舞子海上プロムナード


神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道、展望台が設けられている。
橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで上り海面からの高さ47mへ上がり、そこから海側約150mまで行ける。

途中、床が透明になっている部分もあり、直接海面を望める。

プロムナードからの展望。

手前から孫文記念館、旧武藤山治邸、アジュール舞妓。

ライフラインの面では、明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが収納されている。

これまで、淡路島は慢性的な水不足に悩まされていたが、水道管が設けられ水の安定供給が実現した。

最狭部の幅が3.6kmで最深部は約110mである。海峡としては狭い部類に入り、さらにその内1.3kmが潮流の主流部である。

主流部の淡路島側(南側)に最も潮流の強い部分があり、大潮のときには主流部の流速の1.4倍に達して最大7kt (13km/h)を超え、松帆崎からは川のように流れるのが見られる。

潮流の速さに加えて船の往来が多いため、人間が泳いで横断するのは自殺行為だ。

日の出の瀬戸内航路
早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。 低い雲間からの日の出。 … 続きを読む →

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。

イヤニチによって回転しぶつかる海流が生む「潮目」が湧昇流となり、深みに沈む窒素やリンなどの海の栄養源を海面に届けている点。

この海流が砂礫・岩礁やごろ石といった底質を持つ砂の丘陵地帯を形成し、日本でも有数の漁場鹿ノ瀬を生みだしている。

ここでは、植物性プランクトン・海藻類が発生し動物性プランクトンが繁殖。
これに鯛やイカナゴの稚魚、さらにスズキ・ハマチ・サワラが集まる。

2つ目がイヤニチは浅い漁場をつくり、栄養源と酸素を供給し、いわば天然の生簀となっている点。

砂地は瀬戸内最大のイカナゴの産卵生息地であり、豊富なカニやエビなどの甲殻類は、真鯛やメバル・マダコの好物として集まる。

ちなみに「イヤな満ち潮」から「イヤニチ」「イアイニチ」「イヤニツ」などと呼ばれるようになった。

画像はどんどん明石港を目指す渡船。

当海域(播磨灘)の1km四方の年間漁獲量は37.8tである。

日本海は1t未満であり、ペルシャ湾は0.3tであるからも、当海域の漁獲高がいかに大きいか分る。

ただ近年では、漁場の海砂の採取、乱獲、海中構造物・海岸構築物のイヤニチへの影響、ひいては鹿ノ瀬などへの波及などが懸念されている。

画像は明石港を目指す渡船。

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孫文記念館


ノスタルジックな面影を漂わす3階建ての八角堂がシンボルの「移情閣」は、大正4年に神戸の貿易商・呉錦堂が建てた別荘。

昭和59年には「孫中山記念館」として一般公開され、かつてここを訪れた中国革命家孫文に関連する資料を展示しています。

辛亥革命の父と仰がれる孫文(孫中山)を顕彰する日本で唯一の博物館として、神戸潜伏中の彼をかくまった川崎重工業の松方幸次郎との縁もあり、1984年に開設された。

建物は、華僑の貿易商で相場師の呉錦堂(1855年~1926年)の舞子海岸にあった別荘・「松海別荘」内に1915年に建てられた八角形の中国式楼閣「移情閣」(六角に見えることから六角堂と通称される)と付属棟などである。

中華民族から国父と仰がれている孫文が好んで揮毫した「天下、公に為す」、それは中華民族への訓語であり覚醒を促すものである。

「衣食足りて礼節を知る」とはあるが、当時の中国は英仏をはじめとする横暴なる干渉に唯々諾々と応じざるを得ない満州族(清朝)の衰退は、香港割譲や治外法権がまかり通る居留地、あるいは不平等条約など国権治世が風前の灯となっていた。

付属棟2階の内部

移情閣一階天井龍

解体中であったことが幸いして、翌年1月の阪神・淡路大震災では被害をまぬがれた。

移情閣の階段 金唐革紙で飾られた壁

楼閣の「移情閣」という別称は、窓から六甲山地、瀬戸内海、淡路島、四国と「移り変わる風情」を楽しめることから名づけられた。

イギリス人建築家アレクサンダー・ネルソン・ハンセルの弟子・横山栄吉の設計で、八方どの窓からも違った景色に出合い、我を忘れる、ということから「移情閣」と名づけたとも言われる。

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ちいさい秋見つけた

今年は彼岸になっても、汗ばむくらいの日が多くヒガンバナの開花も遅れている。

ここ長居公園では鳥の撮影に訪れた人も来月まであかんなアとあきらめ顔。

公園で秋の訪れをたずねた。

ニシキハギはビッチュウヤマハギと同種とされることもあるが、ニシキハギは野生種であるビッチュウヤマハギが栽培されている間に他の種と交雑をして生じたいろいろな型の雑種の集合と考えられる。

