どことなくモネの池 大原野神社


大原野神社の創建は平安京遷都以前、桓武天皇の長岡京遷都まで遡ります。

延暦3年(784年)に藤原氏の氏神である奈良春日大社の神々をこの地に分霊し勧請した事が始まりとされ、別名「京春日」とも呼ばれている古社です。

参道はまるで緑のトンネル~夏でもひんやり~

本殿と三の鳥居の目の覚めるようなあざやかな朱色と青もみじのコントラストの絶妙さは、秋の紅葉以上かもしれません。

大伴家持が「大原やせがいの水を手にむすび鳥は鳴くとも遊びてゆかん」と詠んだ大原野。

参道脇に清水が湧く。
長岡京遷都の際藤原氏が創建。

京都の「モネの睡蓮」とも呼ばれる鯉沢の池

この風景、どこかで見た覚えがありませんか?睡蓮に覆われた池に架けられた太鼓橋・・・。
そう、フランスの印象派を代表する画家、クロード・モネが描いた「睡蓮の池と日本の橋」に似ていませんか?

睡蓮の隠れスポットでゆっくりと散策ができますので、お車のある方は足を延ばしてみてください。

こちらの睡蓮は午後にはどんどん花が閉じてくるため、昼過ぎまでに訪れるのがおすすめです。

徒歩でのアクセスも楽しい

阪急桂駅西口より京都市バス臨西2系統(南春日町 洛西バスターミナル行)乗車、南春日町バス停下車徒歩約8分
JR向日町駅・阪急東向日駅より阪急バス(南春日町行)乗車、南春日町バス停下車徒歩約8分

おすすめなのが水面のリフレクション

場所を変えると色々な姿を見せてくれます。

「鯉沢の池」は、平安時代に文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造営されたと伝えられる池泉回遊式庭園。

睡蓮、カキツバタ、花菖蒲の名所として知られています。

紅葉の名所として名高く、広大な境内に桜やモミジの赤が映える。

近辺には、大原野神社から歩いて行くことのできる勝持寺がある。

こちらも桜が有名だが、紅葉も負けず劣らず素晴らしく併せて訪れたい。

朱色の橋で渡れる中ノ島にあるちいさな社。

地主神と書いてありました。

地主社は神社や寺院が建立される際に、その土地の地主神を祀るために建立された神社のことです。

鯉沢の池の西側、参道を挟んだところにある瀬和井(せがい)。

「瀬和井」は、清和天皇産湯の清水とも伝えられ、古来から数々の和歌に詠まれた名高い清水である。

今では水は湧き出ることもなく、雨水などを溜めたままの姿で残されているが…

「瀬和井」の立て札には、「大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことをかたらなん」(左大臣)、「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」(大伴家持)などの句が刻み込まれている。「瀬和井」の古き時代が脳裏に浮かんでくる。

森の中の小径を辿り花の寺(勝持寺)へそして正法寺へ。

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師走の大阪城


冬至を過ぎたところで冬の真っただ中。

撮影会で大阪城に来ました。
谷四、大阪歴史博物館の前にいます、枯れ葉が今の状況を表しています。


ここから大阪城をズームアップ。

南外堀、六番櫓を見渡す場所、個人的には大阪城の一番美しい場所と思っている。

南外堀の石垣の高さは大阪城で2番目となっていて、堀の幅も広いので雄大な外堀の景色を楽しめます。

築城技術が全盛で、さらに南外堀は築城の最終段階でつくられたこともあるので 石垣の石組の完成度が非常に高くなっています

ズームアップして見ます、堀に六番櫓を映してきれいです。

水鳥が進むと波紋が広がります。



枯れ枝がアクセスポイントになっています。

東を見やると玉ボケがきれいです。

まさにクリスマスプレゼントだね。




大阪万博へ向けてあちこちで建築ブームです。



独古組み(どっこぐみ)

