JR大阪駅地下ホーム


前記事梅田界隈を書きながらJR大阪駅地下ホームのことが気になりだした。
存在は当然知ってはいたがそう大騒ぎすることでないかなくらいに考えていた。

しかし、気になりだしたらもう、行ってみるしかない。

ここ、新大阪駅から新しいホームに乗り込むことにした。

新大阪駅3番ホーム、案内は東大阪線、大坂方面となっている。
なるほどこういうことか。

淀川を渡る。

この東を走る貨物線は例の赤川鉄橋を思い出す。
ありがとう赤川鉄橋
昭和4年から85年間、地域住民から長らく愛されてきた「赤川仮橋」が10月31日2 … 続きを読む →


うめきたエリアの新ホームは、21・22番線の島式ホームと、23・24番線の島式ホームの2面4線構成となっている。

このうち、21番線と24番線が特急はるか、くろしおのホーム、22番線と23番線がおおさか東線のホームとなる。
また、ホームは緩やかにカーブしている。

そして、今回紹介しなかったが、はるかが止まるホームだけホームドアがユニークだ、列車に合わせてホームドアが移動するここだけのシステム。

出口は「うめきた地下出口」と「西出口」の二カ所、

ブルーのエスカレーターが眩しい。

改札を出てすぐのお手洗いにびっくり、何と空きがあるかどうか個室の残数がいくつかリアルタイムで表示されるのだ。
これは便利だ。

特徴的なデザインの天井照明が目に飛び込んでくる。

外の景色が無い分画像が表示されている。
これがただの表示とは違い近づくとなんと、泡がぶくぶくと出てくるではないか。

そして目を引くのが顔認証のゲート。
自動改札が4レーンと有人(車椅子)レーンが1レーン、顔認証改札を設置。
改札上部の案内板にはデジタル案内板を採用している。

改札外コンコースは今はガランとしているが、きっぷうりばには、AI案内ロボットや「みどりの券売機プラス+AI」などを設置。

1番出口から外へ出てみる、「大阪駅 うめきた地下口」となっていて、まだ工事中のエリアに出る。
波をイメージしたデザインのフェンスで囲まれている。

「GRAND FRONT OSAKA」と表示された通路に向かう。

通路は結構長い、この先どこに出るのか。

なるほどこういうことか、

そこには見慣れた光景が。

そしてもう一つの入り口。
それは桜橋口前の横断歩道からの入り口。
今のところここだけなので分かりにくい。

従来の乗り場へのるーと、真新しいエリア。

ここから先ほど見た新ホームへつながる。
目新しいサービスとしてここから新ホームを通過する無料の通過券が発行される。
そのルートを通るとわずか数分で通り抜けられる、新しいサービスだ。

サッと紹介したがほんの一部でまだまだ沢山の新サービスがある。
そして気になるのが建設中の新ビル。
2024年3月竣工予定 KITTE大阪(JPタワー大阪)(高さ188.0m)
2024年6月竣工予定 イノゲート大阪(高さ121.6m)
これらは外観工事はほぼ終了している。
「うめきた2期」の方ばかり気にかけているが西梅田も大きく変わろうとしている。

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瀬戸田訪問を終えて


瀬戸田の港に古い写真が残っていました。

最初に瀬戸田を訪れたのは2002年8月でした、たまたまコンパクトカメラの記録が残っていました。

その後何度か訪れているのですが15年以上は来ていないのでは。

ゆっくりしすぎて最終のフェリーに滑り込みセーフ、危うい所でした。

それにしてもサイクリングの若者が多い、旅客定員75名(うち客席内45席)、自転車積載台数は約50台となっていますが40台以上乗っていました。

暮れかかった陽に照らされ航跡がきれいです。

今回の失敗はたまたま夏休みの最終土曜日を選んでしまったこと。

姫路以西は快速がないことは解っていたのですが列車の混雑が想像以上です、姫路から岡山まで立ち客がぎっしり、岡山でどっと降り、またどっと乗ってきます。

倉敷でほとんど降りるのですがその混み方は通勤列車並み。

一瞬、コロナの恐ろしさが襲ってきました、これでは感染するはずと・・・・恐怖を感じました。

青春18切符の期限が9月10日、9月の天気予報を見ると雨とか台風の話ばかり、つい焦って日にちを設定してしまったのが間違いのもと。

帰りのホームから向かいのホームを見ていると何やらざわついている。

そのうち派手な電車が入線、どうも記念列車のようだ。

帰って調べてみると。

列車名を「Bar Train ~Night ラ・マル~」と銘打ち、車内では「ホテルグランヴィア岡山」のバーテンダーが目の前でつくるカクテル、生演奏などを楽しめるそうだ。

運転日は2022年8月27日(土)のみ。
岡山駅を16時57分に発車したのち、尾道駅へ18時20分に到着。

約100分の自由散策を楽しんだのち、尾道駅を20時03分に発車。
岡山駅へ21時12分に到着。

と、いうもの、いよいよ経済も本格的に動き出したのだなと感じた。

それにしても帰宅は11時30分、とんだ一日でした。
旅の計画は慎重に!!

