春の六甲高山植物園


六甲山上も春です、新緑とオオヤマザクラのコラボがきれい。

ユキモチソウ。

サトイモ科テンナンショウ属の多年草。
花の中央に雪のように白い餅に見える付属体があることから雪餅草と呼ばれる。

今植物園では「珍奇植物展~ユキモチソウとその仲間たち~」という展示が行われている。

ユキモチソウの仲間、ウラシマソウ、何やら花の中から細長い糸状のものが外へ向かって伸びています。
この様子を浦島太郎の釣り糸に見たてて、ウラシマソウという名がついたそうです。

ショウジョウバカマ。

葉は広い線形でなめらか、根本から多数出てロゼット状に平らに広がる。

花茎はその中から出て高さは10~20cm、先端に横向きに花が付く。
花の色は生育場所によって、淡紅色、紫色、白色と変化に富んでいる。

イワヤツデ。

葉の形が ヤツデに似ているというのが名前の由来。
別名タンチョウソウ(丹頂草)。
これはつぼみが丹頂鶴の頭のように赤いことから。

トガクシショウマ(戸隠升麻)。

長野県の戸隠山で最初に採集されたので、トガクシソウ(戸隠草)の名がある。
また、日本人によって初めて学名がつけられた植物。

2個の茎葉の間から散形状の花序を出し、淡紫色の径約2.5cmになる花が3-5個つく。

オオバキスミレ。

山地や林内、湿った草地に生える多年草。
葉は先端が尖った卵型で、基部はハート型に引っ込んでいる。

縁に波状の鋸歯がある。下の葉は離れて付く。
花の距は非常に短く、また花弁の内側に白い毛がある。

ロードデンドロン・アルボレウム。

ヒマラヤに生育する高さ30mにもなる常緑樹。

ヒマラヤでも人口密度の高い、標高1,000m~2,000mあたりに多く分布し、ネパール王国の国花になっている。

花色は変異が多く、深紅色~淡紅色まで株によって様々。

プリムラ・デンティキュラータ、和名はタマザキサクラソウ。

オオバナノエンレイソウ。

日高や道東地方のエンレイソウは、林のなか一面に大群落を形成する。
見渡すかぎりのエンレイソウ。

白い花が一斉に開くと、小さな踊り子が輪舞しているように見える。

エンレイソウ、ユリ科エンレイソウ属の多年草。別名、タチアオイ。

アカヤシオ、漢字では「赤八染」とも書く。
葉の展開に先立って花を咲かせる。

花径は4~5センチあり、花の色は淡い紅色。

園内に今を盛りと咲き誇っているが見頃を少し過ぎている。

ホストニア・セルレア。

北アメリカの東部~南部に分布する常緑多年草。
   
湿った草原や砂質の土地、岩の傾斜地に生育する。
日本へは昭和後期に園芸植物として渡来し、野生化している。

トサミズキ、四国に分布する落葉性の低木~小高木。
高知(土佐)の蛇紋岩地に野生のものが多く見られるため、この名前があります。

ミズキと名前が付きますが、ミズキ科ではなく、マンサク科の植物。

これは葉の形がミズキ科の樹木と似てところにちなむ。

早春から明るい黄色の花を咲かせ、レンギョウやマンサクと同様、江戸時代から庭木や盆栽、切り花として親しまれてきた。

まだまだ枯れ枝の目立つ園内でひときわ目立つオオヤマザクラ。

リュウキンカ。

茎が直立し、黄金色の花をつけることから立金花と呼称されるようになった。

花言葉は「必ず来る幸福」。
