継体天皇を足羽山に訪ねる

北陸
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越前出身といわれる継体天皇を訪ねるべく、福井を訪れた。
当日は越前各地の継体天皇ゆかりの地を散策する予定だったが、想定外の雨に見舞われやむなく今後再訪することとした。

越前平野の治水と笏谷石(しゃくだにいし)採掘で知られ、洪水が治まるよう足羽山から海に向かって矢を放つと、越前平野を覆っていた水が海の方に引いて行ったという伝説が残っている。

石像は明治17年に笏谷石の石工によって、天皇の遺徳を讃えるために造られたもので、今も足羽山山頂から越前平野を見守っている。

この石像の立つ三段広場と呼ばれる小丘は、実は直径60m、高さ10mを測る、4世紀に造られた古墳である。
公園を造るときその形を大きく削られてしまい、本来の古墳としての形を留めていないが、円墳としては、福井県内最大級の山頂古墳と呼ばれる。

『記紀』によると、先代の武烈天皇に後嗣がなかったため、越前(近江とも)から「応神天皇5世の孫」である継体が迎えられ、群臣の要請に従って即位したとされる。
しかし、『日本書紀』の系図一巻が失われたために正確な系譜が書けず、『上宮記』逸文によって辛うじて状況を知ることが出来る。
しかし、この特殊な即位事情を巡っては種々の議論やまたは推測・創作が多数ある。

毛谷黒龍神社(けやくろたつじんじゃ)
毛谷黒龍神社公式サイト
男大迹王越前國御在住の時、地の理に随ひ越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水工事をされ越前平野を拓かれた際に、北陸随一の大河であった黒龍川(九頭竜川)の守護と国土安穏、万民守護のため高屋郷黒龍村(舟橋)毛谷の杜にの二柱の御霊を祀る「毛谷神社」が御創建された。

白山神社

藤島神社
藤島神社公式サイト
旧別格官幣社藤島神社は、後醍醐天皇の建武中興の時代に活躍した武将「新田義貞公」を御祭神としてお祀りした神社。

蓮 「勾当の王女」
史実では、新田義貞の妻、勾当内侍にあやかった蓮。
内侍が義貞に会おうと京を出発したが、義貞が福井の灯明寺で戦死して会えなかったとのこと。

義貞を祀るこの藤島神社に「勾当の王女」を植えることで、両者が時を超えて巡り合えたとの何ともロマンティックな仕立て。
この義貞の亡くなった場所から3キロ離れたところで明暦年間に(1655年~58年)、兜が発見され、新田義貞の兜であるとされた。

由利公正宅跡
長州征伐では、藩論を巡って対立した征伐不支持と薩摩藩や長州藩など雄藩支持の両派の提携を画策したものの、支持が得られず福井にて蟄居・謹慎処分となった。
謹慎中に坂本龍馬の来訪を受けて交流を深める。
坂本とは新政府が取るべき経済政策について談義し、このことが新政府への参画を求められたことへ結びついたのだと後に語っている。

足羽山へのアクセス、行き方歩き方

福井市足羽上町 足羽山公園内
JR福井駅から京福バス赤十字病院行きで5分、足羽山公園下下車、徒歩10分