九州

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かつては秘境と言われた球磨川上流の町にある 人吉城

人吉城(ひとよしじょう)は熊本県人吉市麓町にある平山城跡。 相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。 国の史跡に指定されている。 先ずは人吉城歴史館で情報を仕入れ...
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人吉のパワースポット巡り 青井阿蘇神社

今日から南九州の名城を訪ねる旅です。 あいにくの雨で肌寒い日でした。 先ずは人吉のパワースポット、青井阿蘇神社からスタートです。 二ノ鳥居の鳥居の奥に楼門。 県下の名社の一つである「青井阿蘇神社」は、人吉球磨地方の総鎮守。 昔から「青井さん...
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多くの農民が籠城の末に散った島原の乱の舞台 原城址

島原半島の南部に位置し、1496年(明応5年)日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。 有明海に張り出した丘陵にあり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていた。 本丸枡形の入口部分。 左側の上の部分に「骨かみ地蔵」が祭...
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島原市武家屋敷の町並

島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。 鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと...
フェリーの旅

島原の乱を招いた長崎の巨城 島原城

江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。 成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。 火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった...
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玄界灘の景勝の山上にそびえる白亜の天守 唐津城

別名は、満島山(みつしまやま)を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。 唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する。 唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配さ...
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南蛮文化のふるさと 平戸の散策

平戸は旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。 また、日本本土から乗用車のみ(他の交通機関を使わずに)で行き来出来る自治体として最西端でもある。 幸橋は別名オランダ橋と言われ、平戸藩主雄香公が平...
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山鹿素行の叡智 平戸城

最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。 再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。 平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。 駐車場より亀岡...
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弘法大師空海が唐から帰国して初めて護摩を焚いた 最教寺

当寺がある場所は日本に真言宗を伝えた弘法大師空海が唐から帰国して初めて護摩を焚いた所と言われ、真言宗に帰依していた鎮信はこの地に寺院の建立を思い立った。 しかし、当時この場所には曹洞宗の勝音院という寺院があり、鎮信は移転を要望したが住職の竜...
フェリーの旅

瀬戸内航路フェリーの旅

瀬戸内航路はよく利用するが今回は平戸への旅です。 今回は平戸まで走らねばならないので、南港16:50発の1便に乗船、新門司着は翌日05:30で一日をフルに使える。 そして帰りは2便を使うことにより滞在時間を有効に使える。 一時の酷暑状態は脱...