
1600年    仙台城 | 月山富田城
1601年    津和野城 | 姫路城 | 岩国城 | 高知城 ||福岡城 ||熊本城
1601年?    鹿児島城
1602年    鳥取城 |今治城

江戸時代の城訪問記

戦国末期になり、小大名は淘汰され、多くの国々を領有する戦国大名が現れると、城は軍事拠点に止まらず、政治や経済の拠点としても使われるようになります。
こうした流れの中で、平野の中にそびえる小高い丘に立地する平山城(ひらやまじろ)や平地に築かれた平城(ひらじろ)が誕生しました。

とくに、力のある大名は家臣を城下に住まわせるため城と城下町は巨大化していきました。
また、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、全国的な大名の配置換えが行われ、新たな城が数多く築かれました。

豊臣秀吉が築城した大坂城は平山城、徳川家康が築城した名古屋城と居城した江戸城は平城に分類されます。

この後、江戸時代となり、徳川幕府によって一国一城令が出されると、各藩の築城は制限され、新規築城だけではなく、改修や修復も幕府の許可が必要になり、日本の城発展の歴史は終焉を迎えました。
1603年    久保田城
1604年    彦根城 |津山城 |萩城
1607年    駿府城 |松江城
1608年    佐賀城
1609年    高岡城|篠山城
1610年    名古屋城 |大洲城
1611年    弘前城|佐賀城 |伊賀上野城
1614~15年  小諸城
1618年    島原城
1619年    明石城|和歌山城 |福山城
1620年    大阪城
1623年    山形城
1625年    水戸城
1626年    二条城
1627年    松山城
1629~32年  白河小峰城
1633年    小田原城
1637年    江戸城
1639年    若松城
1642年    丸亀城
1643年    二本松
1648年    赤穂城
1651年    川越城
1681年    備中松山城
1686年    飫肥城
1704年    平戸城
1715年    首里城
1850年    松前城
1857年    五稜郭

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