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たま電車に乗って三社参り


和歌山駅に着いたら、駅の外には出ず、9番線ホームに向う、目印は、階段や通路に点在する猫の足跡だ。

和歌山市と野上町を結ぶべく計画されたが、同時期に計画された野上軽便鉄道の計画に敗れ認可が下りず、計画を変更。

沿線にある日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社などへの参詣(いわゆる三社参り)のための鉄道として、1916年(大正5年)2月15日 山東軽便鉄道により大橋駅 – 山東駅(現在の伊太祈曽駅)間が開業。

2009年3月22日にはいちご・おもちゃ両電車に続くリニューアル車第3弾「スーパー駅長たまちゃん電車」、略して「たま電車」がお披露目された。

この電車の車体には様々なポーズのたまのイラストが描かれるなどたまづくしの電車になっている。

2017年1月7日、三毛猫の「よんたま」がニタマの貴志駅駅長就任で空いていた伊太祈曽駅の「駅長見習い」に任命された。

よんたまは2015年4月20日、一週間前に飼い犬を亡くした和歌山市内の女性の家に、まだ目の見えない仔猫の状態で母猫に置いていかれた猫である。

困った女性が友人に相談したところ、その友人が仔猫の件を和歌山電鐵に繋いだことから、小嶋社長が仔猫を「面接」の上岡山に連れて帰り、岡山電気軌道内にある“訓練をしない猫駅長訓練所”で「人が好きなこと」「帽子をかぶるのを嫌がらないこと」「仕事を嫌がらないこと」という三要素の適正チェックを受け、駅長見習いに任命されることになった。

なお、駅長見習いの候補には岡山にいる「SUNたまたま」もいたが、親代わりの両備グループの広報担当者がSUNたまたまを可愛がって「この子は手放しません。

岡山に置きます」と手放さなかったために、よんたまが駅長見習いに就任することになった。

2018年1月5日、三毛猫の「よんたま」が伊太祈曽駅の「駅長」に昇格。

併せて、「たまⅡ世駅長」が駅長を務める貴志駅の「駅長代行」に就任。

2019年1月5日、「スーパー駅長」に昇進。

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金沢散策

昨夜は「月見のおわら」で夜遅く金沢のホテルへ入った。

ぐっすり眠り、早朝から散策です、あさの光が清々しい。

いつも撮らされてしまう、郡順治という方の「走れ!」という作品で、金沢まちなか彫刻作品国際コンペティション2004で入賞したものだそうです。

ショウウィンドウへの映り込みがきれい、四高記念館前。

こういうのって撮りだしたらキリがないね。

小立野通りを本多の森方向へ進んでいます。

石川県政記念しいのき迎賓館

旧石川県庁として1924年(大正13年)6月8日に竣工。

石川県内の建築物としては初めて鉄筋コンクリート構造を採用したもので、国会議事堂などの設計を手掛けた矢橋賢吉による近代的な建築物。

石川県庁が金沢市鞍月に移転するまでは、永らく広坂地区のランドマークとして位置づけられていた。

迎賓館前にある樹齢300年の一対のシイノキ、国の天然記念物。

石川四稿記念公園西側の並木、紅葉が始まりそうな雰囲気。

昭和33年に建てられた、明治・大正・昭和3代の四高生を表した記念像。

石川四稿記念文化交流館。

1年ぶりに金沢を訪れたが、武蔵野交差点が地価の変わっている。

鼓門が夕日に照らされる。

日の入りです。

お月様も出て夜です。
今日もよく歩きました、26000歩、昨日と合算で43000歩。

サンダーバードは貸し切りで一人2シート、快適です。

大伴楼の駅弁を買い込み準備万端。

過去の金沢訪問記

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青春18切符旅行記 奈義町現代美術館

今回の青春18切符旅行記は岡山県の奈義町にある奈義町現代美術館。
美術館という枠が拡張して、美術品と建物が一体化している、いわば第三世代美術館だ。

コスト比較、通常の交通費、15280円  青春18切符2370円
所要時間 4時間

大阪~姫路、ノンストップの新快速は大阪発7時51分が一番早い、それなりに乗客も多いので早めにホームへ。

このコースの難点は姫路岡山間、快速がなく、時間帯によっては1時間以上列車がないこと。
小刻みに乗り継ぎを検討するか、それでもダメな場合は、諦めて途中下車するなりで時間を有効に使う。

