新緑の西教寺


山門は坂本城のものを移築。

信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築いた。

光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。

光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。
また、境内には光秀の供養塔が立っている。

参道は緑にあふれる。

フジの実も見事に成長。

最後の坂を登り切り本堂へ向かう。

本堂前方西側の納骨堂の裏側の一段高い石垣の上に、阿弥陀如来を中心に、不動・天部など計27体の石仏が並んでいる。

阿弥陀如来に随行し、笙や横笛・琵琶・琴などを奏でる二十五菩薩を軟質な青緑色の笏谷石の特色を生かして精緻に彫った秀作である。

天正12年(1584)に、近江栗田郡の富田民部進が、幼くして没した息女花清妙蓮童女のため、極楽浄土を願って、造立したもので、その旨を記した刻銘がある。

真盛上人廟に向かう。

地獄絵のような掛け軸。

茶の間。

手水、杓の形も美しい。

ちょうどこの日は明智光秀の命日(14日)にちなみ、光秀ゆかりの天台真盛宗の総本山、西教寺(大津市坂本)で追善法要が行われた。

全国の光秀ファンで作る「明智光秀公顕彰会」のメンバーら約100人が参加し、光秀に思いをはせた。

勅使門への石段、木漏れ日が美しい。

穴太積みの石垣はまるで城郭のよう。
石垣が西日を受けて輝く。

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新緑の日吉大社


緑濃いこの参道、紅葉期には真っ赤に染まる。

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。

通称として山王権現とも呼ばれる。
猿を神の使いとする。

西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

大宮川、大宮橋から木漏れ日の川を見る。

見上げれば陽に透かしたしたシダの葉が美しい。

山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。

山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれている。

山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰。

独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を模して建立する例も少なくない。

東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。

一段上の宇佐宮を目指す。

白山宮の境内に祀られている神々。

そもそも猿は全国に生息しているが、何故か古来より日吉といえば猿といわれ、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになった。

「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起のよいお猿。

元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。

現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたもの。

信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。

これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたため。

西本宮 本殿(国宝)

西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。

以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。

今日のお昼は創業三百余年の鶴喜そば。

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雨後の住吉公園

梅雨入り以来初めての本格的な雨、小降りになったので公園へ出かける。

雨が似合う花

くすんだ紫陽花の色は太陽の下よりも雨雲の下のほうが映えます。
花のグラデーションがぼかしの効果になって、美しい風情を醸し出します。

万葉集には二首のみ。

言問はぬ木すら味狭藍諸弟(もろと)らが練の村戸(むらと)にあざむかえけり(大伴家持 巻4 773)

紫陽花の八重咲く如やつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)(橘諸兄 巻20 4448)

日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。
原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイ と呼ばれる。

幕末に来日した医師で博物学者のシーボルト(1796〜1866年)はアジサイをヨーロッパに紹介したことで知られています。

彼は日本人妻の楠本滝(くすもとたき)を「オタクさん」と呼んでいたようで、アジサイを「ハイドランジア・オタクサ」と命名しました。
「ハイドランジア」とは「水の器」という意味。種子の入っているサヤが水の器に似ているからです。

しかし、すでにアジサイは18世紀に中国経由でヨーロッパに伝えられ、別の学名がついていたので学名としては却下。ですが、ヨーロッパでは、今もアジサイは「オタクサ」と通称されています。

ノウゼンカズラの古名は「ノウセウ(陵苕)」または「ノセウ」で、それが訛って「ノウゼン」となった。

また蔓が他の木に絡み攀じ登るため「カズラ」の名がついた。
また古くは「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた。

「ノウセウ」については凌霄(りょうしょう)の朝鮮読み「ヌンソ」の訛りとする説もある。

正岡子規の俳句に「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」がある。

草むらに落ちた花、草むらの露がきれいです。

雨の止み間にスズメもお散歩。

旅人に 雨降り花の 咲きにけり」・・・・・一茶 (江戸からの途中、雨の中、長野豊野町の正見寺にてホタルブクロを詠む)