花期は8〜10月。

高円の野辺の秋萩このころのあかとき露に咲きにけむかも
                  大伴家持 巻八 1605

ススキ

夏から秋にかけて茎の先端に長さ20から30cm程度の十数本に分かれた花穂をつける。

花穂は赤っぽい色をしているが、種子(正しくは穎果・えいか)には白い毛が生えて、穂全体が白っぽくなる。

種子は風によって飛ぶことができる。花穂はオギ(荻)に似ているがススキは株立ちになっており区別できる。

我が宿の  尾花が上の白露を消 たずて玉に貫くものにもが        大伴家持 巻8-1572

カラタチの実は、皮も硬く、種も多くて、酸味が強く、苦味があるから、食用には向いていない様子。

トチの実

木の実の中でもアクが大変強く、直接食べることはできません。

アク抜きをした栃の実の味はわずかなエグミと、ホクホクとした食感があります。

お米のない時代に主食として食べられてきたということもあり、デンプン由来の優しい甘みが特徴です。

カリン 

秋に収穫される大きな黄色の果実には、たんやせき止めの効果があり のど飴にも使用されています。

日陰でネコが昼寝・・・・のどかな風景だ。

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ヒガンバナ咲く


長居植物園、今年は彼岸花の開花がおくれている。

やっと咲き始めといったところ。

彼岸花は形状やイメージ的に、ローキーで撮りやすくハイキーでは撮りづらい。

今回はあえてハイキーで撮ってみた。

別名は曼珠沙華、学名からリコリス・ラジアータとも呼ばれる。

中国原産で、日本全国の道端や田んぼのあぜなどに群生し、秋の彼岸のころに、花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花だけが咲き、秋の終わりに葉が伸びて夏に枯れるという、多年草としては珍しい性質を持っている。

地下の鱗茎(球根)に強い毒性がある有毒植物であるが、かつて救荒作物として鱗茎のデンプンを毒抜きして食べられていた。

彼岸花の名は秋の彼岸頃、突然に花茎を伸ばして鮮やかな紅色の花が開花することに由来する。
別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。

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旧武藤山治邸


明治40年に鐘紡の中興の祖と言われ、衆議院議員として活躍した武藤山治が舞子海岸に建てた住宅を再現した西洋館。

オリジナルの建物は洋館に和館がくっついた和洋折衷の建物だったが、今の場所には洋館のみ移築されている。

ちなみに、当時、住人は普段は和館に住んでいて、来客時に洋館を使用していたという。

建造材の大部分や外装材の一部は新材で再現されているものの、建具や内装の仕上げ材は当初のものが使われている。

平成7年、幸いにも阪神大震災に解体中であったため、ステンドグラス・窓ガラス・暖炉・家具なども当時のものがそのまま残っている。

窓からは、明石海峡大橋や淡路島の美しい景色が楽しめます。

手を触れないでとかの注意書きがやたらと多い中では、それらの表示もほとんどなく気持ちよく見学できる。


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アジュール舞子の夕日

「アジュール舞子」という愛称は、一般公募によってつけられました。

フランス語でアジュール(azur)は「青」。

舞子海岸が南フランスのコートダジュールのような美しい砂浜に復元され、憩いとふれあいの海辺となるよう、期待を込めて名付けられました。

かつて「舞子の浜」と呼ばれた、白砂青松の景勝地を復元した海浜公園。

明石海峡大橋や淡路島を望む公園で、海釣りやバーベキュー、ウォーキングを楽しめます。

また夏には海水浴場となり、神戸市内にありながら水質の良い海で遊泳することができます。

明治天皇は舞子をこよなく愛され、1885年以来7回も行幸された。

当時は立派な料理旅館などが並んでおり、ひときわ立派な「亀屋旅館」(廃館)がよく御在所になったという。

松林の中に歌碑があり3首 刻まれている。

はりまがた 舞子の浜の はま松の
かけに遊びし 春をしぞ思う

はりまがた 舞子の浜に 旅寝して
見し夜こひしき 月の影かな

あしたつの 舞子の浜の 松原は
千代をやしなう  処なりけり

明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。

雄大な橋に向かって沈む夕日は素晴らしいものです。

海の色が素敵だと思いませんか?太陽の光を反射して、きらきら輝いています。

アジュール舞子は針の形のビューポイントが目印!

