南都七大寺の面影を追って 西大寺

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「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。

奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立。

西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力をもっており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている。

しかし、寺は平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、。

平安時代に火災などによって一時衰退し興福寺の支配下に入っていたが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。

現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたもの。

叡尊が始めた「大茶盛」の寺としても有名。

四王堂、西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつるお堂。
たびたびの火災で焼失し、現在の堂舎は江戸前期の延宝2年(1674)の再建。

鎌倉時代の正安2年(1289)亀山上皇院宣で鳥羽上皇の御願寺であった京都白河十一面堂院の本尊・十一面観音立像(仏師圓信作)が客仏本尊として当堂に移されてまつられることとなり、それ以来、観音堂とも称する。

現在の四天王像も鎌倉期以降の再造であるが、その足下に踏まれた邪鬼が奈良時代創建当初の姿を伝えている。

西大寺は1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。

真言律宗に属する寺院は、大本山宝山寺(奈良県生駒市)のほか、京都・浄瑠璃寺、奈良・海龍王寺、奈良・不退寺、鎌倉・極楽寺、横浜・称名寺などがある。

聚宝館、昭和35年に寺内の収蔵庫として建設された高床式鉄筋の収納・展示施設。昭和58年には南東部に収蔵庫も建築され、寺内の什宝物を保管収蔵している。

東塔跡、西大寺東西両塔は当初、八角七重塔として設計されたが、奈良時代末期の緊縮財政の中で縮小され、実際には四角五重塔として創建された。

その両塔も延長6年(928)に雷火でいずれかが焼失したと伝えられる。

その後、平安末期に修造され、鎌倉時代に塔供養が行われたのは、おそらく東塔のことと思われ、叡尊は東塔を中心とする宝塔院という区画を西大寺復興伽藍の中核とした。

その東塔も1502年に焼亡し、その後は再建されないまま塔跡のみが遺る。

愛染堂、秘仏愛染明王をまつる堂舎。
江戸時代の明和4年(1767)に京都近衛家邸宅の御殿の寄進を受けて移築建立。

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西大寺へのアクセス、行き方歩き方

西大寺公式サイト

奈良市西大寺芝町1-1-5

近鉄大和西大寺駅 南口から徒歩3分