武田氏壊滅のきっかけとなった戦いと長篠城


長篠城付近図、実際の戦場となった設楽原は図の左欄外。

長篠城はちょうど二つの川の合流点に位置しているのだが、その川の側は断崖絶壁であり堅固そのものである。
重火器が中心の現代戦ならともかく、飛び道具と言えば火縄銃や弓矢が中心だった戦国時代においては、こちら方面からの攻撃は不可能であったろう。

この堅固さを実感するには、本丸跡から見下ろしたのでなかなか困難である。
左端に本丸を貫くJR飯田線が見える。

長篠城縄張り図、JR飯田線が本丸を貫通する様子がよくわかる。
JRの傲慢さを表す図だ。

JR飯田線により長篠城の遺構の存在価値がいかにに低下したことか。

JR飯田線により本丸が切り取られた現場、無残だ。

本丸跡には、稲荷神社があったが、近くの大通寺に移したそうで、なくなっている。
すぐむこうがJR飯田線により本丸が切り取られた現場。

帯郭跡。

内堀跡。

林高英頌徳碑、江戸の中頃、ここ長篠に生まれた代官 林高英は日置流雪荷派師範としての名が高く門弟およそ七百人といわれ、その教えは今も残されています。

長篠城本丸入口。

本丸から南を望む。

弾正郭跡。

本丸にある土塁跡。

アラモ砦跡に、日本人が建てた石碑が建つことはあまり知られていません。
それは明治の地理学者志賀重昻が建てたもので、志賀はアラモの戦いにおいて、救援を求める伝令に赴いたボナム大尉が、危険を顧みずに砦に戻り、他の者と運命をともにしたことを知って、これは日本の長篠の合戦でも共通する話があることを思い出したのです。

それは籠城する奥平家の家臣鳥居強右衛門が、徳川方に救援を求めるために脱出、包囲する武田軍をかわして家康のもとに駆けつけ、援軍を確認するや再び城に戻ろうとして武田軍につかまり、武田方に「援軍はこない」と言えと強要されたものの、城に「援軍来たる」と大声で叫び、磔にされた話です。

アラモ砦といえば、ジョン・ウェイン主演の映画「アラモ」で知られるアメリカ・テキサスの古戦場です。
1836年、独立を宣言したテキサスに対し、メキシコ軍が攻め寄せます。
テキサスの男たち185人は教会跡のアラモ砦に立て籠もりました。

対するメキシコ軍は7000の大軍です。
しかし、男たちは屈することなく、13日間にわたって激戦を続けました。

本丸跡。

渡合…左手宇連川と右手寒挟川の合流点。
長篠城址の南端。
向かいの橋は、牛淵橋。 (案内板より)

伸び放題に放置された木々で本丸側からこの城の堅固さを実感するのを困難にしている。
本来の城は周囲からは完全に見える状態であったはず、もう少し管理してもらわないとせっかくの遺構が泣く。

JRに城郭の一部を削られた例は甲府城にも見られるが、少し見習ったらいかがなものか。
参考記事: 中山道の治め 甲府城

宇連川の向こう岸の山には、武田兵庫頭信実(のぶざね…信玄の弟) 以下各武将が陣をしいた。
5月20日、本隊は設楽原へ 進出したが、この部隊は長篠城の押さえとしてここに残った。

5月21日(太陽暦7月9日)夜明け、徳川軍の酒井忠次(吉田城主・豊橋市)は、 東三河の将士を引きいて、この武田軍の5つの砦を急襲した。
この時、設楽原方面に進出していた武田勝頼は、背後の鳶が 巣砦方面の火の手と銃声に驚き、本隊に戦闘開始を指令した。

5つの砦を守る武田信実以下は激しく戦ったが、 多数が討死して、残兵は「長走り」の瀬を渡って本隊に合流 しようとした。
その前夜、酒井忠次達将士は、大雨の中を豊川渡河(舟着山)の 裏を回り、5つの砦の背後の山中に潜み、夜明けを待っていたのである。 (案内板より)