ホタルブクロの名の通り蛍の飛ぶ頃に咲き、丁度その頃は梅雨の時期に当たるので、一茶の句にあるように雨降り花の別名もあって、季節感のある花の名前を持っている。

また、雨が降り出しました、カモたちも雨宿り。

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薬師寺のハス

唐招提寺に続いて薬師寺、今日はハスデーです。

『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。

薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木扁に「察」)にも同趣旨の記述がある。

しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。

東塔は現在修理中。

平成32年の6月頃に修理が完了する予定。

国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。
総高34.1メートル(相輪含む)。

日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。

薬師寺の蓮、たくさんのハスの鉢植えが集まっている光景は、圧巻。

例年の薬師寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、6月中旬から8月上旬。

薬師寺、唐招提寺、喜光寺が共同企画「奈良・西ノ京ロータスロード~蓮とご朱印めぐりを楽しむ旅」を6月10日~8月16日に実施。

特別ご朱印めぐりは朱印帳が用意され、この期間限定の朱印を受けることができる。

共通拝観券は1枚3200円で、3カ寺の拝観料と朱印の納経料、朱印帳が含まれる。

朱印を受けるとハスの花弁をかたどった散華(さんげ)ももらえる。

こちらは拝観料が少し高めです。

玄奘三蔵院伽藍公開時。
大人1,100円、中学生700円、小学生300円。

玄奘三蔵院伽藍非公開時。
大人800円、中学生400円、小学生200円。

薬師寺の蓮だけが目当てなら、非公開時を狙って下さい。
大人800円で拝観可能です。

突然でしたが眞子さまにお会いしました。

婚約が発表され、ブータン訪問を終えられたばかり、お忙しそうです。

写真撮影は控えるようにとSPから注意、坊主の渋面と眞子さまのお茶目そうな笑顔。

ご両親の秋篠宮ご夫妻も先日訪問されたばかり。

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唐招提寺のハス

唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。
南都六宗の1つである律宗の総本山。

『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの。

寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表す語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。

つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合い。

先ず鑑真の廟所へ向かう。

廟所は広大で静まり返り厳かな雰囲気だ。

鬱蒼と茂る林と一面の苔が美しい。

廟は広大な庭の奥にある。

鑑真和上の故郷である、江蘇省揚州市の名花で、ガクアジサイに似た白い可憐な花を咲かせる「瓊花(けいか)」が鑑真和上の御廟の傍にある。

1982年6月、唐招提寺を訪問された中国の首相・趙紫陽(当時)に、苗木を一株植樹して頂いたもの。
鑑真和上ゆかりの名花 瓊花(けいか)と緑滴る唐招提寺
鑑真和上の御廟のそばと、御影堂供華園(くげえん)では、和上の故郷、中国揚州から送 … 続きを読む →


金堂の西側にある戒壇は僧となるための授戒が行われる場所で鎌倉時代に造られたが建物は失われ石段のみが残っている。

1980年に石段の上にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が造られた。

当時の日本では正式の授戒の制度はまだなかったので資格を持たない者が私的に出家してしまい、税や労役から逃れるために僧となる者が多く社会秩序の乱れにつながっていた。

そこで聖武天皇の勅命により遣唐使と共に唐に渡った普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)という留学僧の決死の嘆願により、正式の伝戒の師として来日することになったのが鑑真和上であった。

初めの5年間は東大寺の戒壇院にて受戒をしておられたが、のちに平城京右京五条二坊の新田部(にいたべ)親王邸の跡地に寺領を譲り受け、厳しい戒律伝導の拠点として現在の唐招提寺を建立 。

