池田 呉春の街を歩く

名城の旅
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江戸時代中期の絵師呉春が済んだ町として有名だ。
呉春は、金座に勤めていた時、嶋原の名妓・雛路を身請けし妻としていたが、天明元年(1781年)3月、単身里帰りの途中海難事故に遭い妻を、8月には父を相次いで失う。

傷心を癒す為か剃髪し、蕪村の勧めで、パトロンであった蕪村門下の商人・川田田福を頼り、しばらく現在の大阪府池田市に転地療養する。翌年の正月、この地の古名である「呉服(くれは)の里」で新春を過ごした事に因み、呉春、伯望の画号を名乗るようになる(この縁で、池田市には今でも「呉春」と言う銘柄の地酒がある)。

明治時代、現在の阪急電鉄によって周辺地域が開発され、鳥居から神社までの参道は、阪急宝塚線の高架沿い、住宅街を通る道となる。

応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された阿知使主と都加使主父子が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛を猪名の港、現在の猪名川に架かる呉服橋と絹延橋の間にある唐船が淵に機殿(はたどの)を建て、迎えた。

その後、仁徳天皇76年に死去し、翌77年に仁徳天皇によって祀られたとされる。



こういうのってニアミスとは言わないのかなあ。

河村商店(旧加島銀行池田支店)


落語みゅーじあむ

吉田酒造主屋には鍾馗さんが祀られていた。

いけだピアまるセンター(旧池田実業銀行本店)
旧池田実業銀行本店は大正14年、池田町新町に旧能勢街道に面して建てられた池田で最古の鉄筋コンクリート建造物である。 

伊居太神社
池田神社と読む・・・どう考えても読めない。

階段を上がると古びた社殿がある。

応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉(中国南朝を指す)の国に派遣された阿知使主と都加使主父子が、呉王に乞い連れ帰った呉織・穴織・兄媛・弟媛の4人の縫工女のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の妹、穴織媛が仁徳天皇76年に死去し、翌77年に仁徳天皇によって祀られたとされる。

池田市に現存する最古の神社である。

社殿などよく見ると相当古く痛んでいる。

呉服媛が祀られ、池田駅側にある呉服神社が「下の宮」とされるのに対し、五月山山麓にある伊居太神社は「上の宮」とされ、互いの関係はとても深い。

地元では「いこた」神社と呼ばれる事がある。

趣のある建物だが相当傷んでいる。

シートをかけてあるが今にも崩れ落ちそうだ。
後ろにビッグハープが見えている。

五月山に向かう路地で見かけた粋な像。

五月山児童文化センター。

室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族池田氏の居城跡地を公園として整備を進め、平成12年(2000年)4月にオープンした。


10月桜がきれいだ。



天守のリフレクションがきれいだ。

園内にある、やぐら風展望休憩舎からの眺めは、池田市街地はもちろんのこと、阪神高速道路の新猪名川大橋(通称ビッグハープ)や園内が一望できます。

荒木村重は重臣「池田21人衆」の1人として頭角を現し、池田勝正を追放した池田氏内部のクーデターで城内をまとめ、残る摂津三守護の和田惟政、伊丹親興を討ち取って茨木城と高槻城を手中に収め、元亀4年(1573年)3月29日に足利義昭と対立した信長と京都知恩院で対面し信長に忠誠を誓う。

この時信長は高槻城攻略に激賞し、村重に摂津の単独守護職を認めた。

池田知正は義昭に就いたため没落、池田家を乗っ取った村重の家臣になった(下克上)。
摂津は南北朝時代以降分郡支配体制だったが、村重より一国一大名体制になった。


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