ハンター旧住宅

1889年頃の建立。1966年6月11日に国の重要文化財に指定されている。
現存する異人館の中では最大級であり、明治時代の最も優れた洋風建築の一つと評価されている。

住宅は移築時に大幅な改造が行われ、開放されていたベランダに当時貴重な窓ガラスが全面に嵌め込まれ、現在の特徴的な外観となった。

その後1963年に北野町から王子動物園に移築され、国の重要文化財として保存処置が講じられている。

北野町には在りし日の名残でハンター坂という地名がある。

住宅は南を正面とする2階建てで、西北隅に3階建ての塔屋が付属する。

この塔屋の1階部分に玄関を設け、そこから東西方向に廊下が延び、廊下の南に3室が東西に並ぶ、片廊下式の間取りである。

阪神・淡路大震災により、れんが造の煙突2本のうち1本が折れ、室内に落下したため、東広縁部が全体に崩壊するなど大きな被害を受けた。

東広縁部を一旦解体し、補修して組み直し、煙突の復旧、内壁の塗りかえ、建具の補修を行った。

1階の3室は書斎、応接室、食堂と名付けられているが、創建当時の各室の用途は不明である。

1階の南側と東側は菱格子を組み込んだガラス戸で囲われたベランダとする。

南側ベランダには2箇所に突出部を設け、突出部の上にはペディメント(切妻破風)を設ける。

1階居室は、ベランダの突出部に対応する位置(2箇所)にベイウィンドー(出窓)が張り出している。
創建時にはベランダは開放で、居室のベイウィンドーが外に面していた。

エドワード・ハズレット・ハンター(Edward-Haslette Hunter)氏は、1843年(弘化3年)英国アイルランド州ロンドンデリー市に生れ、1864年(慶応元年)21才のとき横浜の商社員となり、神戸港が開港されるとすぐに神戸に移り、小野浜にできた造船所に入った。

その後独立してE・H・ハンター商会を設立する一方、大阪安治川□に大阪鉄工所(現在の日立造船)を創設するなどのほか、精機・精米・煉瓦・煙草などの会社をつくり、当時のわが国産業界に大きな貢献をした。

ハンター氏夫人は、大阪の薬種問屋平野氏の娘愛子で、夫をたすけると共に、婦人会・日本済生会・神戸保育院などの公共事業に力を尽くし、賢夫人の誉れが高い方でした。

ハンター氏は1917年75才で永眠し、神戸の再度山修法ヶ原外人墓地に葬られています。

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