属の学名となっているCalthaはラテン語で「強い匂いのある黄色い花」という意味を持つ。

カタクリ。

古語では「堅香子(かたかご)」と呼ばれていた。

もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花 

                              大伴家持 巻19ー414

大勢の若い娘たちがやってきて、入り乱れるようにして水を汲んでいる、井戸の傍に咲くかたかごの花の美しいことよ。

今年のカタクリは不作らしい。

ハルリンドウ。

根本からロゼット状の根生葉を地表に広げる。
花冠は長さ2-3cmの漏斗状で、朝、日光を受けると開花し、夕方に閉じる。

シラネアオイ。

和名は、日光白根山に多く、花がタチアオイに似ることからシラネアオイ(白根葵)と名づけられた。

別名で「山芙蓉(やまふよう)」、「春芙蓉(はるふよう)」ともいう。

ミズバショウ。

湿地に自生し発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開く。

これが花に見えるが仏炎苞は葉の変形したもの。

仏炎苞の中央にある円柱状の部分が小さな花が多数集まった花序(かじょ)。

名の由来は、葉の形が芭蕉(バショウ)に似ていて水辺に生えることからきている。

ノウルシ。

北海道から九州の河川敷や湿地に生育する高さ30 – 50センチメートルほどの多年草。

和名の由来は、茎葉に傷をつけるとウルシ(漆)に似た白乳液が出ることからきている。有毒植物の一つ。

トキワイカリソウ。

多雪地の山野の林内に生える。高さ30?60cmになる。葉は2回3出複葉。

小葉はかたく、ゆがんだ卵形で先が尾状にのび、基部は深い心形、長さ5?10cm、ふちに刺毛がある。

花は直径3?4cm、白色?紅紫色。花弁は4個、距がある。
萼は花弁状で8個。内側の4個が大きく、外側4個は早落性。花期は~5月。

ニリンソウ。

3-6月に、白い萼片を持つ直径約2 cmの花をつける。

多くは1本の茎から特徴的に2輪ずつ花茎が伸び、和名の由来となっている。まれに1輪や3輪のものもある。

エゾイヌナズナ(蝦夷犬薺)。

【和名の由来】 産地から。

「イヌナズナ」は、ナズナ(ペンペングサ)に似ているが異なっているという意味の「否ナズナ」が訛ってイヌナズナとなった。
別名は花の色から(イヌナズナは黄色)。

ミツバオウレン。

常緑の多年草。根茎は細長く、横に這って繁殖する。

根出葉は3出複葉で、小葉は倒卵形で光沢がありやや厚く、基部の葉柄はほとんど無く、縁には鋭い重鋸歯がある。

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高岡大仏は美男でござる


奈良の大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大大仏を称している。
また、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つ。

台座の内部には回廊があり地獄絵などが展示されていて、高岡銅器の職人の技術の結晶と言えるもので、高岡市の象徴的な観光地となっている。
高岡市指定有形文化財に指定されている。