6番線ホームでは駅弁を売っている、旅の楽しみの一つだ。
また、津山線はローカル線には珍しく快速が走る

右手奥に見えるのが目指す、奈義町現代美術館、手前にあるのが「PIZZERIA La gita 奈義」

ナポリ最古の石窯メーカーGIANNI ACUNT社の石窯で一瞬のうちに焼き上げ、ナポリピッツァの表面はパリッ中はもちもちとした食感、薪の香ばしい香りが楽しめます。

本日はマルゲリータ   1,300円をいただいた。

奈義町現代美術館は美術館という枠が拡張して、美術品と建物が一体化している、いわば第三世代美術館だ。

町立図書館、観光案内所は前面のシンボルロードにパラレルに置かれるが、現代美術館は道路計画からの制約を飛び越え、この土地の自然条件にもとづいた固有の軸線を持つ。

すなわち「太陽」の軸は正確に南北軸と重なり、「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指し、「大地」の長軸は秀峰那岐山の山頂に向かっている。

この布置の「見立て」を更に拡張していくと、那岐という聖なる山を中央に据えて、手前に〔大地〕がひろがり、左右に〔月〕と〔日〕が配されるという構図となり、容易に、六曲一双の日月山水図屏風を想起することも可能であろう。

将来、奈義町の文化的中心軸となるように計画されているシンボルロードに沿って、奈義町現代美術館、奈義町立図書館、奈義町観光案内所の建築群が配置されている。

現代美術館、町立図書館は共通のエントランスを持ち、芝生広場の南端、竹藪の中に観光案内所が設けられた。

この円筒形の建物、左側の高い建物、それぞれが美術品だ。
もうすでにトンボが飛び交っています、加増をクリックして拡大してお楽しみを。

奈義町現代美術館のポスター、展示室「大地」、「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫、「月」の部屋≪HISASHI-補遺するもの≫からなる。

「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫展示室「大地」「うつろい」の画像。

最初の計画案では、垂直の円筒型の建築物の中に倒立した法隆寺があって、「胎内潜り」のように、その法隆寺を潜って行くと何時しか建物の外部に出ているというものであったという。

正面が、「月」の部屋≪HISASHI-補遺するもの≫

それぞれについては個別に掲載します。

奈義町の全体模型、美術館から車で7.8分山道を登ると「那岐山麓 山の駅」がある。

中央に江戸時代から伝わる伝統伝統芸能の「横仙歌舞伎」、周囲に町の木イチョウ、町の花ウメをデザイン。 「なぎ」「おすい」の文字。
汚水管マンホールの蓋

説明文はホームページを参照しています。

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青春18切符旅行記 モネの庭

高知のモネの庭に行くにあたって青春18切符を使うこととした。

コスト比較、通常の交通費、約26000円、ツアー 45000円。
青春18切符2370円x2 4740円。時間はたっぷりある。

瀬戸大橋を渡るマリンライナーは特急ではないので指定席以外は自由。

確かに時間はかかる。
まず高知まで、往路は9時間58分、復路 8時間29分。
違いは列車待ちの時間。
琴平での待ち時間、45分、これは待ち時間といってもその間電車がないのだ。

45分待って阿波池田行に乗り込む。
阿波池田で待ち時間61分、次の列車がないためだ。

土讃線に入ってからが面白い。
乗った電車は画像の上方から引っ込み戦のようなところへ入って止まる。

もちろん前方は行き止まり。

待つことしばし、特急南風が通り抜けていく。
土讃線は狭い山中を走る、行内に複数の線路のある駅はそう沢山ないのだ、したがってスイッチバックのような時間待ちをすることになる。

