天智天皇勅願所 繖山 桑實寺

天智天皇勅願所 繖山(きぬがさやま)桑實寺(くわのみでら)
標高433メートルの繖山(観音寺山)の中腹にあり、西国三十三箇所観音霊場の32番札所である観音正寺へと登る途上に位置する。

寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられている。

寺名は、定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来する。

観音寺城址の食い違い虎口を出ると桑實寺へと向かう道が続く。

東入口
観音正寺の方から山道を歩いてくるとこの入口にたどり着く。
奥は大師堂(経堂)

天正四年、織田信長により建立され、天台・伝教大師像が安置されていたが、明治末期の風水害のために大破し、大正2年、経堂として再建。

鎮守三社
右から「スサノオの妃」、「大黒天」、「スサノオの命」。

景清背比べ石
平七兵衛景清は、源平の争乱に際し、並はずれた怪力の持ち主として猛勇を馳せ、悪七兵衛景清と称され、「吾妻鏡」「平家物語」等にも散見され、その武勇が文学・演劇の好材となった人物で、各地にその伝承地は多い。

また平景清が、滋賀県安土町から五個荘町にかけて、平氏再興のため京都に上る時に通ったと伝えられる「景清道」が残っている。

今この道を観音寺城址より下ってきた。

本堂は室町時代前期の手法を残す優美な建築で、本尊の薬師如来は「かま薬師」の俗称があり、カサやできものに霊験があるといわれる。

1532年には室町幕府12代将軍足利義晴が、ここに仮の幕府を設置。
のちに15代将軍足利義昭も滞在する。

一時期荒廃していたが1576年、安土に居をかまえた織田信長によって保護された。
天正九年(1581)四月、信長の竹生島参詣の留守中、安土城の女房衆が息抜きであろうか、城を出て当寺へ詣でたのである。

これが信長の怒りをかい、寺に詣でた女房衆は寺の長老もろとも成敗されたという悲惨な出来事もあった。

参道(南側)
500段ほどの石段を下ると、境内への入口、総門が現れる。

桑実寺本殿から表門に下る参道の光景、奥に地蔵堂が見える。

境内への入口、総門

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桑實寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:滋賀県蒲生郡安土町桑実寺292
TEL:0748-46-4025
JR琵琶湖線 安土駅 徒歩25分