この講堂は平城京に建っていた東朝集殿という建物を移築・改造したものであり、まさに平城宮の遺構として現存する唯一の建造物として非常に価値が高い。

鑑真大和上が御将来されたと伝えられる「唐招提寺蓮」をはじめ、種類別に表示された蓮や境内2ヶ所の池に生育する数多くの種類の蓮「聖なる花」が華麗に咲く。

特に注目なのが、和上伝来の品種。
3種類あり、以下の通り。

唐招提寺蓮(赤・八重)。
唐招提寺青蓮(白・一重)。
奈良蓮(赤・半八重)。

例年の唐招提寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、蓮鉢と蓮池で異なります。

蓮鉢の見頃は、6月中旬から7月下旬。
蓮池の見頃は、7月中旬から9月初旬。

一般的に、ハスが最も美しく見れる時間帯は朝。
昼過ぎに訪れても、見れない事が多い。

渡航失敗を重ね、唐から来日したときには失明していたと考えられていた高僧、鑑真和上(688~763)について、来日当初は目が見えていたのではないか、とする説を西山厚・奈良国立博物館学芸部長が、唐招提寺(奈良市)で行った講演で披露した。

西山部長は、これまでに書状の筆跡などを根拠に失明したのは来日数年以降と考えていたが、最晩年に目が悪くなったことを平安時代の史料でも確認したという。

境内ではナンテンの花がきれいに咲いている、梅雨の時期に咲くナンテンの花、多くは雨に打たれて散ってしまう。

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アジサイの頃初夏咲きコスモスが見頃です


コスモス寺として有名な般若寺、アジサイが見頃を迎えるころは初夏咲きコスモス約3万本が咲きます。

石仏を背景にコスモスを撮るのがここの定番。

美しい薬師如来像とコスモスの組み合わせが定番だが、この時期やはりアジサイかな。

縦構図もいい。

やはり薬師如来にはコスモスが似合う。

コスモス一輪と。

コスモスに埋もれる薬師如来。

やはりこの辺りに落ち着きますかな、少しアジサイも入れて。

真上からのアジサイ、やはり今一かな。

お地蔵さんの前掛を借景に紅い背景。

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早すぎました 岩船寺のアジサイ


期待しながら山門を潜る。

まだまだ色がついていません。

ここ数年、見頃に出会えたのは一回のみかな。

岩船寺 アジサイが見頃です
壱岐・対馬の旅の掲載を始めたばかりですが、季節の話題を挟ませていただく。 壱岐・ … 続きを読む →

花の寺 岩船寺
岩船寺は真言律宗の寺院、開基(創立者)は行基と伝える。 アジサイの名所として知ら … 続きを読む→

当尾のあじさい寺 岩船寺
京都府木津川市、京都と奈良の県境に近い当尾(とうの)と呼ばれる山里にあるのは、関 … 続きを読む →


深い緑の中に佇む三重塔。

木立の中のアジサイ、玉ボケねらいです。

美しい玉ボケを存分に楽しむ。

この時期だけの貴重な瞬間、残念がっていないで存分に楽しもう。

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浄瑠璃寺のアジサイ

浄瑠璃寺は、京都府木津川市加茂町西小(字)札場(にしお ふたば)にある真言律宗の寺院。
山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人。

本堂(国宝)は寄棟造、本瓦葺き。桁行11間、梁間4間(ここでいう「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。
堂正面の柱間装置は、左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし、他の9間は板扉とする。

三重塔(国宝)は、『浄瑠璃寺流記事』によると1178年(治承2年)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明。