こんなに待ち時間があるんなら、大歩危、小歩危の観光に充てたいところだが、時刻表とにらめっこしてもうまく大歩危、小歩危で観光できる時間がひねり出せない。

これは気が付かない落とし穴だ。
大都市圏の快速や新快速はたしかに速く、18切符を利用する旅行者には大変便利です。

しかし、それ以外の地域では、ほとんどが普通列車のみです。

しかもこんなローカル線になると昼間の列車本数は極めて少ない、うかつに途中下車しようものなら、当日のうちに目的地に着かない。

仕方がないので車窓から撮影としよう。
だが、ここでも思わぬ落とし穴、狭い山間を走る土讃線、林や藪の連続で、きれいな渓谷が時折チラッ、チラッと見えるのみ。

シャッターのタイミングなどとても取れない、精神衛生上よろしくない時間を過ごすことになる。
こうなったら考えを変えるよりない。

又もやスイッチバックの列車待ち。

と、いうわけで9時間58分かけてようやく高知へたどり着く。
高知では坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の諸君が出迎えてくれる。

高知で一夜あかし、翌朝、いよいよ北川村のモネの池に向かう。
ここでまたトラブル!?

後免までがJR、そこから先が土佐くろしお鉄道。
とりあえず後免まで行こうと改札へ、なんとIC切符をタッチするところがない、駅員に尋ねるとまだIC化されてないとのこと。

仕方なく券売機で切符を購入、目的地の奈半利までの切符も変えるのだが、とりあえず後免までの切符を購入。

待つことしばし、折り返し奈半利行となる列車が到着、早速乗り込むと、これは回送電車だという。
JRの電車が切り離されると、おやっ、土佐くろしお鉄道の電車が現れる。

どうやら朝の通勤通学時間帯、後免~高知間、土佐くろしお鉄道の電車にJRの電車を増結しているようだ。

やっと電車に乗り込む、後免駅まではJRの運転手、後免駅で土佐くろしお鉄道の運転手に交代。

そのまま走り出す、すると切符はどうなるのだ、途中で回ってきた車掌に尋ねる、往復するなら1日乗り放題切符が有利だという、確かに往復2140円のところ1640円とかなり割引になる。

と、いうことは高知駅の券売機で奈半利までの切符を買っていたら損するところだった。

阿佐線(あさせん)は、高知県南国市の後免駅から同県安芸郡奈半利町の奈半利駅に至る土佐くろしお鉄道の鉄道路線。

現地での案内や時刻表での表記などでは、すべて愛称の「ごめん・なはり線」が使用されている。

正式な起点は後免駅で、本来、後免駅から奈半利駅へ向かう列車が下りだが、JR土讃線と合わせるために列車番号は、奈半利駅から後免駅へ向かう列車が下りに付ける奇数、逆方向が上りに付ける偶数となっている。

また、誤乗防止のため「上り」「下り」の呼称は用いていない。

1時間あたり1 – 2本程度運行されている。

各駅停車のほか、快速列車が運転されている。
朝ラッシュ時の一部を除いて、1両編成の気動車がワンマン運転される。

運転パターンは後免駅 – 奈半利駅間運転の列車のほか、途中駅の安芸駅発着の区間列車が多数設定されている。

また、夕方には後免駅 – あかおか駅間の区間列車が1往復設定されている。
また、全ての快速列車と各駅停車の一部は、JR土讃線に乗り入れ、高知駅まで相互直通運転を実施している。

夜須駅~西分駅では雄大な太平洋が見られる。

各駅には、高知県出身の漫画家やなせたかしのデザインによるイメージキャラクターが設定されている。

このキャラクターは各駅に設置されたオブジェ・車両のマーキング・キャラクターグッズなどの形で本路線のイメージアップに貢献しているほか、2004年には沿線の市民グループの手で各キャラクターの着ぐるみが製作され、「ゴトゴト着ぐるみ隊」の名称で各種のイベントに出演するなどの活動を行っている。

ちなみにここ、下山駅のキャラクター名は「しもやま ちどりちゃん」 ご覧のようなイメージキャラクターが設定されている。

各駅のキャラクター名は下記の通り。

駅名    キャラクター名

後免駅   ごめん えきお君
後免町駅  ごめん まちこさん
立田駅   たてだ そらこちゃん
のいち駅  のいちんどんまん
よしかわ駅 よしかわ うなお君
あかおか駅 あかおか えきんさん
香我美駅  かがみ みかんちゃん
夜須駅   やす にんぎょちゃん
西分駅   にしぶん つきこちゃん
和食駅   わじき カッパ君
赤野駅   あかの カモメちゃん
穴内駅   あなない ナスビさん
球場前駅  球場 ボール君
安芸駅   あき うたこちゃん
伊尾木駅  いおき トラオ君
下山駅   しもやま ちどりちゃん
唐浜駅   とうのはま へんろ君
安田駅   やすだ アユ君
田野駅   田野 いしん君
奈半利駅  なは りこちゃん