不忍の滝、長篠城址史跡保存館 の裏手にある矢沢川に、落差 8mの滝がある。
長篠城 本丸の裏手でもあり、天然の堀の役目も果たしている。

5月14日、武田軍は総攻撃をしかけた。
城中の食料は あと4、5日分だけ。

その夜、鳥居強右衛門は、徳川家康へ 救援を依頼する使者として長篠城を抜けでた。
梅雨の時、増水の寒狭川へおりて、豊川を下ること4km。

15日朝、かんぼう山で脱出成功の狼煙を上げ、岡崎へ走った。 (長篠~岡崎は50km)
岡崎には援軍の織田信長も到着していた。

家康、そして信長の前で城の危急を訴え、周りの人々も感動した。
使命を果たして、休養を勧められたが、彼はすぐ引き返した。

16日の朝、再び、かんぼう山で「援軍来たる」の狼煙3発。
そして長篠城の対岸まで来たが、厳重に警戒する武田軍に 捕らえられた。

武田軍から「援軍は来ない城を開け、武田軍は厚くもてなす」 と呼ばるよう説得されて長篠城二の丸近くに立った。 (この時、城は本丸と二の丸だけ残る)

しかし、「援軍はくる。 この眼で見てきた、あと2、3日、堅固に守れ」と叫んだので、 対岸の篠場野の地で磔にされた。

強右衛門その時36歳。18日、織田、徳川3万8千の軍は設楽原に 到着して陣をしいた。(案内板より)

強右衛門磔の図。

天正3年(1575)の長篠の戦い。
長篠城主であった奥平貞昌は、家臣である鳥居強右衛門等の決死の働きにより城を死守しました。

寡兵で城を守りぬいた奥平貞昌らの奮闘が長篠の戦を勝利に導いたとされる。
この功績により、翌年貞昌は、信長から一字をもらい信昌と改名し、郷ケ原に新城城を築きました。

同年12月、信長のとりなしで家康の長女亀姫をめとり、4男1女をもうけました。
信昌の新城築城は、現在の中心市街区を形成する基礎となり、「新城」の地名の由来にもなっています。

強右衛門城脱出の想像図。

長篠城ジオラマ。

大通寺は、長篠城址の北端、国道151号沿いの丘の上にあります。
このあたりは武田信豊、馬場信房、小山田昌行らの陣地があった所です。

武田の宿将馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋正次らは、武田軍が設楽原へ進撃する前夜、寺の裏山から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたといわれています。

長篠城址史跡保存館。

のこ保存館は銃の収集では日本一ではないだろうか。

風林火山の旗、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句は、『孫子』・軍争篇第七で、軍隊の進退について書いた部分にある文章を、部分的に引用したものである。

すなわち、「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。」
(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)からの引用である。

これは「(~そこで、戦争というものは敵をだますことであり、有利になるように動き、分散・集合して変化していくものである。)だから、(軍隊が)移動するときは風のように速く、陣容は林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、どのような動きに出るか判らない雰囲気は陰のように、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように、攻撃の発端は敵の無策、想定外を突いて雷のように敵方を混乱させながら実行されるべきであると言う意味である。

難知如陰は其徐如林と、動如雷霆は侵掠如火と、意味的に重複する部分が多いので旗印からは割愛されている。

長篠・設楽原の戦いの戦死者を供養する「火おんどり」では、3メートルもの大松明を振りかざし、来場者を魅了します。

長篠古戦場武田勝頼公本陣跡医王寺入口に茶寮 本陣がある。
武田勝頼本陣は、天正3年(1575)の長篠の戦いの時に医王寺の裏山に勝頼が長篠城攻めの際に陣城として築いたものとされる。

今日の昼食は此方ででいただくこととする。

茶寮 本陣脇の天神山陣地は長篠・設楽原の戦いの時に、武田軍の一条信龍、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次 ら2,000の軍が陣地を置いた所です。

陣地跡に建つ荏柄天神社は、元禄11年(1698)、旗本一色氏が旧領(下総国(千葉県))からこの地に移したもので、参道の石段123段の内、88段は下総国から運んだものといわれています。
神社本殿は新城市指定文化財となっています。

独り言
長篠城って歴史的には武田氏壊滅のきっかけとなった戦いで有名だけど100名城に選ばれるほどかなぁ?