こちらは大阪城の追手門に使われている継ぎ手を再現したもの。
当時は継いだ状態からは内部構造がどうなっているか不明で、X線による解析で内部構造が分かったそうです。
縦にも横にも動かない、とても難解な組木です。


大手口桝形、巨石と葉を落とした木。




壁に投影された木陰が一服の絵画のようです。




わずかに残ったこの葉と実。

蛸石の名前の由来は表面の模様がタコに見える事から、その様な名前が付いたといわれています。

大阪城で一番大きい石といわれ、広さは畳にして約36枚分とのこと。



真田幸村の嫡男・真田大助もここ山里丸で殉死しました。

それら殉死した者の「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」が、山里曲輪の石垣の上にあります。
 
淀君並殉死者三十二名忠霊塔

碑文にある殉職者は、大野治長、大野治徳、速水甲斐守時之、速水出来丸、毛利勝永、毛利長門、高橋半三郎、高橋十三郎、津川親行、竹田永翁、堀対馬守、武田左吉、森島長意、伊藤武蔵守、土肥勝三郎、真田大助、萩野道喜入道(氏家行広)、寺尾勝右衛門、和期の局、大蔵卿の局、宮内卿の局、右京大夫局、玉の局、饗庭局です。


青屋門から西を見やる、ススキが西日を受けてきれいです。

さて、来月の定例会へどう纏めるかな。

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姫路城 夜景


前項「坂越浦 レトロ散歩」の続編です、27日に強引な撮影を入れてしまって、続編が今です。

坂越では食事処も少ないので姫路まで移動、ついでにお城の夜景をとっておこうかといったところ。

ただ今19時前、桜門前、ほとんど人もいません。

以前、姫路城は何処からの眺望が一番いいかなと、ビューポイントを探して歩いたことがあったが・・・・

姫路城ビューポイント探訪
2015年3月27日再公開以来人出の多さを気にしながら訪問の機会をうかがっていた … 続きを読む →

喜斎門跡からの夜景、堀への映り込みがきれいだった記憶がある。

現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして築いたもの。

平成19年2月17日に多くの関係者の出席のもと、テープがカットされ渡り初め式が行われた。

渡り初め式には、三世代夫婦、お殿様、お姫様、お城の女王、お城おどり保存会他多くの方も参加。

桜門橋からの眺望。

大手前通りは、JR山陽本線姫路駅から姫路城大手門(桜門)前の姫路城前交差点に至る、全長約840m・幅員50mの道路。

日本の道100選の一つに選ばれている。

姫路城城下町、中曲輪・外曲輪に当たる範囲にある。

多数のブロンズ像などが設置されており、様々なイベントの場、憩いの場として親しまれている。

裸婦像

夏帽子の少女

この辺りからの眺望が一番きれいかな。

眺望デッキ「キャッスルビュー」から多重露光を試みる。

やぁ、疲れました、今日の歩行は23,000歩、帰宅時間は11時30分、かなり無理をしました。

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千姫の小径から 好古園へ


文学館を辞し「千姫の小径」を南へたどり「好古園」へ向かいます。

千姫は、7歳で豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼と政略結婚。

大坂夏の陣で炎上する大坂城から救出され、江戸に帰る途中、桑名城主・本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子、正室は家康の孫・熊姫)の子・本多忠刻(ほんだただとき)と運命的な出会いをします。

桑名の七里渡しの船中でたまたま本多忠刻と同船となり、惹かれ合ったというドラマチックな展開に。

津和野藩主・坂崎直盛(さかざきなおもり)は、千姫輿入れの行列を襲っての強奪を企てますが(千姫事件)、大名の坂崎氏はこれによって断絶。

その後、本多忠政は桑名藩主から、西国の押さえとして姫路藩主となり、元和3年(1613年)、千姫も姫路城に移り住んでいます。

千姫の小径は西部中濠と船場川の間に南北にのびた土の道です。

道にはモミジや桜が植えられ、左右の水と共に心を和ましてくれる散策路となっています。

千姫の小径は、千姫が忠刻とくつろいだ西の丸の化粧櫓(徳川家から輿入れ時に賜った10万石の化粧料で造ったとされる櫓)、侍女たちが待機した長局(ながつぼね)の白壁を見上げるコースとなるのが名の由来です。

