軽井沢のテニスコートのロマンス

日本の町並み
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ジョン・レノンが、ビートルズ解散後の1970年代中期から、亡くなる1980年まで、毎年のように夏に家族連れで長期間滞在していたことや、避暑地の中にある「軽井沢会テニスコート」が、1958年に皇太子明仁親王(当時)と正田美智子の出会いの場所になったことなども、広く知られている。

また、ビル・ゲイツが軽井沢に別荘を建てることを予定している。

旧軽井沢銀座通りに戻り、チャーチストリート軽井沢から碓氷峠の方向に50mほど進むと、右手に「軽井沢観光会館」があります。

「軽井沢観光会館」の手前を右方向に進む通りが「テニスコート通り」です。

クラブハウスは軽井沢に多くの建築物を残した建築家W.M.ヴォーリズが増築設計したものです。

天皇、皇后両陛下のロマンスの場所としてあまりにも有名。
現在も夏になれば皇室の方々の姿がちらほらと見受けられる。

天皇陛下は、1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで正田美智子と出会いました。

そして、テニスを通して交際を深めました。

しかし彼女が資産家の令嬢とはいえ皇族・華族出身ではない(新田義重の家臣生田隼人を遠祖とする士分の家系である)ことから、皇室内外から猛反対を受けました。

昭和天皇の侍従長を務めた入り江相政の著作「入江相政日記」には、「東宮様のご縁談について平民からとは怪しからん」と香淳皇后が秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子の両親王妃とともに昭和天皇に訴えたという内容の記述があります。

常盤会(学習院女子部の同窓会)会長松平信子ら旧華族の女性たちの反発も強く、信子に対しては昭和天皇自ら了承を求めてようやく決着したとも言われます。

最終的に1958年(昭和33年)11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決されました。

1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われました。
明治以降では初の平民出身の皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興ります。

ちなみに陛下はこの当時。テニスの仲間たちからなんと呼ばれていたかご存知でしょうか?

「チェブ」です。

素焼きのチャブタという昔はブタの入れ物に蚊取り線香を入れて使っていたのですが、陛下はスポーツにも力を入れていたので肌が茶色かったそうです。
そのお姿がチャブタに似ているということで「チャブ」。

2012年冬のごろに「軽井沢にビル・ゲイツさんがが別荘を建てるらしい」という噂が流れました。
それから約3年後の今年2015年の12月についに完成する予定だとか。

気になる場所はというとズバ!軽井沢の別荘エリア長倉千ヶ滝西区付近のようです。
近くには大手IT企業の別荘が複数あるもようです。

しかしそれらをはるかにしのぐ大きさのようで、敷地面積が6,000坪~8,000坪ありその中に延べ605坪の建物が出来ている様です。

そして何といっても総工費80億円とまで言われている建物なだけに注目が集まっていますよね。
建設は業界大手で羽田空港や東京ビッグサイト、さいたまスーパーアリーナ等を建設した大成建設がになっている様です。

別荘は地上1階、地下3階の4階建てでヘリポートや露天風呂に至いたってはなんと8つも設けられるのだとか・・・

このビル・ゲイツの別邸とされる巨大建造物の建設に対しては近隣住民から多くの苦情が出ている様です。

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テニスコートへのアクセス、行き方歩き方

長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢旧軽井沢1100
0267-42-2680