甦る古代吉備の国 謎の鬼ノ城

地域

鬼ノ城は、吉備高原の最南端、鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る神籠石式山城。

眼下には古代吉備の中心地であった総社平野や足守川流域平野を望み、吉備の津(港)も間近に見えます。

温羅伝説の舞台でもある鬼城山の山裾にある砂川公園からマイクロバスに分乗して鬼城山ビジターセンターへ向かいます。
砂川公園から鬼ノ城までは約3km、自動車で登れば15-6分。

砂川公園は橋や歩道を整え、炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設もあり、幅広い世代に人気を得ています。

特に夏休みになると、公園内はバーベキューのかおりとウォータースライダーで無邪気に遊ぶ子供たちの歓声に包まれます。

鬼城山ビジターセンターで予備知識を仕入れ鬼ノ城を目指します。

道端にアキノキリンソウが咲いています。
別名のアワダチソウは花序の姿を盛りあがる酒の泡にみたててつけられたもの。

この画ぞは後ほど西門付近から撮ったものですが、先ず学習展望台から鬼ノ城西門全景を望む。
復元された鬼ノ城西門のベストショットを見ることが出来ます。

南門と並び鬼ノ城最大級の西門は、発掘データを基に復元すると、門の床から棟までの高さが約13m、城壁の基礎からは約15mにもなります。

その堂々たる威容は瀬戸内海を大和に向かって東進する敵船団や、総社平野に殺到するであろう敵軍を見据えるかのように、天空へとそびえ立ちます。

内部は3階建となり各階は1階が門扉のある石敷の通路、2階は南北に連なる城壁の連結路、3階は見張り、及び戦闘の場という役割が考えられます。

角楼は城壁の大きな屈折点に築かれ、城外側に向かって凸状に突出しています。
角楼の機能は城壁の死角をなくし、横矢で攻撃できるなど、西門の防御を高めるために築かれたと考えられます。

土塁は基礎に列石を配し、木枠を組んで土を一層ごとに突き固めた版築工法で造られています。
高さは5~7m、壁面の勾配は80度近くという堅固なものです。

版築工法を用いて築かれた城壁は、幅約7m、高さ6mにも及びます。
しかし、壁面はすでに崩落しているので、復元に際しては古代の版築工法を参考に作業を行っています。

版築工法とは城壁の全面に支柱を等間隔に立て、支柱の間に板を積み重ねて固定し、型枠を形成します。
そして内部に土を入れ、一層ごとにつき固めて築き上げる工法を言います。

城内側にびっしりと敷き詰められた内側列石。
敷石の役割は、流水で城壁が洗われて崩壊しないように保護しているそうです。

すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く。
城壁によって囲まれた面積は約30ヘクタールを測る。

土塁株より西門、土塁、高石垣を望む。

西門跡付近より児島半島吉備津神社方面を望む。
手前が備中高松城跡。

右の方へ目をやると造山古墳も見えています。
古代の吉備の津(港)もこの方向です。

ずっと南方へ目をやると水島コンビナート、四国の山並み、讃岐富士も見えています。
左手奥は小豆島です。
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。

日本書紀などには西日本の要所に大野城など12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。

しかし、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。
史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石式山城と呼ばれる。

また、当地には温羅(うら)と呼ばれる鬼が住んでいたという伝承が残っている。
それによると温羅は当地を拠点とし、討伐に赴いた吉備津彦命と戦って敗北したのち、吉備津神社の御釜殿の下に埋められたという。

伝承によると、温羅は出雲地域より空より飛来し、鬼ノ城を拠点に吉備地方を支配行政を行っていたという。
吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく崇神天皇は孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。

命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。
温羅に対して矢を1本ずつ射たが岩に呑み込まれた。
そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。

温羅が雉に化けて逃げたので命は鷹に化けて追った。
更に温羅は鯉に身を変えて逃げたので吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。
こうして温羅を討ったという。

それぞれの伝説の地に矢喰神社、温羅の眼の血が流れた血吸川、鯉喰神社が存在している。
討たれた温羅の首はさらされることになったが、討たれてなお首には生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。

気味悪く思った人々は吉備津彦に相談し、吉備津彦は犬に首を食わせて骨とするが、静まらず。
次に吉備津彦は釜の底へ骨を埋めるも、地中より温羅のうなり声は響き、吉備津彦は困り果てた。

ある日、吉備津彦夢の中に温羅が現れ、自らの妻がいた阿曽の娘を巫女として釜を用いる神事を行うならば静まり、自ら吉凶を告げよう、と告げた。

このことを人々に伝え、神事を執り行ったところうなり声は鎮まり、吉凶を占う存在となったという。

温羅は製鉄技術をもたらし吉備を治めた技術者であり豪族ではないかとされる。
また、血吸川の川の赤さは鉄分によるものであろう。

吉備地方は古くから鉄の産地として知られ「真金吹く吉備」と呼ばれていた。
実際、鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡が存在する。

なお、この伝承はその後、吉備津神社の鳴釜神事の成り立ちへと続いていく。

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鬼ノ城へのアクセス、行き方歩き方

岡山県総社市奥坂

電話:0866-99-8566(鬼城山ビジターセンター)

JR吉備線服部駅から約5km。JR伯備線総社駅からタクシーで約20分。駐車場あり。