九州の20名城

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加藤家、細川家の名城 八代城

秀吉が滞在した八代城は、古麓から麦島、そして松江へと、時代の趨勢とともに移り変わり、今なお、各地に歴史の光陰を残しています。本丸北辺の廊下橋、右の石垣は大天守台。古麓城(ふるふもとじょう)は、八代市古麓町の東側の山岳にあった南北朝時代から戦...
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清正による国境警備の城 佐敷城

佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、...
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大規模な土塁や堀切が圧巻 都於郡城

都於郡城(とのこおりじょう)、築城は1337年(建武4年)伊東祐持による。別名・浮船城1335年(建武二年)、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の祐持による築城といわれ、一国人領主にすぎなかったころよりの本拠でもある。...
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日本最南端の天守台を持つ 佐土原城

佐土原城(さどわらじょう)は、14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城(たじまじょう)として建てられた。江戸時代は佐土原藩島津氏の居城となった。現在は埋められてしまっているが、鶴松館の前面部には水堀が掘られていた。この堀によって...
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三階櫓がそびえた名城 延岡城

延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城。築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられている。...
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海に囲まれた天然の要害 臼杵城

丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。ちなみに丹生島の「丹生」とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した...
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大宰府管轄下の兵站基地 鞠智城(くくちじょう)

鞠智城(くくちじょう)は、日本の城(古代山城)の一つ。熊本県のサイトでは、「きくち」と振り仮名が振られている。大宰府管轄下にあった6城の1つで、大野城・基肄城の兵站基地として有事に備えた城と考えられている。城の面積は内城55ha、外縁地区6...
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キリシタン大名大村氏の居城 玖島城

藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。新蔵波止、1686年、幕府が官米3千石を筑前から運んで預けたとき、二棟の新蔵を建て、この波止を築いた。以後、藩船などの発着に利用した。(現地案内看板より)新蔵...
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肥前の海城 唐津城

今日から肥前、肥後、5ヶ城歴訪の旅の始まりだ。島原の乱関連地ばかりを訪れることになる、最終に総括がいるかなと意気込むが・・・・・毎回、九州シリーズは夕日、朝日をお届けするのだが今回は残念だがありません。天気予報は曇りまたは雨の予報ばかりで空...
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大友、龍造寺拮抗の城 久留米城

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。この時代は豊後国の大友宗麟(筑後守護...
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筑前の小京都 秋月城址

鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り 「秋月」を名乗ったが、 江戸時代になって黒田長興が秋月5万石の領主となり秋月城を築いた。小さな橋の上から野鳥川の清流。かっての藩士の登城道である「杉の馬場」通りには、藩校「稽古館」や、秋月郷土館が建って...
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細川忠興が築城の小倉城

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。一路西へ新門司港目指すフェリー、今、周防灘を航行中、とっくに日...