構造上の特色は、初層内部には柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。

緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。

堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。

池の周りは緑が鮮やか。

花に蝶が群がる姿が見られる。

木立の中のアジサイ、陽に透かして見る。

雨が似合うアジサイだが今年は梅雨入り宣言後雨が一滴もない。

カシワバアジサイの白が鮮やか。

透けている姿が見事。

お昼はこのそば屋で、というのが定番になってしまった。
この店のアジサイ園は広大で見事、一見の価値あり。

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若狭の古刹・名刹 小浜国分寺

寺院の数が多く海のある奈良とも称される小浜の古刹・名刹を季節の記事等を挟みながらシリーズでお届け。

畿内の色が濃い港町で、律令時代より前からヤマト王権の日本海側入口として盛えて来た。

小京都と呼ばれることも多く、市内には国宝や国指定の重要文化財が数多く立地し、”海のある奈良”と呼ばれることもある。

天平13年(741)の聖武天皇詔勅によって諸国に造営された国分寺の一。
 
現在の釈迦堂は慶長15年(1610)建立ですが、発掘調査によって、南大門、中門、金堂などの遺構が確認され、国指定史跡となっている。
 
鎌倉時代の木造薬師如来坐像や福井県下最大の巨像、像高3m18cmの木造釈迦如来坐像が見どころ。

1972年から1975年にかけての発掘調査によると、寺域は230メートル四方、当時の条里制の区画に沿って建てられており、南大門・中門・金堂・講堂が軸線上に並び、東に塔が配置されていた。

画像は東塔跡。

境内にある若狭姫神社。

境内内に若狭地方最大の経45mの円墳である国分寺古墳があり、これは全国でも例を見ないものだという。

タンポポに似た愛らしい花が風に揺れていた。

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華岡青洲の里


春林軒

~華岡青洲の住居兼診療所~

当時の青洲の住居兼診療所で医学校でもあった建物群。特に主屋と蔵は当時そのままの建物で、その他の建物は発掘調査資料などに基づいて復元された。

かつての待合室、診察室、奥の間などとして使われていた主屋の各部屋では、青洲がはじめて麻酔を使用した手術風景をはじめ、家族の協力を得て行った麻酔の実験、門弟に講義をする様子などが、人形と音声を使ってリアルに再現されている。

全身麻酔薬の発明とそれを使った初の乳癌(がん)手術に成功し、人々の命を救うことに生涯を捧げた医聖、華岡青洲。

1760年(宝暦10年)、紀の川市(旧那賀町)に生まれます。
代々医者の家系で父のもと医学を学び、23歳の時に京都へ遊学。

オランダ医学系統の外科学や儒学の研究に没頭し、ここで麻酔剤を使った開腹手術の存在を知ります。
 
帰郷後青洲は、診療の傍ら麻酔剤を考究。当時としては新しい「実験」を繰り返し、動物実験の成功後、自らの妻と母を被験者として麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を完成させました。

その名声は全国にとどろき、多くの患者や学生が青洲を訪ねて来県。
紀州藩の公職に就いてもなお一般患者の診療を続け、命と向き合い、医者としての使命を全うした。

曼荼羅華(まんだらげ)

薬用植物ではあるが毒性も著しく強く、「キチガイナスビ」といった別名を持つ。

チョウセンアサガオの薬効は、古くから知られており、中国明代の医学書「本草綱目」にも、患部を切開する際、熱酒に混ぜて服用させれば苦痛を感じないとの記述がある。

ベラドンナやハシリドコロなどと同様にアトロピンを含んでおり、過去には鎮痙薬として使用された。

世界初の全身麻酔手術に成功した江戸時代の医学者である華岡青洲は、本種を主成分としていた精製した麻酔薬「通仙散」を使用していた。

このことから日本麻酔科学会のシンボルマークに本種の花が採用されている。

文化元年(1804年)には、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術に成功。

アメリカのエーテル麻酔成功より40年余前の快挙でした。


主屋奥居間

妻が実験台になって、麻酔薬の実験が行われている様子。

なかなか目覚めない妻の様子を心配しながら見守っているところ。



文化元年(1804年)世界初の全身麻酔手術を成功したことで華岡青洲の名声は広まり、全国から多くの患者と入門希望者が次々と集まった。

彼らを迎え入れて育成するため青洲は建坪20坪余りの自邸兼診療所の近くに、建坪220坪の住居兼病院・医学校を建設した。これが「春林軒」である。

輩出された門下生は1,033名、大坂・中之島に作られた分校「合水堂」門下生を含めると2,000名を超え、彼らにより日本全国に華岡流外科医術が広められた。

主屋客室

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