中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。

「諸行無常」・・・・納得。

1933年、歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われる。

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利長の菩提寺 瑞龍寺

瑞龍寺は加賀藩2代藩主前田利長(1562年 – 1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身。

前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改めた(後、さらに瑞龍寺に改称)。

八丁道は瑞龍寺から前田利長墓所まで続いている道。
長さが八丁(約870m)あるので八丁道。

参道の途中に前田利長公の像。

惣門から山門を望む、右側大庫裏は修理中。

この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。

下層に金剛力士(仁王)像、上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置する。

仏殿、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。

鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。

仏殿の須弥壇に安置された釈迦三尊の上部に、蓮の繊維と絹糸で織られたもの伝えられる布製の天蓋があります。

釈迦三尊。

内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。

南西回廊の奥に前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。

仏殿と法堂。

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春本番 住吉公園の花たち


住吉大社鳥居脇の枝垂れ桜も葉桜の季節を迎えています。

境内の木立は若葉を茂らせる。

空のブルーに若葉が似合う。

一寸法師も春に漕ぎ出す。

子どものいない老夫婦が身長一寸 (約3cm) の男の子を住吉神社で授かりました。

一寸法師は、12歳になるまで住吉で暮らし、「住みなれし 難波の浦を立ち出でて 都へいそぐ わが心かな」の歌のとおり、お椀の舟に乗って箸の櫂で京を目指します。

名前がはっきりしないがナデシコの仲間だと思う、可憐に咲く。

ノースポールは花盛り。

背景をいろいろと変えてみる。

ジャスミンが開花寸前です。

ラベンダーも元気です。

ちょっと自信がないが「西洋鋸草(セイヨウノコギリソウ)」かな。

サクラソウも花盛り。

パンジーが輝いている。

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春驟雨の中の散策 明治村

明治村は非常に大規模であり、その敷地面積は日本のテーマパークでは、同じ名鉄インプレスが経営するリトルワールドに継ぐ、第3位を誇る。

前回の訪問時に半分回ったので今回は残りの半分を・・・しかし、あいにくの殴りつけるような驟雨の中の散策になってしまった。

前回の訪問記
レトロ感がとてもいい 博物館明治村
1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助 … 続きを読む →


三重県庁舎
1879年(明治12年)の建築。設計は清水義八。
「旧三重県庁舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

ご覧の通り桜は散ってしまっている、みどりの中にミツバツツジが存在感を示す。

聖ヨハネ教会堂
宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築。

日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられた。
木造煉瓦造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に移築。細部はゴシック風。

「旧日本聖公会京都聖約翰教会堂」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

学習院長官舎

この学習院長官舎は、学習院が四谷から現在の目白に移された際、他の校舎とともにその構内に建設されたものであるが、当時の学習院長は陸軍大将乃木希典で、第十代目にあたる。

フランス人建築家レスカスによるものとされる、西郷従道の邸宅の接客用の洋館。

明治10年代に建設。 木造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に西郷山から移築。
内部で展示されている調度品の多くは鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたもの。

二階のベランダは雨水を流すため若干の傾斜をつけるなどの細やかな工夫が随所に見られる。

明治村移築前は国鉄スワローズの選手宿舎として使われ畳を敷いていたとされ、移築にあたっては名鉄が保存していた国鉄キハ6400形蒸気動車の所有権を国鉄に返却し等価交換してもらう形をとった。

「旧西郷従道住宅」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

森鴎外・夏目漱石住宅

明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものであるが、空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごした。

又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいた。

札幌電話交換局

防火の観点から札幌軟石を用いた石造で建てられた。
一階はアーチ窓、二階は楣窓を採用している。

二階窓下には花紋が連続している。1898年(明治31年)建設。1965年(昭和40年)移築。

「旧札幌電話交換局舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

宗教大学車寄

この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に「あずまや」の如く建てられているが、本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学本館の車寄であったもの。

台場鼻潮流信号機

関門海峡は、潮流が急で海峡幅が狭く、特に明治後半には交通量も増加し、衝突座礁する船舶が少なくなかった。
 
この潮流信号機は、明治42年(1909)8月、竹ノ子島の台場鼻通行潮流信号所の設置され、航行する船舶の安全を図るため潮流の方向、緩急を70年間も知らせ続けその役割を果たしてきた。

村内風景

左が宗教大学車寄、右が神戸山手西洋人住居、旧所在地 神戸市生田区山本通
建設年代 明治20年(1887)代

それぞれ木造総二階建の主屋と付属屋からなる住宅であるが、建物の沿革は余り明確にはなっていない。
明治20年代(1887~1896)に建てられたものと推定され、当初は外国人のものであったと思われるが、同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

六郷川鉄橋

旧所在地 東京都蒲田・神奈川県川崎間の六郷川(多摩川下流)
建設年代 明治10年(1877)

明治5年、日本に初めて鉄道が開業された時、新橋横浜間に造られた大小22の橋は全て木橋であった。

イギリスから鉄材を輸入して組み立てていたのでは、間に合わないという理由であった。
開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、明治10年11月、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成した。

開通式は、時の工部卿伊藤博文も出席して、盛大に行われたと伝えられている。

停車している機関車は尾西鉄道蒸気機関車1号、尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。

形式は2B1とよばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式。
尾西鉄道は明治29年に会社設立、明治31年には弥富―津島間が、同33年には弥富―新一宮間が開業した。