この「ピンホール(針穴)」の目印は、西宮市の建築家、岩橋翼さんがデザインしました。

高さは約170センチ、針穴の部分から景色をのぞいて楽しむこともできます。

江戸時代、「東海道五拾三次」を描いた安藤広重(1797~1858)は、「播磨舞子の浜」(口絵)で舞子浜の美しい海岸風景を描いています。

また、志賀直哉(1883~1971)は「暗夜行路」のなかで、「塩屋、舞子の海岸は美しかった。

夕ばえを映した夕なぎの海に・・」と舞子浜の様子を描いています。

大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達します。

肉眼で泳ぐ魚も確認することができる、アジュール舞子の海は、水質調査が開始された平成17年から13年連続で最高ランクの透明度である「全透(1m以上)」と判定されています。


そろそろブルーモーメントの始まりです。

沖をシティライントラベル 1便の船が新門司へ向かっています。

幾度もこの海峡は船で通過しました船旅をご覧ください

孫文記念んがシルエットで浮かびます。

すっかり陽も落ちました、そろそろ家路へ。

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初秋 大阪市大植物園


9月、何かと、秋を感じるようになって来た、今日この頃、植物園でも、夏から秋“華やかさ”から“すがすがしさ”へと季節の変化が始まりました。

パンパスグラス、南米ブラジル原産の多年草で切花やドライフラワーに用いられます。

メタセコイアは1941年に当植物園の元園長、故三木茂博士が化石植物として命名し、後に、中国の四川・湖北省に生き残っていることが発見されました。

北米や中米の砂漠植物として知られたリュウゼツラン(アガーベ)、キミガヨラン(ユッカ)の類を主として、乾燥気候地の植物景観をあらわしています。

リュウゼツランの仲間はメキシコに多く、海抜2,000m以上の高原に育つため乾燥や寒さに強く、この付近でも越冬することが可能です。

また、少しずつ形の違うキミガヨランの仲間も育っています。

シュロ、ブラジルヤシ、ヤタイヤシ、カナリーヤシなどのヤシ科植物のほか、ニューサイラン、ニオイシュロラン、タイワンソテツ、バショウなどが植栽され、独特の景観を作りだしています。

タケやササは、地下茎(地中に生える根茎)が伸びる植物で、品種同士が混ざらないように冬の作業の一つとして、伸びた根茎の除去作業を行っています。


日本に自生している約600種の樹木のうち、約250種を「常緑広葉樹(照葉樹)」、「落葉広葉樹」、「針葉樹」の順で奥に向かって配置しています。

今、植物園では様々な木が実を付けています、収穫の秋です。

画像はクヌギの実

実は他のブナ科の樹木の実とともにドングリと呼ばれる。

ドングリの中では直径が約2cmと大きく、ほぼ球形で、半分は椀型の殻斗につつまれている。

殻斗の回りにはたくさんの鱗片がつく。
この鱗片は細く尖って反り返った棘状であり、この種の特徴でもある。実は渋味が強いため、そのままでは食用にならない。

大阪と近郊の水辺の植物には、開発による生育地の消失や水質の悪化などにより絶滅の危機に瀕しているものが少なくありません。

この場所では、そのような植物を含め、約80種類の水生植物が鑑賞できます。

画像はディレクターG・T・ムーア、紫色の代表種、繁殖ががやや弱い。

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自然史博物館


人間をとりまく自然について、その成り立ちやしくみ、その変遷や歴史について、研究、資料収集、展示、普及教育活動を行う博物館施設。

現在博物館が位置する長居公園内に開館したのは1974年(昭和49年)4月であるが、その前身である旧自然科学博物館は1950年(昭和25年)11月に大阪市立美術館内に開設した。

枕状溶岩

まず、海底で高温の溶岩が海水に触れて急冷される。

そして、急冷された部分には筒状の薄い殻ができる。

しかし、内部はまだ溶けたままであるため、次々と溶岩が流れ出ると、押されて殻が破れ、再び海水と触れて殻ができる。

こうした出来事が続くことによって形成される。

従って枕状溶岩の存在は、その形成の場が水底であったことを示す証拠となる。

展示室内部

オルニミムス類

全長は約3.5メートル。オルニトミムス類の中でも最も早く記載された属であるが、生息年代はグループの中でも最後期にあたる。

グループの名称の元になった属であるが、化石資料はストルティオミムス(ダチョウに似たもの、の意)の方が豊富であり、オルニトミムス類として知られる特徴はこちらによるところが大きい。

翼竜

翼竜が最初に報告されたのは1784年、イタリア人博物学者コジモ・アレッサンドロ・コリーニによってであった。

当初はその分類の帰属や生態にさまざまな説が飛び交い、哺乳類や水生動物であると考えられていたこともあるが、初めて翼竜が空を飛ぶ爬虫類だとしたのは、19世紀のフランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエである。

これまでに60以上の属が発見されている。

プロダクティルス

現在の所、最古の翼指竜亜目の一つでもある。

翼指竜亜目の祖先が嘴口竜亜目であることはほぼ確実であるが、プテロダクティルスは短い尾・長い首・短縮した第5趾・伸張した中手骨・癒合した前眼窩窓と鼻孔など、すでに翼指竜亜目として完成した体制を持っており、嘴口竜亜目の特徴を伺わせる部分は既に全くない。

イノセラムス

絶滅した二枚貝で,白亜紀には世界中に分布.日本の白亜紀の地層からも多く産出し、アンモナイトとともに白亜紀の重要な示準化石である。

その殻には、殻頂を中心とした同心円状の肋が発達しているのが特徴である.