姫路城は内堀(現存)、中堀(一部現存)、外堀(埋め立てされている)の3重の堀で守られており、さらに船場川の川筋を鍵形に付替えて、外堀の一部に利用して、防御機能を高めていました。

姫路城と姫路駅の間を横断する国道2号はかつての中堀にあたりますが埋め立てられて国道になっています。

千姫の小径の脇を流れる船場川は外堀としても機能の他、瀬戸内海交通の要衝である飾万津(しかまづ=飾磨津)との舟運も担っていました。

上りは陸から綱で引き、下りは流れに任せて下っています。

好古園(こうこえん)は兵庫県姫路市、姫路城のすぐそばにある平成4年に開園した日本庭園。

発掘調査で確認された姫路城西屋敷の地割りを生かして、趣の異なる9つの庭園で構成されています。
季節により様々な花が咲きますが、特に紅葉の美しさに定評があります。

画像は築地塀(ついじへい)

好古園の影の主役ともいえる築地塀。
各庭を仕切る役目の他、余計なものを隠す背景としても役に立っています。

6年前の晩秋に好古園を訪ねています。
晩秋の好古園
「好古園」は、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。 … 続きを読む →


季節のサルスベリの花がきれいです、門をくぐると「活水軒」(レストラン)今日はこちらのレストランでお昼です、庭を眺めながらの食事です。

活水軒と潮音斎(ちょうおんさい)を結ぶ、総檜造りの渡り廊下。

中央が曲面になっています。

左右に水の流れや池が見え、特に順路向かって左の滝状になっている水の流れが美しい。

渡り廊下を渡ると流れのある庭、秋にはもみじが美しい。

潮音斎

池側に大きく開かれた縁台(観庭台)がある建物。

中秋の名月を眺めるのに最適な方向に向けて開けているそうです。

池の奥にある樹林や雄滝、水の流れが美しい。

池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数寄屋建築の茶室・双樹庵のある「茶の庭」など九つの庭園群で構成され江戸の情緒を醸し出すそのたたずまいは時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われています。

正式名は姫路城西御屋敷跡庭園好古園。

「好古園」とは、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。

御屋敷の庭

池泉回遊式の、区切られた9つの中で最大の庭。

池に架かる石橋や、池を泳ぐ錦鯉、周囲にある姫山樹林を借景にした日本庭園らしい景色が見所。

松の庭

瀬戸内地方のアカマツ林をイメージした庭園。

散策中にあちこちでお城の廓が見えます。

庭園の面積は、約一万坪、九つの庭を見逃さないように回るのは大変。

世界遺産・姫路城を借景にした本格的な日本庭園は姫路観光にも人気の場所です。

キキョウのブルーがきれいです。

15種類の竹類を植栽した庭園で中央に八角の和傘をイメージした四阿「聞竹亭」を配す。

好古園までのアクセスは

姫路城の西隣に隣接しているので、観光で来られた方は、お城を見学された後などに是非立ち寄っていただきたい。
姫路城からは一度大手門を出て西へ、お堀沿いに歩いてゆくと右手に見えてきます。

【バスの場合】

姫路駅北口から神姫バス乗車【姫路城大手門前 】下車、徒歩約5分
9、10、17、18番乗り場からは〔7、8、9、11、12、13、41、42、43、45、51、52、53〕のバス乗車【聴覚特別支援学校・好古園前】下車すぐ
観光ループバスをご利用の場合、姫路城周りを一周した後、好古園前に停車します。

