来迎院


来迎院は京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派に属する仏教寺院。
山号は明応山。本尊は阿弥陀如来。泉涌寺の塔頭。

寺伝によれば、大同元年(806年)に空海(弘法大師)が唐(中国)で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされる。

なお境内一角に赤穂義士・大石義雄建立の茶室「含翠軒(がんすいけん)」があり、念持仏・勝軍地蔵尊は本堂に祀られている。

院内庭園には小さいながらも独特の雰囲気をかもし出しており、殊に晩秋の紅葉はすばらしい。

秋の紅葉めぐり 禁裏御菩提所泉涌寺別当 来迎院
来迎院(らいごういん)は京都市東山区にある真言宗泉涌寺派に属する仏教寺院。 山号 … 続きを読む →


弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水したという伝承のある「独鈷水」は、縦穴の井戸ではなく、崖の下の部分から横方向に伸びる洞窟のような形状をしており、柄の長い柄杓を用いて汲み上げる。

伝承によれば、霊元天皇の寵愛を受けた女官、小少将局の娘は生まれつき目が不自由であったが、独鈷水で目を洗うと良いというお告げに従ったところ、たちまちにして目が治ったと言われる。

祈願の御石 境内に立つ弘法大師像の脇に祈願の御石が積まれている。
石に願い事を書いて、像を3回廻り、立石の梵字に当て祈念し、石を奉納する。

弘法大師像

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善能寺


久し振りの訪問です。

この寺は一説によれば、元は西八条猪熊二階堂町にあった二階観音堂と呼ばれていた寺であったが、弘仁14年(823年)に空海がこの寺に稲荷大明神(荼枳尼天)を祀って寺の名称を善能寺に改めたという。

その後、平城天皇の勅願寺となったこともあるが、天文24年(1555年)に後奈良天皇の命で泉涌寺の塔頭とされ、今熊野観音寺の西北に移された。

泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所である。

ところで泉涌寺と言えば天智天皇と光仁天皇から昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に至る歴代天皇皇后の尊牌(位牌)を安置し、御寺と呼ばれているわけだがなぜか天武以後称徳女帝までの8代7人の天武系の天皇の位牌が無いのです。
この辺りから当時の時代背景を辿ると面白いことだらけだ。

そして、何よりも紅葉がきれいなのである。
秋の紅葉めぐり 御寺(みてら)泉涌寺
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちり … 続きを読む →

もちろん善能寺も隠れた紅葉の名所だ。

秋の紅葉めぐり 泉涌寺塔頭 善能寺
善能寺(ぜんのうじ)は、京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひ … 続きを読む →

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今熊野観音寺


参道を進むと朱塗りの「鳥居橋」があり、橋の傍に『今熊野観音寺』と刻まれた石柱が立てられているのが見える。

ここから奥が観音寺の境内になっているように思われるが、通常の寺院に見られるような山門がない。
観音寺は泉涌寺の塔頭であり、そのため山門が設けられていないのかも知れない。

観音寺は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。

泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺とも称される。山号は新那智山。

秋ともなるとここは隠れた紅葉の名所。

紅葉の穴場、新那智山 今熊野観音寺
東福寺のあまりの混雑にビックリされて途方に暮れた方、大丈夫です。 近くに、今熊野 … 続きを読む →


杉並木の傍の参道を通り抜け境内を奥に進むと、先ず目につくのは「子護大師像」。
像は観音寺の開基である弘法大師の姿であろうと思われる。

階段を上がり振り返ると子護大師像の大きな背中が。

空海が唐で真言密教を学んで帰国した翌年にあたる大同2年(807年)、東山から光が出ているのを見つけた空海は、不思議に思って当地にやってきたところ、老人の姿をした熊野権現が現れた。

熊野権現は空海に天照大神御作の一寸八分の十一面観音菩薩像を手渡してこの地に一宇を建ててこの観音菩薩を祀り、衆生を救済するようにと言った。

そこで空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、授かった一寸八分の像をその体内仏として中に納め、熊野権現の言うようにこの地に一宇を建てて奉安した。

これが当寺の始まりであるとされる。

現在、この観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。

観音寺は「頭の観音」といわれているように、「ぼけ封じ祈願」の寺としてよく知られている。

「ぼけ封じ観音」の台座の近には多数の「身代わり石仏」が置かれている。

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雨の日 十輪院を訪れる


予期せぬ雨になってしまった、久しぶりに十輪院を訪問。

本堂(国宝)
この建物は内部にある石仏龕を拝むための礼堂として建立された。
近世には灌頂堂とも呼ばれていた。

石造不動明王立像

鎌倉期の作、高さ205センチメートル、一部に彩色が残る。

ここには川島英五が眠る。

ハギはやや早いかな、雨に打たれている。

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懐かしきかな


本薬師寺跡に行く途中、ポポーを見つけた。

田舎で父親が育てていて、子供のころよく食べた、それ以来見かけることもなかったが懐かしさのあまりかけよった。

ポーポー(英語: Pawpaw、学名:Asimina triloba)は、バンレイシ科に属する落葉高木。
果実を食用とする。
北米原産。明治期に日本に持ち込まれた。