ウミネコ

冬季になると中華人民共和国東部などへ南下し越冬するか、ロシア南東部や朝鮮半島では周年生息する。

日本では周年生息(留鳥)するが、冬季になると北海道や本州北部で繁殖する個体群は南下する個体が多い。

ヤベオオツノジン

発見された化石の分布から、日本列島のうちで北海道から九州までに分布していたと考えられている。

大陸にはいない日本固有種で、ナウマンゾウとともに更新世の日本の代表的大型哺乳類であった。

チョウセンイタチ

毛皮業者が養殖の為に持ち込んだものが、その後養殖場から逃げ出して、それ以後西日本を中心に分布を広げている。

また、ネズミ等の害獣駆除のために放獣された場所もある。

在来種であるニホンイタチと比べて体が一回り大きく、移入した場所ではチョウセンイタチが優勢になり、ニホンイタチを山間部に追い込んでいる。

また、住宅地に適応し、ニワトリ等の食害や、家屋に侵入して糞尿や騒音の問題を引き起こしている。

ナウマンゾウ

日本に生息していたゾウの1種である。

様々な説があり、はっきりとした年代は不明だが遅くとも65万年 – 42万年前頃にはすでに出現していたのではないかと言われている。

約2万年前頃から衰退し約1万5000年前の新生代更新世後期まで生息していた。

ゾウ目ゾウ科に属し、現生のアジアゾウと近縁である。

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昭和レトロ


「天保山マーケットプレース」に大阪万博(昭和45年開催)を目前にした、“大阪がもっとも元気に光り輝いていた時代”昭和40年前後の“元気な大阪”を演出テーマにしたなにわ食いしんぼ横丁がある。

50代以上には懐かしく、若い世代には新鮮に映る、古きよき日本がここにある。

懐かしい映画のポスターの数々。

オート三輪も懐かしい。

大阪のたこ焼きは、昭和8年会津屋の初代遠藤留吉が、肉、葱、蒟蒻などを入れて焼いたラヂオ焼きがはじまりです。

昭和25年、大阪桃谷の地で創業の大阪名物「いか焼き」元祖のお店もある。

創業1910年。

大正から昭和にかけて大阪を舞台に書かれた織田作之助の小説「夫婦善哉」にも登場する元祖「ソースをかけて混ぜる」東京にはない味、大阪市民の好物、名物カレーの自由軒。

大阪人がカレーにソースをかけるのは、自由軒がルーツです。

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雨の日 長居植物園


1週間ぶりの長居植物園、今日は撮影会、午後から雨になりました。

サギが群れています、鵜も多いのです。

雨でしっとり感がとても素敵です。

今日はいつもとは逆回りです、植物園のおしゃれカフェ「HANDSOME bot GARDEN(ハンサムボットガーデン)」に寄ってみました。

no bad day ・・・・「まぁまぁかな。」くらいの意味かな。

いつもは弁当持参ですが、今日はこちらで昼食にしました。

本当は景色を眺めながらデッキで…というところですが、今日は雨で使えません。

雨で誰もいません、南国のコテージ!?のソファーを独り占め。

植物園ならではの広いスペース。

好きな場所で食事やお茶がいただける段取りです。

前を行くのは外人さんのグループ、ちっちゃな子供がかわいい。

程よい湿り気の散策路、気になっている場所に向かっています。

小池のほとりヒガンバナの群生地。

先週来たときはまだ芽が出たばかりという状態でしたが、今日ははちゃんと咲いていました。

雨に濡れた岩、このグラデーション・・・・、何とも言えない。

素敵な小径、分け入ってみます。

ガーデンキッチンまでやってきました、コキアがきれいです、秋になると赤く紅葉してくれます。

そろそろ散策も終わりです、気持ちのいい小径を出口に向かいます。

大池の畔の大花壇、今ちょうどヤナギがきれいな時期です、雨に濡れて生き生きとしています。

いつもはここからスタートして大池を時計回りに巡ります、今はサルスベリが真っ盛りです。

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