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大阪城夜景


その後大阪城に移動、大手前の陸橋から天守のが狙えるのではと考えていたが樹木に遮られてアウト。

8時前だが外堀がライトアップされている、お盆期間のサービスかな。

違う雰囲気で撮影できそう。

大手門もライトアップされている。

画面左端のおばちゃんが移動しない、じれてシャッターを切る、猫に餌をやっているようだがこれもありかな。




久し振りの外堀ライトアップ。


絞りf11、シャッタースピード15秒、水面も滑らかでそれなりの雰囲気。

しかし、6番櫓までしかライトアップされていない。

シグマ8-16mmに付け替え、超広角での画像を試す、ちょっと非現実だがこれも面白い。

久し振りの三脚使用で戸惑った場面もあったがそれなりの効果は捨てがたい、これを機に三脚の場面をもう少し増やそう。

楽しんでいるうちに時間を過ごしてしまった、ただいま9時30分、急いで帰ろう。

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大阪城天守閣ライトアップ

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何度か大阪城の夕景をアップしてきたが、いずれも天守のライトアップがないのが気がかりだった。

ホームページでは大阪城天守閣では、大阪市の節電対策に協力するため、夜間ライトアップの点灯時間を変更します・・・・とある。

どうも8時過ぎに変更になったらしい。

玉造口に向かっている。

玉造口の石垣に腰を下ろし点灯を待つことに。

イライラしながら待っているとどうも天守の屋根の上で何か行われているようだ。

クリックしてズームアップして見てほしい。
夜に屋根の上で何か作業をしているのを見るのは初めてだ。

8時11分、どうやらライトアップが始まったようだ。

雁木坂を極楽橋のほうへ急ぐ。

途中、梅園からライトアップの状態を確認。
暗闇の梅園は不気味だ。

青屋門から天守を見る。

大阪城には四つの出入口があります。
その内の一つが青屋口です。
そこの桝形にある門が青屋門と呼ばれています。

極楽橋から天守を望む、久しぶりの雄姿、きれいだ。

タテ構図でも1枚。

秀頼、淀君ら自刃の地。

山里丸の坂道から天守はポピュラーな姿だ。

天守台からの雄姿。

一番美しいと言われる日本庭園からの姿。

こちらもタテ構図で。

ミライザと一緒に。

桜門から見る、やはりライトアップされていると違う。

多聞櫓を出たところ。

大手門を振り返る。

生國魂神社御旅所から大手門を見る。

大阪歴史博物館から天守を望む、もう少し別の場所からの遠景を撮りたかったのだがもう遅いので断念、次の機会に譲る。

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夕景撮影 大阪城 再び

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再び大阪城、今回は西側から攻める。

大手門より天守台を目指す、前回より逆回り。

西の空がきれいです。

ライトアップは節電のため8時以降になる。

大坂城豊臣石垣公開プロジェクトの工事現場。

ライトアップもなく付近はひっそりとしている。

やはり夕景のポイントはどちらから登っても同じ場所。

隠し曲輪から天守を望む。

山里丸からの天守の眺望。

紅い夕陽を見届けて家路へつきます。

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夕景撮影 大阪城