ポポーやポポーノキ、ポポ、アケビガキとも呼ばれる。

春に腐肉臭のする紫色の花をつけ、秋には黄緑色の薄い外果皮を持つ果実をつける。

果実は大小不揃いになりやすいが、小さくとも完熟する。完熟すると木から自然に落下するが、その時から数日後香りが強くなってきた頃が食べ頃である。

果肉は黄色から薄いオレンジ色でねっとりとした食感。とても甘く、香りが強い。
この強い芳香のために、人によって好き嫌いが別れる。中には多数の黒い種子がある。

日本では明治頃から富豪の屋敷で栽培が始まり、細々と実生苗が出回った(高価で)。
戦後には主食として食べる家もあったという。

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畝傍山を借景に14万本のホテイアオイ


今年も国の特別史跡に指定されている本薬師寺跡周辺(橿原市城殿町)の休耕田に、約14,000株のホテイアオイが見られる。

西方に目をやれば名勝大和三山の一つである畝傍山がそびえ立っており、この山を背景にカメラを構える。

夕日とのコラボが楽しめる夕方がおすすめ。

ホテイアオイは葉柄(ようへい:茎の根元)の中央部がふくれ、これが浮き袋の役割をしています。

名前の由来は、この姿を七福神の一人「布袋様(ほていさま)」のお腹に例えたもの。

蕾(つぼみ)が朝の太陽の日ざしにより花開き、夜になると萎んで、翌朝にまた新しい蕾が花開きます。

特に日ざしが強い日は開花が多いようです。

その涼しげなすみれ色の花は、素朴な農村景観に艶やかな風情を醸し出す。

どこからともなくカモが飛来、目の前をスイーッと泳ぎ飛び去りました。

もしかすると散歩している黒い豚さんに会えるかも。

ヒガンバナとのコラボ、満開まであと少しか。
8月中旬にはハスとのコラボが楽しめる。

現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。

天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。

完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。

藤原宮が完成したのと同じ時代に建設されたので、藤原薬師寺とも呼ばれている。

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メリケンパーク

神戸港事業の一つとして、1987年(昭和62年)にかつてのメリケン波止場と神戸ポートタワーが建つ中突堤の間を埋め立てて造成された。

そこに神戸海洋博物館、ホテルオークラなどが建設されて、現在においては神戸港を代表する景観の一つとなっている。

北側には1987年(昭和62年)に著名建築家フランク・ゲーリー作の「フィッシュ・ダンス」という開港120周年を記念するオブジェが設けられ、中央芝生には1990年(平成2年)に第1回神戸ファッションフェスティバルを記念する鐘楼「オルタンシアの鐘」が設置された。

東側の一画には、1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で崩壊したメリケン波止場をあえて復旧せずそのまま残して、1997年(平成9年)に神戸港震災メモリアルパークとして整備され、震災の貴重な記録が保存されている。

メリケンパーク入り口近くにある像「ローマの公園」

神戸海軍操練所は江戸時代・文久3年(1863)3月、幕府海軍奉行並であった勝海舟は「この村に海軍の仕官育成の機関を建設したい。」と将軍家茂に直談判。

これにより幕府が神戸に海軍操練所を設立。

操練所は幕臣たちが学ぶ海軍の養成機関です。

これに隣接し、諸藩の志士を集めた「神戸海軍塾(勝塾)」が設置された。

勝海舟に見出され、塾頭として入所し操船術を学んでいたのが坂本竜馬。

2年後の慶応元年(1865)に海舟更迭とともに神戸海軍操練所は閉鎖。

明治に入り、海軍操練所跡は税関に変わり、神戸港の発展が始まります。

現在の神戸市中央区新港町周辺にあったと言われており、京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑 が建てられています。

メリケンパーク内には神戸海援隊の碑が海に向かって建っています。

1987年5月.シアトル港より姉妹提携20周年を記念して神戸港に贈られた。

白頭鷲(アメリカの国章)と、紅鮭(シアトル地方に多く生息)をあしらったもの。

メリケンパークの入り口にあります。

フィッシュ・ダンスは、神戸港のメリケンパークに建つ高さ22mの巨大な鯉のオブジェ。

1987年(昭和62年)に神戸開港120年を記念して設置された。
世界的建築家フランク・ゲーリーが設計を、同じく安藤忠雄が監修を担当した芸術作品。

亜鉛メッキ製金網の表面に赤錆が発生したことで、1999年(平成11年)に一般社団法人神戸港振興協会が錆対策のためにとシルバーからピンクに塗り替えたが、「作品への侮辱」と建築家らからの批判を受け、2005年(平成17年)に竣工当時のシルバーに戻した。

