鎌倉五山第一位 日本初の禅専門道場 建長寺

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鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。

鎌倉五山の第一位。
境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。

総門は天明3年(1783年)の建立。
1943年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたもの。

なお、般舟三昧院は後土御門天皇によって建立された皇室ゆかりの寺院で、もと伏見(京都市伏見区)にあり、現在は京都市上京区今出川通り千本東入るに所在する。

総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える。
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。

寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。

建長寺案内図
創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・三門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。
なお、地形の関係で総門 – 三門間の参道は斜めになっている。

境内は1966年(昭和41年)9月12日、「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
庭園は1932年(昭和7年)7月23日、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。

「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園である。

総門を抜けると正面に立つ重層の門が山門(さんもん)です。
三解脱門のことで三門とも言います。

1775年,万拙和尚(ばんせつおしょう)が浄財を募り再建し,その時狸が助けたとの伝説から名狸の三門とも言います。

上層には五百羅漢などを安置するが非公開。

安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定されている。
銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し、再建される。

初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しとしている。
上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置する(上層は非公開)。

梵鐘
三門右手の鐘楼に架かる。
国宝。高さ約2.1メートル。

建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして貴重である。
建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作。

撞座の位置が高い点など、全体に復古的な作風を示す鐘である。
銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とされている。

建長寺の梵鐘は関東一美しい梵鐘とされており、音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」とも呼ばれています。

梵鐘の奥には嵩山門(すうざんもん)。
塔頭西来庵は開山蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院である。

三門の右手にある嵩山門が入口だが、そこから先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されている。

仏殿
重要文化財。
寄棟造で単層裳階が付く。

芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。

建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。

建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。

建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。
また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。

法堂は重要文化財で、禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。
方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立である。

内部には千手観音坐像を安置する。
鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。

法堂は住職が説法するところなので、住職があがる法座はあっても尊像は安置しないのが本来の姿なのだが、建長寺の法堂には千手観音が安置されている。

天井画は小泉淳作筆の雲龍図。
どこまで逃げても龍の目が着いてくる

本尊前の釈迦苦行像は、釈迦が極限の苦行・禁欲(断食)をしている姿を現している。

ガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されている像の模造。
2005年の愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈された。

平成21年4月、堂内に華厳小宝塔が安置された。
吉田管長の願いにより諏訪の宮大工が製作したもの。

建長寺には創建当初より華厳塔が建立されていたが、度重なる火災によって焼失し、以後再建されていない。
この塔の製作には、大華厳塔復興の願いが込められている。

唐門は重要文化財で方丈入口の門。
仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。
関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。

唐門というのは、中国式という意味ではなく、屋根が唐破風になっている門のことです。

方丈庭園
作庭は、開山の蘭渓道隆と伝えられています。
この庭園のほかにも、東光寺庭園(山梨)を作庭したとされています。

庭園は国の史跡・名勝に指定され、平成15年に復元されました。

方丈脇からの参道は高い杉が特徴的、傍らに真っ赤なモミジが残っていました。

天源院は、建長寺第十三世「南浦紹明」の塔所として紹明没後二十余年後に創建された。
紹明は幼いころから天台学を学び、15歳で建長寺開山である蘭渓道隆に師事し、正元元年(1259年)に宋に渡り、虚堂智愚の法を継ぐ。

没後の延慶二年(1309年)、後宇多上皇から「円通大応」の国師号が贈られたが、これは日本における禅僧に対する国師号の最初。

方丈脇から塔頭へ通じる参道は味わい深い。
写生をする人がたくさんいます。

正統院(しょうとういん)は、第十四世高峰顕日(こうほうけんにち)の塔所。
本尊は文殊菩薩。

高峰顕日は後嵯峨天皇の皇子といわれ、鎌倉では第二世兀菴普寧(ごったんふねい)に学び、無学祖元の法を嗣ぎ法衣と法語を授かったといわれている。

ハトが気持ちよさそうに水浴しています。

堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。
幹周/6.5m、樹高/13m、鎌倉市の天然記念物に指定されています。

最も大きいビャクシンは三門から見て左手から2本目です。

建長寺へのアクセス、行き方歩き方

建長寺公式サイト

JR横須賀線北鎌倉駅下車徒歩15分、江ノ島電鉄(江ノ電バス)5分「建長寺」下車徒歩すぐ
JR横須賀線・江ノ島電鉄鎌倉駅下車徒歩25分、江ノ島電鉄(江ノ電バス)10分「建長寺」下車徒歩すぐ バスは渋滞が多い。