目的を果たし、いよいよ帰ります。

高知から琴平まで126.6㎞を217分かけて走る。

土佐山田駅から山中に、途中人家もなく次の駅まで長い。

新改駅ではスイッチバックでアンパンマン列車待ち。

大歩危では8分停車。

8分という中途半端な停車時間では観光はできない、さりとて次の列車を待つ余裕もない。
次回のため何か解決策を見つけよう。

阿波池田では21分停車、結局、列車待ちの停車時間が高知から琴平までの所要時間、217分の30㌫以上が列車待ちの停車時間だ。

こと、ローカル線では気に入った駅で途中下車しながら旅を楽しむという青春18切符のうたい文句は嘘だ。

もちろん、その日のうちにたどり着く駅を決めずに旅すれば別だが・・・・・

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女人高野へ


橋本で「天空」に乗り換え。

「戦国BASARA×南海電鉄 夏の陣 ~真田ゆかりの地へいざ出陣~」と題して、こうや花鉄道「天空」車両に連結している自由席車両に、『戦国BASARA 真田幸村伝』の登場武将をラッピングして運行!

ワンビュー座席、4人掛けコンパートメント座席の特別仕様車両。

3枚続きのワイドな車窓から、紀の川、不動谷川や険しい山間の風景を一望。

急勾配・急曲線の山間を縫って走る先頭からの眺めを楽しめる先頭展望席からの眺め。

橋本駅 – 極楽橋駅間は山岳路線であり、特に高野下駅以南は50‰の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっているため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両が専用車両として使用されている。

終点極楽橋駅に近づきました、これが駅名の由来になった極楽橋です。

この橋は不動坂という高野山への参道に通じています。
現在の橋は1954年に架け替えられたものだそうです。

江戸・明治時代は不動橋と呼ばれていました。

京都・大阪方面から高野山への参詣道は、高野七口の1つ「高野街道京大阪道」と呼ばれ、江戸時代の末には町石道に代わって利用されました。

紀ノ川を越えてからは学文路(かむろ)から極楽橋を通り、高野山の女人堂に至る10kmの道です。

極楽橋から女人堂までの2.5kmの坂道は「不動坂」と呼ばれ、大正時代に改修されています。
「いろは坂」と呼ばれる難所を通る旧不動坂ルートが、最近調査・復元されています。

ここからケーブルカーに乗り換え、足元を流れる不動谷川の渓流、アジサイが見頃です。

2両連結の車両(コ11・21形)が最大568.2‰(29°21′)の勾配を往復している。

上り下りのすれ違い地点。

まず女人堂を訪れる、高野山の北西の入り口にある不動口にいまだのこる女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物である。

むかし、女性はここから山内に入る事が許されなかった。

目の前は高野山北西の入り口。

高野山は町全体が総本山金剛峰寺の境内です。
この門より中はお寺の境内となります。

女性は1872年(明治5年)まで、この門より中に入る事ができなかったため、門の外でも参拝ができるよう女人堂ができました。

昔、こういった高野山の入り口は七箇所あり七箇所全てに女人堂がありました。
当時の女性が高野山の外から参拝をする為の道でもあり、七つの女人堂をむすぶ道を女人道と呼ばれています。

「女人堂」のお向かいに「お竹地蔵尊」があります。

案内・・・
お竹地蔵の由来
この地蔵尊は安政年間江戸の大地震で亡くなられた人々のため、又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し身を粉にして働き蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。

建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。

女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。
お願い事は縁談、進学、子授、水子供養等をお聴き届け下さいます。

小杉明神社

その昔、越後の国に本陣宿紀(ほんじんやどき)の国屋があり、そこに小杉という娘さんがおりました。

数奇な人生を送られましたが、お大師様に救われ、尼僧になられて、女人禁制の高野山に登って来られる女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開かれ、やさしい接待をされておりました。

その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされている祠です。

現在の女人堂は現存するものだけですが女人道は現在もあります。
女人道を歩く女人堂跡巡りなどのイベントもあり、高野山を別の角度から見ることができるオススメ観光スポットです。

女人堂の前にある”お竹地蔵”の右に登山道がある。
コンクリートの急坂を登りきると、木の根が露出した昇りに変わる。

登山道はよく整備されており危険なところも、息を切らす急登もなく約20分で弁天岳(984m)に着く。

頂上には3等三角点があり、近くに嶽弁財天社と避難小屋がある。
降りは大門へのルートをとる。

幾つもの赤い鳥居を潜り ながらなだらかな坂道を辿れば約15分で大門に到着する。

高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。

開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。

山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。

五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。

正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。
この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。