JR飯田線は傲慢にも本丸を貫通して走っていたり、本丸の南側は木々が伸び放題に放置され、城の堅固さを実感するのを困難にしている。

まだまだこの城より立派な城跡はいくらでもある、100名城の名を返上すべきと考えるが・・・・・。

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長篠城へのアクセス、行き方歩き方

住所:愛知県新城市長篠字市場22-1
電話:0536-32-0162 長篠城址史跡保存館

JR東海飯田線長篠城駅から西へ徒歩7分

渓流に癒される菊池渓谷の光芒

今日は光芒撮影の本番、ホテルを5時出発です。
4時起床、見上げる空には月が、やった、晴れた!!

早朝出発でホテルの食事はなし、コンビニでおにぎりとサンドイッチを調達、朝食です。

昨夜のうちに管理組合と交渉、広河原への立ち入りの許可を取る。

広河原の一等地で待つこと1時間、水面に光が見えてくる。

僅かに光芒が射すが、こんなものではない。
辺りを見渡すとなんと昨日の地元のカメラマン氏が来ているではないか、色々と細かい情報を得る。

このままここに踏みとどまる選択はあるが、なんせ競争率が激しい。
カルラマン氏の教えに従い単独行動をとることとする。

少し下ったところで渓から立ち上る朝霧を撮る。

教えられた水天宮の橋のたもとで待つこと暫し、きたっ、強烈な光芒です。
撮影を始めてから2時間が経過している。

上流を見やると川面は青く光り、強烈な光の帯が水面を射る。

もう息をのむ美しさ、ただただ、シャッターを押しまくる。

光芒天使の梯子、レンブラント光線などの別名もある、ここでは木々から漏れた光が渓流を照らし、苔むした岩を照らす。

教えられた橋下に三脚を据え、しばらく観察。
撮影に夢中になったカメラマンは誰も動かない、夢中でシャッターを押しているのだろう。

すぐそばの苔むした岩に射すやさしい光、何とも言えない光景です。

朝の光芒は上流の広河原から時間とともに下流の方へ向って移動して行きます。
このような岩場を伝いながらの撮影です、当日はけが人が三人出た。

光芒を見ながらどんどん渓流を下る。

四十三万の滝の上部まで下ったがここからは河原を下ることができない、元来た道を引き返し、歩道を下る。

四十三万の滝、日本の滝100選の一つ。
菊池渓谷は阿蘇外輪山の溶結凝灰岩を浸食してできた渓谷で、両岸が切り立った深い谷に、瀬や滝が連続している。
紅葉の頃が美しい。

昭和9年、九州日々新聞社が景勝地募集を行ったところ、43万票を獲得し第1位になったことからこの名が付けられたとも言われる。

また、古老の話によれば1日の平均水量が43万石(約7.8万トン)と変わらないことから、そのように呼ばれていたともいう。

四十三万の滝から下流を見やると渦巻く水流が渓谷を駆け下る。
ここもこれより先へは危険で進めない、再び歩道に戻り下流を目指す。

天狗滝の上部から木の隙間を通して虹が見える。
足場はかなり危険な状態、無理をして河原へずり降りる。

素晴らしい光景です、苔むした柱状節理を光芒が照らす。

天狗滝を上から見たところ、先ほどここに虹が見えたのだが消えてしまった。

紅葉ヶ瀬下流、ここの光芒も素晴らしい。

黎明{れいめい)の滝、昨日の下見は霧に包まれていたが今日は朝日に光り輝いている。

角度を変えて待つこと暫し、素晴らしい光芒が現れました。

待っている間雨の予報ばかりでガッカリさせ続けていたのに、一転素晴らしい晴れ間をプレゼントしてくれました。
ありがとう。

熊本の奥座敷菊池は、栄華を極めた菊池一族の深い歴史と、色鮮やかに季節を映しだす美しき渓谷の郷。

「菊池一族の興亡」

九州一の渓谷美で人気を集める菊池渓谷と、なめらかな泉質を誇る温泉のまち菊池市。
母なる大河・菊池川の上流にあるここ菊池市には、もう一つの顔があります。
中世の肥後最大の豪族・「菊池一族」の本拠地だった歴史のまちです。