後ろの建物はハワイ移民集会所、ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会であった。

その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われるに至った。

その頃は屋根を取りはらわれ、二階が増築されて、姿がかなり変わっていた。  

移築当初、原形をとどめていた一階部分だけを復原したが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補った。

京都市電「七条駅」付近。

明治時代、日本で初めての鉄道が開通しました。

明治村では、当時使われていた”本物”の蒸気機関車が運行されています。
さらに、日本で初めて開通した市内電車、「京都市電」も毎日運行。
いずれも、この時代の車両に乗車できることは国内のみならず、世界的にも極めて稀です。

この時期は何かと雨の多い季節です、図らずも今回は驟雨の中の散策となってしまった。

万葉集巻十七には、越の国に派遣されていた大伴池主が上司である越中守大伴家持とやりとりした長歌の中にこんなくだりがある。

「をとめらが春菜摘ますと くれなゐの赤裳の裾の 春雨ににほひひづちて……」。

遠く越の国にいて、遙か平城京に思いを馳せる。
春雨けぶる中を、恋しい人が摘草に出ているさまを思い遣る歌である。

「赤い裳裾が春雨に濡れて一層あでやかな色になっているではないか。ああもう、思い浮かべるだけで切なくなりますなあ」と、池主さんは完全にホームシックのようである。

このように万葉の昔から現代に到るまで、春雨には独特の情趣があるとされてきた。

驟雨は夕立のようなものであるが、春は春で夕立とはまた違ったイメージが、人々の心に映ったのではないだろうか。

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青葉の季節を迎えた犬山城

犬山城は江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつ。
また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。

黒門跡、現在礎石が一つ残る。

登城道の最後の坂を登りつめたところに岩坂門があった。

本丸門(鉄門)、桜は葉桜になり、みどりがとてもきれいです。

前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。

また、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。

江戸時代には尾張藩の付家老の平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。

江戸時代には尾張藩付家老成瀬氏の城として維持され、白石城と同じく大名家の城ではなかった。

城は最近まで個人の所有であった。

現在は財団法人「犬山城白帝文庫」に譲渡されているが、成瀬家の姫(成瀬 淳子氏)が理事長に就任して管理している。

過去の犬山城訪問記

犬山城の紅葉 あいにくの雨でした
犬山城は、現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひ … 続きを読む →

桜咲く白帝城 犬山城
東海の山城、今日は二日目、まず訪問したのは山城でなく平山城の犬山城。 関連記事: … 続きを読む →

木曽川の畔にたたずむ後堅固の城 犬山城
木曽川を背に建つ、国宝犬山城は兵法に言う「後堅固(うしろけんご)の城」です。 標 … 続きを読む →

犬山早朝散策 美しい日の出を求めて・・・・
犬山での宿泊は久し振り、昨夜は雨だったが今日はどうやら晴れらしい。 今朝の目覚め … 続きを読む →

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行く春を惜しむ

季節の変わり目を感じに長居植物園を訊ねる。

にほふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ
                     藤原定家

