1609年(慶長14年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。
これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。
篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。
普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。
艮櫓跡
鉄門跡(くろがねもんあと)と復元大書院
枡形
篠山城のジオラマ。
城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。
外堀の外周は1辺約400メートルのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。
大書院 虎の間38畳
大書院より二の丸を見る。
大書院 上段の間
二の丸へ移る、真っ赤に染まった枝が目に入る。
二の丸から大書院を見る。
2000年4月1日、念願の篠山城大書院が完成して公開が始まった。
二条城大書院を参考にしながら復元工事が進められたとか。
築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。
天守台からの眺め
神社脇に紅く染まった紅葉を発見。
埋門は城の中でも気付かないところに小さく構えられた門で、別名穴門ともいわれています。
篠山城の搦め手の門「裏門」は、南の馬出を入り、南門を通って桝形から南廊下門に取り付き、さらに桝形の先に設けられていました。
門の二の丸に面した方は、三方が急な石の階段になっており、門を入っても直ぐ二の丸を見渡せないように工夫がなされていました。
埋門を出たところで池田輝政の刻印を発見。
二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。
内堀に沿って進む。
石垣にちらほら見える紅葉も鮮やか。
外堀を巡る。
土塁の南馬出し跡。
外堀の外周は1辺約400メートルのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。
篠山城へのアクセス、行き方歩き方
住所:兵庫県篠山市北新町2-3
電話:079-552-4500
篠山口駅から神姫バス「篠山営業所行き」で「二階町」下車、徒歩約10分