平安期に栄華をほしいままにした藤原氏の血をひく菊池一族が、中央での政争の巻き添えで大宰府の役職を離れ、肥後入国したのが延久2年(1069)。初代・菊池則隆公のときで、ここから一族興亡のドラマが始まる。

平家、源氏の武士が台頭。その後平清盛を筆頭とする平家が治め、やがて源頼朝が挙兵する源平合戦へ、と流れる歴史は皆さんよく御存知。
この頃菊池氏 6代・隆直公も、いち早く平家打倒を旗印に大宰府を攻めるが、結局平家の軍門に降ることになる。

その後特筆すべきは、鎌倉時代の中期蒙古襲来時における、10代・武房公の活躍である。
2度にわたって蒙古軍は北九州に襲来した。
(1274年・文永の役、1281年・弘安の役)時の幕府は西国の武士に出動を命じた。

このとき肥後から出陣したビッグ3が武房公、竹崎季長(下益城郡小川町)、大矢野三兄弟(天草郡大矢野町)である。
彼らの奮戦で蒙古軍は退散。
この戦いの模様は「蒙古襲来絵詞」という絵巻物に描かれており、原本は皇室にあるが、菊池神社歴史館に複製が展示してある。

元弘元年(1331)後醍醐天皇は、時の北条政権の討滅を謀ったが、北条方に察知され隠岐へ島流しとなる。
そして京都では別系の天皇が即位。
しかし後醍醐天皇は島から各地の武士へ決起をうながし、京畿では楠木正成が挙兵するなど、世は騒然としていた。

12代・武時公は、後醍醐天皇の勅詔と錦旗を奉じて、少弐、大友といった九州の有力武士と九州探題(福岡市姪浜)の北条英時を攻略しようとするが、両氏は離脱。

単独で一族郎党と探題に突入し、勇戦するが…。
敗戦必至と覚悟した武時公は、長男武重を呼びよせ、「故郷へ帰り一族を立て直して、北条を討つように」と遺訓を残して自害した。
「抽が浦の別れ」として語り伝えられ、後の楠木正成の「桜井の駅の別れ」のモデルになったという。

京都をめざす足利尊氏と新田義貞を大将とする朝廷方が箱根でぶつかったのが建武2年(1335)。
このとき尊氏討伐軍の先鋒をつとめた13代・武重公は、千の兵を率いて箱根山に進撃。

三千余騎の足利直義(尊氏の弟)と戦った。武重公は手頃の竹を切らせ、その先に短刀をつけた武器を作って待機。
直義軍めがけていっせいに槍を突きまくり、大きな成果をあげた。
この合戦の菊池軍によって初めて採用された戦法で、「菊池千本槍」として今日まで伝承されている。

また武重公は、菊池家憲と呼ばれる一族の結束を祈願した「寄合衆内談の事」を作成した。
一族の惣領の独裁ではなく、各有力氏族による合議で物事を決定しようというもの。
武重公の血判が押されてあり(血判文書としては最古のもの)、現在も菊池神社に保存されている。

後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ移られ、尊子は京都で別の天皇をたて、いわゆる南北朝時代を迎える。
その直前に天皇は皇子懐良親王を征西将軍に任命し、九州に派遣。親王は九州の南朝方の主力・菊池氏を頼り、苦節13年の後に菊池に入る。

