湖底に沈んだ古代の港町 – 阿曽津千軒

歴史を訪ねる旅
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琵琶湖湖底遺跡は、滋賀県の琵琶湖に100以上確認されている集落などの湖底遺跡の総称。

縄文時代から江戸時代まで様々な要因で水没し、水中にあるため解明が進んでいない。

これから片道約40分の山越の径、湖底に沈んだという阿曾津千軒跡を訪れる。

津波の発生時期は992(正歴3)年又は1185(文治元)年とも云われているがはっきりしない。
いずれにしても1000年近く前のことである。

阿曾津の港は海津、塩津と並んで栄えた港町であったが、地震で全村が琵琶湖に沈んだ。

古墳らしき場所を見ながらひたすら下っていくと、「海老越し」とよばれる尾根越えの道に差し掛かりました。

阿曾津千軒跡周辺 琵琶湖に向かって傾斜のある平地が広がっている。

全域に小石が散乱している。

奥山の地蔵尊。

やがて湖岸に出た。

これから片道約10分の有漏神社往復する。

前方に見える山道を登る。

山道を登ると木之本町山梨子の「有漏神社」がある。

阿曾津は全滅する前から堅田漁師とつながりがあったようだ。

有漏神社が航行の安全祈願などに御利益が有るということで、遠く大津湊の崇敬を集めていた。

半島と半島の中間に見えるのが竹生島。

昔むかし琵琶湖のほとりには、たいへん栄えた阿曽津村という大きな集落がありました。

そこには大金持ちの老婆が住んでおり、お金を村人たちに貸し付けていたそうです。

たまたま居合わせた堅田の漁師に助けられますが、介抱も虚しく老婆は息絶えてしまいます。

老婆の祟りなのか、間もなく阿曽津村は大津波に襲われてしまいました。

海岸で小鹿のものと思われる頭蓋骨を発見。

台風で倒された木の根。

対岸は時の流れが止まったかのような知る人ぞ知る「月出」と言う集落です。

国道303号線から奥琵琶湖パークウェイに入り、すぐ左の細い道を湖岸沿いに2キロほど行ったところに、ひっそりと小さな漁港と集落があります。

葛籠尾崎湖底遺の土器は一般の遺跡とは異なり、湖底の土中に埋没せず露出しています。

このような遺跡は他に例がなくその成因は謎に包まれています。

葛籠尾崎湖底遺跡資料館

琵琶湖の水深10~70mの湖底から発見された縄文・弥生時代の土器を展示しています。

数千年、数百年の時を経て現代に伝わる古代ロマンを感じることができます。

大正13年(1924)末、湖水を挟んで葛籠尾崎の東方に位置する尾上(おのえ:現長浜市湖北町)の老漁師喜助が?(イサザ)漁をしていたところ、底引き網に数個の土器が引っ掛かりました。

その後も、縄文土器や弥生土器・土師器・須恵器などの土器や石器などの遺物が次々と引き揚げられ、湖底遺跡の存在が明らかになりました。

これらの遺物を収蔵・展示しているのが、尾上公民館内にある葛籠尾崎湖底遺跡資料館です。

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