神戸海洋博物館

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前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。
海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に神戸港開港120年を記念して開館した。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、六甲山の緑色、神戸ポートタワーの赤色との対比が美しい。

夜間は青系の光でライトアップされる。

壁面に広がる陶板による船の変遷や近代神戸港の開港を号砲で祝った、イギリス軍艦ロドニー号の巨大な模型が、海・船・港の歴史の旅へと誘います。

日本丸 (初代)

1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。
その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。

日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年(昭和59年)に引退。
航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。

姉妹船として海王丸がある。
2017年(平成29年)9月に国の重要文化財に指定された。

日本丸 (2代)

初代日本丸の後継として、1984年(昭和59年)に日本丸II世が就航した。

日本丸II世は帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船。
住友重機械工業浦賀工場で建造された。

先代の日本丸に比べて帆走性能が大幅に向上しており、世界でも有数の高速帆船として名をつらねている。

その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1986年(昭和61年)、1989年(平成元年)、1993年(平成5年)と三回受賞している。

練習船ダンマルク

デンマーク通産省所属、商戦の士官を要請する目的で建造された3本マストのフルリグドシップ型鋼船。

サンタ・マリア号(サンタ・マリアごう、西: La Santa Maria de la Inmaculada Concepcion)は、1492年、クリストファー・コロンブスによる初の大西洋横断航海のときに使われた3隻の帆船のうちの最大の船。

船名はスペイン語で「処女降誕聖マリア」を意味する。
なお、当初は「マリガランテ(娼婦)号」という名であったが、新航路発見の旅路にふさわしくないとコロンブスの意見によりサンタマリアに改名された経緯がある。

武装はボンパルダ(射石砲/臼砲)やデミ・カルバリン砲などを2-4門装備していたらしいが、正確な数は不明。

更にブルワーク上に6門程度の旋回砲も設置されていた。

パールシップ神戸

日本で最も古い帆船の一つ、北海道大学の練習船「忍路(おしょろ)丸」の模型に、真珠などの装飾を施したもの。

しんかい2000は、海洋科学技術センター(現: 海洋研究開発機構)が所有、運用していた有人潜水調査船。

日本初の有人深海調査船「しんかい」の後継機として三菱重工神戸造船所で製作、1981年に完成し、2002年11月まで運航された。

現在では新江ノ島水族館で動態保存・展示されている。

みらいへ
1993年に「あこがれ」として就航、大阪市が保有して大阪南港の「ATCオズ岸壁」を定係地として「セイル・トレーニング事業」に使用していた。
一般市民が航海を体験できた日本で唯一の帆船(スクーナー)であった。
船名は一般公募で選ばれた。

基本的には大阪南港を母港として運航を行っていたが、長崎帆船まつりなど各地や日本国外でのイベントにも参加することもあった。

2011年に大阪市長に就任した橋下徹による一連の市政改革の一環により、2012年末をもって運航を終了、「セイル・トレーニング事業」も同年度末をもって廃止された。

その後、船舶は競売に掛けられ、個人に売却された。

これに対しては有識者による憂慮の意図も含めた「MJCマリン大賞」(マリンジャーナリスト会議が主催、2013年3月)の授与がなされたほか、主に高校生の人材育成を目的とした航海を行うため同船を取得する構想もあったが実現しなかった。

売却された「あこがれ」は2014年7月5日から、船名を「みらいへ」に変え、神戸港を母港に体験航海事業を再開している。

コンスティチューション(USS Constitution)、愛称: オールド・アイアンサイズ(Old Ironsides)は、アメリカ海軍の木造船殻、3本マスト、砲数44門のフリゲート。

名前はアメリカ合衆国憲法(United States Constitution)から採られており、世界の航行可能な就役艦船で最古、かつアメリカ海軍の現役艦である。

笠戸丸(かさとまる、Kasato Maru)は、明治時代後期から終戦にかけて移民船や漁業工船などに使われた鋼製貨客船。

明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や台湾航路用の船舶として用いられた。

ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われたことでもよく知られている(移民用としては、船底の貨物室を蚕棚のように2段に仕切って使用した。

最大1000人程度の移民を収容できたようである)。

その後漁業工船に改造され、漁業会社を転々とする。

最後は、貨客船として最初に籍を置いた国であるロシア帝国の事実上の後継国にあたるソ連の手によって、太平洋戦争終結直前カムチャツカ沖で爆沈されるといった数奇な運命をたどった。

時代が下った1970年代に、北洋を航行する笠戸丸の姿が歌謡曲の歌詞に使われたこともある(『石狩挽歌』(なかにし礼作詞・浜圭介作曲。北原ミレイ唄、1975年)。

ゴンドラ (gondola)とは、ヴェネツィアの伝統的手漕ぎボートのこと。

ゴンドラは何世紀にも亘って、ヴェネツィアでの主な交通手段であり続けた。
現在も、カナル・グランデ(大水路)の岸と岸をつなぐ渡し船(トラゲット)として公共交通機関の役割を果たしている。

現在のゴンドラの数は200~300、そのほとんどは観光タクシーとして使われており、数艘がトラゲットや個人所有の舟である。

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