懐良親王を迎えたのが15代・武光公。
親王の指揮下、武光公が大将となって、北朝方の拠点大宰府へたびたび迫り、正平14年(1359)筑後川の戦いで勝利した。

親王は征西府を大宰府に移されるまでの約11年間、菊池で暮らされた。
親王の居城だった「雲上宮」、観月を楽しんだ「月見殿跡」は、菊池神社のすぐ近くで、今も往時の名残をとどめている。
また親王のお手植えのムクノキ「将軍木」の前の能舞台で、松囃子能をご覧になった。
菊池神社例祭のときには、現在もここで上演される。

菊池一族は始終南朝方だったが、肥後の守護大名的存在として幕府から遇された。
19代・持朝公のときには、筑後守護も与えられる繁栄振りが続く。

しかし22代・能運公には子がなく菊池嫡流が途絶え、天文12年(1542)、大友義鑑が菊池義武を追って、中世500年の歴史を刻んだ菊池一族の幕は下りたのである。

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菊池渓谷へのアクセス、行き方歩き方

住所:熊本県菊池市原
電話:0968-25-7223(菊池市商工観光課)

熊本駅より熊本電鉄バス「菊池温泉」行き乗車。
終点「菊池温泉・市民広場前」下車。

菊池温泉より予約制「きくち観光あいのりタクシー(土,日,祝,振休,GW運行)」で菊池渓谷へ。

植木インターより県道53号線~国道387号線約50分

菊池渓谷下見

明日の本番撮影に向け撮影予定地の下見が行われた。
小生は以前訪問したことがあるので大体の土地勘はあるが川霧に霞む夕闇迫る渓谷の撮影もいいかな。

参考記事:秋の九州爽やかウォーキング 菊池渓谷

渓谷に入る前に菊池観光物産館に立ち寄り腹ごしらえ、今回のツアーは実用一辺倒で食事は質素なものです。
阿蘇山の外輪山の最高峰大観峰の峰々が見えています、根子岳も見えています。

入山に際しては清掃協力金として100円おさめます、その時戴いたマップを載せておきます。
今日はこのところの雨で川が増水しています、一番奥の広河原まで行きたいのですが、紅葉ヶ瀬より奥は入山が規制されています、残念。

掛幕の滝、この写真は入り口の県道の橋からのぞき込むようにして撮った。
節理のために亀裂が入った川床から水が真っ逆様に落ちていく。
写真の上が滝口、下が滝壺になる。

前回訪問時は水がなく魅力に欠けるものでしたが今回は迫力満点。

見所としては掛幕の滝、黎明の滝、紅葉ヶ瀬、竜ヶ淵、天狗滝、四十三万滝[3](日本の滝百選)、広河原などがある。

一帯は阿蘇外輪山を取り囲むモミ、ツガ、ケヤキなど広葉樹の原生林に覆われている。
「渓谷美の極致」と言われた状態で残っており、阿蘇くじゅう国立公園の特別保護地区、菊池水源として名水100選に選定されている。

また、くまもと自然休養林菊池渓谷として森林浴の森百選や、菊池渓谷自然休養林 として水源の森百選等に選定されている。

竜ヶ淵と天狗滝、渓谷内で最も藍色によどみ、不気味さを感じさせるこの淵はかつて竜が住んでいたという伝説があり、竜ヶ淵と呼ぶようになった。

奥山山頂付近の修練者が時折下りてきてはこの岩場で身を洗い清めたことから、この滝を天狗滝と呼ぶようになったという。

紅葉ヶ瀬は流れの中に踏み込み乳色に煙る渓流を捉える。
撮影用長靴はこちらでの購入が便利です

情景がうまく伝えられないのがもどかしい。
雨の度に渓谷に足を運ぶという地元のカメラマンに会う。

光芒もいいけど菊池渓谷は霧だという、だから雨が降り旅に渓谷に足を運ぶという。
明日の光芒撮影のポイントをいろいろと教えていただく。

黎明{れいめい)の滝、上流緩やかな石畳の紅葉ヶ瀬、それを覆う緑の原生林、奇岩、巨岩の渓谷のあいまを縫って流れ落ちる滝、飛散する水しぶきに朝の太陽が輝いて一帯に霧が立ち込め、まさしく夜明けを思わせる景観を呈するところからこの名がつけられたという。(現地案内板より)