別名「KOBE FISH」。
全体を表現する金網は奥谷金網製作所が手掛けた。

この場所は鯉川の川尻に当たり、鯉が踊っている姿をモチーフにしている。

隣に「フィッシュダンスホール」という多目的ホールが同時に建てられ、現在は「フィッシュダンスカフェ&ホール」となっている。

多目的ホールは社団法人一般社団法人神戸港振興協会が運営する「フィッシュダンス音楽練習場」として利用されている。

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外国人旧居留地 15番館界隈


神戸市立博物館

神戸市立南蛮美術館と神戸市立考古館が統合し、1982年(昭和57年)に開館した。

「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマとし、国宝を含む考古学資料や古地図、「聖フランシスコ・ザビエル像」や「織田信長像」、「豊臣秀吉像」といった著名な美術品、および金山平三や小磯良平ら神戸ゆかりの芸術家の作品等、約5万点を所蔵・展示している。

平成31年(2019)11月1日まで、工事のため休館中。

旧アメリカ合衆国領事館。

旧居留地に唯一現存する居留地時代(1868年~1899年)の建築物で、国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されている。

重要文化財指定名称は「旧神戸居留地十五番館」。

開港場の都市基盤整備として外国人居留地に敷設された煉瓦造の下水渠で明治5年に竣工、近代下水渠としては横浜と並び国内最初期のもの。

下水渠は円型管(口径900mm、2条、延長計817.3m)及び卵型管(口径460×600mm、4条、1,072.6m)で、使用された煉瓦は兵庫県明石方面で焼成された国産品が用いられている。

明治14年頃に建設され、居留地時代に建てられた商館として唯一現存する旧居留地十五番館(重要文化財)の東面道路に一部が現存しており、そのうち延長約90mの間は雨水幹線として現在も供用されている。

外国人居留地時代の標柱

現在の大丸百貨店の南あたりは安政5年(1858年)締結されたアメリカ合衆国をはじめとする5箇国との修好通商条約により設けられた外国人居留地の跡。

この標柱はその第15番館と第16番の区画の境界を表す石柱で、石柱の下部には1番と16番区を分ける表示が見て取れるとおり、当地区の歴史を語る貴重なもの。

商船三井ビルディング

旧居留地の南、海岸通に面して建つアメリカルネサンス様式のこのビルは渡辺節の設計、内藤多仲の構造設計によるもの。
竣工当時は数少ない7階建てという「高層ビル」であった。

東京の丸ビル(先代)、大阪市のダイビル(大阪ビルヂング)本館亡き今、大正期の大規模オフィスビルとして現存するものは本物件のみとなっている。

外観は1階部分がルスティカ仕上げの石積みで最上部に半円形のペディメントを有する意匠で、建物内部も欧米スタイルで統一され、天井が高く廊下が広い。

貨物用として1台のみ残されている手動式エレベーターは米国A.B.SEE社製、自動着床装置なしの完全手動駆動、扉は外扉が窓付き鋼製、籠扉が真鍮製伸縮扉(俗に蛇腹式という)、インジケーターも半円形時計式という創建時のスタイルそのままである。

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神戸ランプミュージアム

1999年に開館、館蔵品は旧「北野らんぷ博物館」から受け継いだ「赤木コレクション」を基礎とした。

館内のメインストリート「あかりのミュージアム・ウォーク」では、灯火器の貴重なコレクションを通じて、その変遷を時代とともに展覧できた。

運営していた関西電力の経営効率化の一環として2013年4月から2018年7月まで臨時休館となったが、2018年7月18日に新たな展示物を追加し、再開館した。

あかりと人の関わりを描いた昔話や童話をモチーフにしたディスプレイ。

画像は「つる女房」

「雪女」

「銀河鉄道の夜」

芝居小屋の灯り

フランスの工芸家エミール・ガレにまつわる展示もあり、アール・ヌーボー芸術のファンにも嬉しい内容になっている。


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外人居留地68番館 界隈


旧居留地は明治時代、貿易を中心に神戸で活躍した外国人たちが暮らした地区。

整然と区切られた通りでは「東洋一美しい」と讃えられた旧居留地の面影を、今でも感じることができます。

壁に大きな人の顔、ユニークだね。

ホテルビアマーレには「居留地倶楽部」なんてレストランもある。

京町筋沿いにあるイタリアの高級車ランボルギーニ神戸店の店頭前に外人居留地68番館の門柱を発見。

説明板には下記のように書かれていました

「外人居留地68番館の門柱

この地域一帯は慶応三年(一八六八年)十二月七日の兵庫開港によって設けられた外国人居留地の跡である。

京町68番地は明治二年(一八六九年)に競売されオランダ人ハルトマン・ヘルツが百坪当り二百一円二銭五厘で落札した地所である。

明治四年ごろには早くもれんが造りの倉庫が建てられていた。

この門柱は明治十五年ごろこの地に住んだエッチ・ショニングの住居前に建てられたものと推定される。

開港当時の外国商館の面影をしのばせる貴重な文化遺産としてここに保存するものである。
 昭和四十六年八月 
    神戸市長 宮崎辰雄」

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