また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。
この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。

今を盛りとアジサイが咲き誇っています、大門の赤の建物とよくマッチしています。

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小さな旅


人はいつも旅立つ。
小さな旅かもしれないが旅が好きだ。

旅は人を愉しくさせまた時に寂しくさせる。

列車を待つ間の静かなひと時。

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前田利長公隠居の地高岡を訪ねる 高岡山瑞龍寺

今回は北越の名城を訪ねる2泊3日の旅です。

最初の訪問地高岡まではサンダーバードです。

車窓からの琵琶湖、先日大津プリンスホテルからの眺めとはまた違ったアングルで眺めています。

前日までは雨の天気予報であったが今のところ大丈夫かな。
しかし、強風で金沢以北の特急列車は運航休止とか。
高岡からはバスの旅です。

最初に前田利常開基の瑞龍寺(ずいりゅうじ)を訪れます。

八丁道は瑞龍寺から前田利長墓所まで続いている道。
長さが八丁(約870m)あるので八丁道。

瑞龍寺の参道のようでもあるが、参道脇にお店が並んでいるわけでもなく、きれいに整備された遊歩道といった感じ。

参道の途中に前田利長公の像。

利長は慶長10年(1605年)、44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594年 – 1658年)に譲り、自らは隠居した。
利長には実子がなかったため、30歳以上年下の異母弟で、当時まだ少年であった利常を養嗣子としたのである。

隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築いた。

総門
重要文化財。
正保年間に竣工。正面幅三間の薬医門形式

山門
国宝。
正保2年(1645年)竣工、万治年間に場所を移して建てかえられたが、延享3年(1746年)の火災で焼失後、長らく仮の門が建てられていた。

現存する門は文政元年(1818年)に上棟、同3年(1820年)に竣工したものである。
二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、屋根は入母屋造、。

二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。
これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。

下層には金剛力士(仁王)像を安置、上層内部には釈迦如来と十六羅漢像を安置する。

禅堂(僧堂)
重要文化財。
延享3年(1746年)に焼失したが直後に再建された。

大庫裏
重要文化財(北回廊の一部として)。
結露を防ぐために天井には漆喰が塗られ曲線になっている。
建物正面に韋駄天尊像が安置される。

南西回廊の奥に前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。
かつては七間浄頭(東司)と浴室もあり、七堂伽藍がそろっていた。

前田利長公は、本能寺の変の後に織田信長公父子の分骨を迎え、その霊を慰めたと伝えられています。
利長公の菩提寺である瑞龍寺を造営した時、開山 広山恕陽(こうざんじょよう)禅師が利長公父子も加えて同じ形式の五基の廟を建造したのがこの石廟の由来です。

仏殿
国宝。
棟札により万治2年(1659年)の竣工とわかる。

入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。

鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。

鉛製の瓦は全国においても金沢城石川門にその例を見るだけである。

山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つで、総欅造りである。

仏殿の須弥壇に安置された釈迦三尊の上部に、蓮の繊維と絹糸で織られたもの伝えられる布製の天蓋があります。

瑞龍寺に安置されている烏瑟沙摩(うすまさ)明王の像は国内最大級。

便所は昔より「怨霊や悪魔の出入口」と考えることがありました。
不潔な場所であり怨霊の侵入口でもあった便所を炎によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり「便所の清め」の功徳として有名となりました。

この烏瑟沙摩明王はお世継ぎ誕生の法力もあるといわれてます。

後で気が付いたのですが、撮影禁止とありました、「ごめんなさい」
でも、折角なので皆さんにも見ていただきたい。

高岡大仏は富山県高岡市の大佛寺にある銅造阿弥陀如来坐像。

総高15m85cm、重量65トンの大きなスケールは、銅器日本一の高岡の象徴的存在です。
高岡は、梵鐘・銅像・花器・茶器・美術工芸品などのさまざまな銅器製品の産地です。
日本国内シェアが90%を超える日本一の銅器の街です。

1933年、歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われる。

台座の内部には回廊があり、中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。

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瑞龍寺への悪政、行き方歩き方

瑞龍寺公式サイト

住所:富山県高岡市関本町35
電話:0766-22-0179

JR北陸本線高岡駅から徒歩10分
能越自動車道高岡ICから車で10分