今は霧に煙る。

渓が霧に暮れていく。
熊本のカメラマン氏に別れを言い、下山する。

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菊池渓谷へのアクセス、行き方歩き方

住所:熊本県菊池市原
電話:0968-25-7223(菊池市商工観光課)

熊本駅より熊本電鉄バス「菊池温泉」行き乗車。
終点「菊池温泉・市民広場前」下車。

菊池温泉より予約制「きくち観光あいのりタクシー(土,日,祝,振休,GW運行)」で菊池渓谷へ。

植木インターより県道53号線~国道387号線約50分

熊本県平成の名水百選 白糸の滝

今日は念願の菊池渓谷の光芒を撮影するツアーの出発日。
ところが頼みの天候がここのところずっと雨模様、今日も予報は熊本地方、雨または曇り。

今日の熊本へはJALの小型機エンブラエル170(78席)、ずいぶん小さな機体だ。

エンブラエル E-Jet (Embraer E-Jet) はブラジルの航空機メーカー、エンブラエル社が製造・販売している小型ジェット旅客機のシリーズ名。

伊丹ではご覧の通りの快晴、熊本の天気が気にかかる。

予報通り熊本は雨のお出迎え。
明日の予報は曇り、微かだが一時晴れるかもしれないという。

そこで急遽予定を変更、今日に予定していた通潤橋の放水をわずかな望みをかけて明日に変更、今日は近くの白糸の滝へ行くことに。
そくて午後は明日に備えて菊池渓谷の下見だ。

小生は菊池渓谷には以前来たことがあり、その必要もないのだが、ま、従うことに。

白糸の滝は、熊本空港の南東、阿蘇郡西原村にあります。

高さ20mのこの白糸の滝は高さだけで見るともの足りませんが、周辺の雰囲気、苔、それぞれがいい雰囲気でマイナスイオンと同時に視覚的にもリラックスできます。
紅葉は11月中旬から下旬にかけてになります。

また、ここはパワースポットとしても注目を集めており、流れもきれいだ。

四季を通じて水量が豊富で、20mの落差を流れ落ちるさまは、さながら真っ白な糸のよう。
整備された遊歩道があり、夏期にはライトアップも行われる。

橋のたもとの妙見神社の鳥居を透かして滝を捉える。

白糸の滝は、別名「寄姫の滝」とも呼ばれます。
それは、この滝に伝わる「寄姫伝説」によるものです。

その昔、兵部という男が白糸の滝で雷雨に見舞われ雨宿り。
夕立が止んだそのとき現れた美しい寄姫に兵部は心を奪われ結ばれます。

そのうち、織物をすると言っては出かける寄姫に巷では妙な噂が立ちます。
兵部は寄姫を問い詰めますが知りませぬと答えるばかり。
 
怒った兵部は刀で寄姫の胸を一突きに。
寄姫は外へ逃げましたが、点々と続く血の跡をたどると洞窟の中に血を流して横たわる大蛇の姿があったということです。

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白糸の滝へのアクセス、行き方歩き方

熊本県阿蘇郡西原村大字河原字滝

電話:096-279-3111 西原村役場 企画商工課(代表)

西原村役場から県道28号線(熊本高森線)を益城町方面へ。
西原南郵便局を過ぎ、右手に「白糸の滝」の案内板が見えたら左折。
河原小学校を過ぎた先を標識に従って進むと、滝の手前に駐車場があります。

