蒲生氏郷が築いた名城 松阪城

東海

城の縄張りは梯郭式平山城である。
松阪市の中心地の北部に位置する。

阪内川が城北を流れ天然の堀となっている。
江戸時代初期には松坂藩の藩庁となっていたが、廃藩後は御三家紀州藩の南伊勢国内17万9千石を統括するために城代が置かれた。

大手枡形の石垣。

大手脇の石垣。
10mほどもある見事な高石垣である。

松阪城の魅力に石垣がある。
名古屋工業大学教授・内藤昌博士によると「素晴らしい石垣。安土城同様の形式だが、それを上回る強固なもので美観という点でも優れている。

蒲生氏郷の美意識の高さを感じられる」とし、近世の先駆けとなる名城としてあげられる。

安土城の築城に加わった蒲生氏郷だが、松阪城にもこの時の石垣作りが取り入れられている。

石垣のつみ方は「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が使われている。

これらの工法は「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城で今までの日本には無かった新しい築城方法を発案した。
蒲生氏郷は自分の出身地でもある穴太衆を中心に地元の農民をかり出し石垣をくみ上げていった。

本居宣長旧宅の門。

本居神社への階段。

裏門櫓跡。

本丸跡から見た御城番屋敷。

「御城番屋敷」の長屋2棟、道を挟んで並んでいる。
この屋敷長屋には今も「御城番」の子孫が暮らしているが、が内部公開されている。

一般公開されている一番手前西側の1軒。

間取りは結構狭そうだ。

日陰ではネコちゃんが昼寝中でした。

本丸下段から上段への枡形虎口。

二の丸跡からは伊勢湾が望める。

松阪は梶井基次郎の短編小説「城のある町にて」の舞台であるため、二の丸跡に文学碑が建てられている。

麦わら帽子はボランティアガイドのおじさん。

月見櫓跡。

本丸跡。

天守台跡。

天守台跡には古墳に埋葬された石棺の蓋まで使用されている。
一説には縁起を担いだものとも言われる。

助左衛門御門跡。

二ノ丸にある歴史民族資料館。
瀟洒な建物であるが、これはかつて天皇行幸を記念して建てられたものであるという。

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松坂城へのあくせす、行き方歩き方

住所:三重県松阪市殿町

電話:0598-23-2381(松阪市歴史民族資料館 0598-21-0312(本居宣長記念館)

松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分