この花が咲き始めると、春はもう終りなんだね。わかってはいたことなんだけど。つらい思いをさせるんだね。

もうヤマブキが見られる季節になった、

シロヤマブキ。

園内の桜も葉桜が目立つようになった、家族連れが春を惜しむかのように戯れる。

定家はこの季節をつらいと言っているが、新緑が爽やかさを運んでくれる。

葉を透かした光も柔らかい。

サワオグルマ。
花言葉:恋のたより。

ハナミズキの花も咲き始めた。。

シャガ。

ノースポールとバラ。

カラスノエンドウ。
花言葉「小さな恋人たち」「喜びの訪れ」「未来の幸せ」

リラ。
花言葉:「思い出」「友情」「謙虚」

ドウダンツツジも咲いている。
花言葉:「節制」「上品」「私の思いを受けて」「返礼」

ザクロの新芽、色鮮やかできれいです。

今が旬のたけのこ。

カリンの花も満開。

ナシの花。

タンポポ。

オオムギ。

クヌギの花。

フジ。

ボタン。

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満開の桜を満喫 法隆寺


何と言っても法隆寺では五重塔だろう、枝垂れ桜と一緒に。

緑が加わると寄り鮮やかに。

薄紅の花びらを散らす。

境内は松が印象的。

夢殿に向かう参道の築地塀沿いの桜が見事。

青空もきれいだ。

末と緑と桜。

夢殿は奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。

逆光気味の花びらがきれいです。


青空をバックに。

透かしモミジがきれいでした。

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春爛漫 大覚寺大沢池

大覚寺に隣接している大沢池、中国の洞庭糊になぞらえて「庭糊」とも呼ばれている。

心経宝塔を望む景観は大沢の池の定番スポット。

宝塔内部には、秘鍵大師の尊像が安置されています。

本堂(五大堂)の観月台、大沢池は、観月の名所。

この時期柳の緑とさくらの白がいいコントラスト。

アップで寄ってみる。

梅林を見やりながら名古曽の滝跡へ向かう。

胴ぶ吹きのさくらがかわいい。

椿と桜と竹。

名古曽の滝跡

離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられていたもの。
今昔物語では、百済川成が作庭したと書かれています。

 「瀧の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
作者は、藤原公任(ふじわらのきんとう。966~1041)。

滝は枯れて、その音はもう聞こえないけれど、 その名声だけは今だに、人々の間で語り継がれているのだよ。

菊ヶ島と庭湖石
左の小さい島が菊ヶ島。
その右隣りに庭湖石がある。

庭湖石は、巨勢金岡が配置したとされている。
巨勢金岡は、平安前期の宮廷画家。

花を惜しむこころは
いった何なのだろう
いくつ齢をかさねたら
心はしずまり
ひとり酒汲む静寂に
住むことができるのか
今日も嵯峨御所から
花信が舞ひこんできた

※ 花信・・花が咲いたという知らせ。

詩人・臼井喜之介の歌が刻まれています。

4月になって桜が散り始めた頃、大覚寺から直指庵へと散歩して、縁側にでもゆったり寝そべり独り酒でも呑みたいものだ。

散る花を惜しむ心やとどまりてまた来む春の種(たね)になるべき

西行散る花を惜しむ…

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春の直指庵


竹林の中にある浄土宗の寺院は、臨済禅を学んだ独照性円禅師が正保3 (1646)年に草庵を結んだのが始まりです。

幕末の頃、近衛家の老女津崎村岡局が再建して浄土宗の寺とし、土地の子女の訓育につくしました。

一部書籍やWebサイト等で「(女性の)駆け込み寺」「想い出草は女性の想いを綴ったもの」と紹介されているが、直指庵の公式サイトではこのような事実はなく誤りとしている。

もちろん男性の拝観や「想い出草」への書き込みも可能である。

タンポポの『嵯峨野さやさや』の1番で「京都嵯峨野の直指庵 旅のノートに恋の文字」と歌われている。

隠れた秋の紅葉の名所としても知られている。

紅葉と竹 嵯峨野の直指庵
1646年(正保3)に隠元禅師の高弟独照性円禅師が草庵を結んだのが始まり。 直指 … 続きを読む →

しかし、春の直指庵も捨てがたい、いや、むしろ静かに自分に向かい合うにはざわつく秋より静かな季節が向いている。

竹と桜もいい。

でもやはりこのけしぎ合うかな。

春には椿やソメイヨシノ、枝垂桜、雪柳、本堂の庭から眺める日本石楠花。
一木に紅白の花を咲かせる桃が楽しめる。

シャクナゲもきれいでした。

大覚寺からのんびりとした風景を眺めながら訪ねるのがいいだろう。

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