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散歩を兼ねて夜の大阪城の撮影です。

コロナが蔓延気味でうっかり撮影にも行けません、広い大阪城なら大丈夫だろう。

森之宮から大阪城音楽堂の横を抜け南外堀に出ます。

南外堀に沿った「においの森」目の不自由な人々にも公園に親しんでいただけるように、香りの高い花木を集めています。

ジンチョウゲ、クチナシ、キンモクセイなど、四季折々の香りを満喫できます。

夕方は斜光も楽しめます。

南外堀の東端から西の方角、ちょうど生國魂神社お祓い所の方向を見ています。

夕日に照らされた堀の映り込みがきれいです。

NHK、大阪歴史博物館が見えます。

一番櫓です、飛行機雲がきれいです。

玉造口を抜けて内堀に入ります、少し向うに天守も見えます。

天守台の向こうに大阪歴史博物館。

梅林からの天守閣。

今日は雲がきれいです。

極楽橋を見ています。

散策の人たちが三々五々と通り過ぎていきます。

多重露光を楽しむ、空の色も色々と楽しみます。

極楽橋を渡ります。

極楽橋の上から御座船が見えています、太閤秀吉のあらゆる計算を知りたいなら御座船。

鬼門とされる方角を睨みつけ魔除けとされている「人面石」も、この距離であればしっかり確認できます。

山里丸から天守台に登ります。

多くの人たちが夕日と景色を楽しんでいます。

隠し曲輪からの眺めは格別です。

刻々と変わる雲の形と色味を楽しみます。

もともと兵を隠す場所と言われたくらいなので少し分かりにくいのですが、天守閣のすぐ近くにも関わらず、混雑している時期でも比較的に人が少なくゆっくりとできる場所です。

「隠し曲輪」の石垣構築工事を担当した伊予大洲藩、丹波園部藩の刻印石が多くみられます。


一番の撮影スポットも陽が落ちてしまってイマイチです、多重露光で体裁を整えます。

現在の大阪城天守閣と同じ昭和6年(1931)、陸軍第四師団司令部の庁舎として建設された。

鉄筋コンクリート造で、ヨーロッパの城を参考とし、左右対称の重厚な外観をあらわす。

昭和20年の 第二次世界大戦終結時は中部軍司令部の庁舎だった。

連合国軍による接収のあと、昭和23年から警察(大阪市警察局、大阪市警視庁、大阪市警察、大阪府警察)の庁舎として、 昭和35年から平成13年(2001)までは大阪市立博物館として使われた。

桜門から大手門へ至る場所は大石のオンパレード。


桜門から天守を望む。

大阪城天守閣では、大阪市の節電対策に協力するため、夜間ライトアップの点灯時間を変更てしています。

日程:2022年7月1日(金)~9月30日(金)
時間:20時ごろから24時30分まで

大手二番石(左・城内第5位)、大手見付石(中央・城内第4位)、大手三番石(右・城内第8位)

大手門を出ました、現在午後8時前、そろそろ手持ち撮影の限度かな。

ライトアップ時間が変更されていて辺りは暗闇です。

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大阪城散策


天満に所用で出かけたおり大阪城を散策、時計回りに一周した。

今回もD800に50mmf1.8の組み合わせ。

OMM(大阪マーチャンダイズマート)のところにある飛び駆けるマーキュリー像。

像の前にある説明板によれば、これは16世紀イタリアの彫刻家ジャンボローニャ作の「飛び駆けるマーキュリー」(イタリア国立美術館)をもとに昭和47年10月につくられたもので彫像鋳造はフィレンツェのブルノ ベアルジ。

