行基も家族愛を感じた千体仏

奈良県
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九品寺は中世にこの地を治めた楢原氏の菩提寺で、聖武天皇の命により行基が建立した寺と伝わる。

参道両脇の回遊式庭園「十徳園」は、西国三十三力所観音霊場の本尊を模した石仏を並べ、四季の花々が美しい。

大和の古道を歩いていると、道端に佇む石仏に出会うことが多い。
葛城山東麓、葛城古道の猿目橋(御所市櫛羅)近くに「六地蔵石仏」がある。

室町時代に葛城山から崩落した巨岩に、死後の世界をさまよう魂を救うという日光菩薩など六体の地蔵仏が彫られている。

うっすらと輪郭を残しているだけだが、戦乱の世に平穏を願った人々の思いが刻まれ、今も地域の祈りの対象となっている。
 
そこから葛城古道を南に進むと九品寺(同市檜原)が見えてくる。

境内の行基像は、近鉄奈良駅前の行基像と、バラで有名な霊山寺(奈良市中町)の行基愧とともに制作された三つ子の像である。

本堂畏の墓地斜面には「千体石仏」がある。

千体石仏は、南北朝時代に南朝方についた檜原一族が、死後の極楽浄土を願い奉納したと伝わる。

これらの石仏は歴史の流れで埋没し、数百年間、地中深く眠っていた。

ところが約二〇〇年前に裏山が開墾された際、土中から掘り出され、現在のように配置されたという。
 
その数は一七〇〇~一八〇〇体ともいわれている。

前垂れを掛けられた石仏群は壮観であるが、一つ一つの石仏に奉納者のさまざまな思いが込められている。

本堂横に並んだ樹木に手書きの歌碑板がつるされていた。
 
「ポロポロとなく山どりの声きけば父かとも思う 母かとも思う」
行基作と伝わる歌だ。
各地に寺院を建立した行基も、深山で鳴く鳥の声にふと親のことを思い出す時があったのだろう。

「奈良の隠れ名所」参照

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