午後の日差しがビルを照らす。

平成元年(1989)ドーンセンター建設に伴い深さ2mの地点で発見された石垣を、地上に移築。

高さは約3.3m、野面積み石垣。
秀吉の晩年、慶長3年(1598)に大坂城防衛のため造られたもので、大坂冬の陣後に家康によって取り壊され埋めらたもの。

総延長約150mの石垣で大手門学院小学校まで伸びていた。
現在、石垣は路上に面しており見学自由。

大阪城 乾櫓

大阪城西の丸(二の丸)の西北に位置し、櫓の西側と北側が西外堀に面している。

昭和20年(1945)8月、第二次大戦時の空襲では爆弾が乾櫓北側の水掘に落ち、石落としが吹き飛ぶなどの被害を受けた。

昭和31年(1956)から始まった解体修理で、乾櫓は本来の姿にと大々的に修理され、現在、見られる姿となった。

西外堀から望む天守閣

京橋口

京街道に架けられた『京橋』に由来する。

京街道に向かう玄関口であるため、とびきりの巨石が多く使われている。

その中でもひときわ目を引くのが城内第2位の巨石として知られる肥後石だが、昭和40年代までは城内第1位とされていた

正面に見えているのが京橋門枡形 京橋口二番石。

横 11.5メートル 縦 3.8メートル 推定重量 81トン 讃岐小豆島 担当大名は 岡山 池田藩。

三の丸地区の「筋金門跡」

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「大阪砲兵工廠正門跡(守衛所・煉瓦壁・石門)」

「守衛所」は現存しているが、当時の屋根は失われており、煉瓦の一部も崩れているなど、痛みが激しい。

現在の「守衛所」は柵で囲われ立ち入り禁止になっている。

「大阪砲兵工廠化学分析場(化学試験場)跡」

三の丸地区の「筋金門跡」(「大阪砲兵工廠正門跡」)付近に「大阪砲兵工廠化学分析場(化学試験場)跡」が遺されている。

この建物は、工廠の「化学分析場(化学実験場)」であった。

建築家の置塩章(砲兵工廠建築部)が設計、大阪橋下組の施工によって大正8年(1919年)に竣工した。

戦後、昭和39年(1964年)~平成10年(1988年)、自衛隊大阪地方連絡部が建物を使用していたが、現在は使用されていない。

建物はネオ・ルネサンス様式で、煉瓦造、地上2階・地下1階である。

北外堀から天守閣を望む。

京橋口を望む。

北外堀の東端、青屋門を望む。

青屋門右の石垣に説明文があります。

青屋口は大阪城二ノ丸の北側に位置する出入口で、青屋門はその桝形の内側に建っています。

創建は徳川幕府の大坂城再築工事が開始された1620年(元和6年)と考えられ、明治維新の大火により被災し、その後、陸軍によって改築されましたが、1945年(昭和20年)の空襲で再び焼失しました。

その為、この青屋門は1969年(昭和44年)に大阪市が残材を用いて再建した門になります。

現状は上部に櫓を乗せる独立した櫓門ですが、江戸時代は櫓部分がさらに北西の石垣沿いに長く伸びていました。

桝形とは敵の侵入を防ぐ四角い区画のことで、青屋口の桝形は二ノ丸の他の各口とは異なり、外側に突き出す出桝形でした。

「青屋」の名前は、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。

梅林は、大阪府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22品種、880本を大阪市に寄付した事で、昭和49年3月に開園となった。

今では100品種を超える梅が見られる。

厳しい寒さの中、百花に魁て花を開き、清楚に香る梅の花。

そのゆかしい趣は、日本人の感性を優しく包むきわめて日本的な風情であるが、梅の原産地は中国であり、奈良時代以前に、遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされたと言われています。

梅園にはほぼ毎年訪れる。

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梅林は「市正曲輪」という場所にあります。

豊臣時代に秀頼の後見人であった片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷のあった場所。

江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所でした。

しかし戊申戦争の折りに全て焼失しており残っていません。

内堀から天守台を望む、もう陽も西に傾いている。

徳川期大坂城の桜門の創建は枡形虎口の普請が完成した寛永元年頃といわれているが確証は無いらしい。

明治元年戊辰の役の火災で、虎口内の石垣に焼けた痕跡が残ることから多聞櫓は全焼、この時、桜門は半焼したのではないかと推測されている。

桜門の名称は、豊臣期大坂城二の丸に桜の馬場があり、その門付近の桜並木にちなみ、そう呼ばれたのが始まりだとか。

現桜門の西側に桜門土橋を横矢掛できる曲輪があるが、豊臣期はちょうどそのあたりに桜門があった。


西に傾いた陽が強い影を作る。



千貫櫓、多聞櫓の間から天守閣。

千貫櫓
大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓(すみやぐら)。

名称は石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」といわれたことに由来するという。

多聞櫓は他の櫓や門などの重要文化財のようにそのまま現存したわけではありません。
1783年に落雷で全焼し、再築されているのが特徴です。

多聞櫓という名前の由来が、戦国武将・松永長秀の多聞城の形式を使った櫓だからというも紹介されています。

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