日本の滝百選 龍双ヶ滝

龍双ヶ滝(りゅうそうがたき)は福井県今立郡池田町にある滝。
福井県では唯一、日本の滝百選に選出されている。

部子川と稗田川の合流地点にあり、落差60mの岩肌をなだらかに流れ落ちる分岐瀑である。
名前の由来はかつてこの近くに龍双坊という修行僧が住んでいたことに由来する。

普段は静かな滝も夏休みの日曜日とあって家族連れでにぎわっている。
カメラアングルもままならず。

正面から滝の上部を狙う。
特に夏から秋にかけては木々の緑とのコントラスト、紅葉の黄や赤とのコントラストが大変見事であり、特に多くの人が集まる。

この龍双ヶ滝は典型的な分岐瀑だね。
60mの落差で岩肌から滑り落ちる水の姿は美しい。

いわゆる滝壺という ものがなく、滝が川に直接落ちている滝で、滝直下は清涼感と気持ちのいい水飛沫で満ち溢れている。

かつてこの龍双ヶ滝には深い滝壷があり(現在は浅いものしか見当たらないが)、そこに龍が住んでいたと言われている。
この龍が時折、天に向かう為にこの滝を昇ったという伝説が残っている

ホワイトバランスを少し変えてみる、どうです、涼しい感じがしませんか。

立ち位置を少し右へずらしてみる。
足場が悪く移動も気を使うのだが、右側に小滝が見える。

小滝もクローズアップしてやると水量もあり、中々の滝だ。

小滝を道路上から狙ってみる、全く違った雰囲気になります。

右手の稗田川の滝も中々のものだ。

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龍双ヶ滝へのアクセス、行き方歩き方

住所:福井県今立郡池田町東青

電話:0778-44-8004 池田町振興開発課

池田町より  国道476号-福井県道34号松ケ谷宝慶寺大野線-龍双ヶ滝
大野市より  国道158号-福井県道34号松ケ谷宝慶寺大野線-龍双ヶ滝

神秘的!! 猿壺の滝

新温泉町岸田川源流の集落を通過し、「お面ケ滝」「亀滝」を通り過ぎ、鳥取県境の「畑ガ平高原」に近い沢を入り、車を降りて10分位のところにあり、新しく命名された「猿壺の滝」。

落差はほとんどないが、周囲のロケーションとマッチした優しい姿の滝である。

曲がり上りを繰り返し、目印の小さな看板を発見、その少し先に駐車スペースもある。

いきなり渡河、最初から長靴で臨む、ほんのわずかの歩きで滝に到着。

正面左から迫る、大きいとは言えないが美しい滝だ、大阪から4時間もかけてやってきただけのことはある。

苔やシダ類に覆われた美しい滝です。

滝の上部、緑がきれいです。

滝の落ち口あたり、苔むした岩、シダ類もきれいです。

少し上部から滝壺を狙う。

おっと右端にカメラマンが入ってしまいました、狭い滝壺、うっかりするとこういうニアミス。

滝の裏側からのショット、水のカーテン越しの景色もいい。

引き揚げ!!の声がかかった頃、陽が射してきました。
躍動的で神秘的な雰囲気が漂ってきました、こんな状況で引き揚げなければならないなんて悔しい。

おそらくこの滝は、午後からの陰の中、曇りの日陰の中で見る方が、その美しさが際だつのかもしれない。

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コンデジで最後のショット、光芒が眩しい。

猿壺の滝へのアクセス、行き方歩き方

兵庫県美方郡新温泉町岸田・畑ヶ平高原

国道9号を新温泉町から鳥取方面へ。
出合橋交差点を過ぎて蒲生峠手前左に「おもしろ昆虫博物館」が在りそこで左折県道262号へ入る。

道なりに進み県道103号~県道408号に入る。
やがて肥前畑と畑ヶ平方面への分岐が在るのでそこで畑ヶ平方面に進む。

畑ヶ平の滝群は林道側に在り、標識も在るのですぐ解かります。
滝見道入口から滝まで約5分、踏み跡程度の道で足元も悪い所が在るので長靴がお勧めです。

長靴はこちらでの購入が便利です

熊野那智大社例大祭 那智の火祭り(扇祭)

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2011年7月9日訪問時のものです。

この例大祭は、熊野那智大社から御滝前の飛滝神社への年に一度の里帰りの様子を表したものです。

十二体の熊野の神々を、御滝の姿を表した高さ6mの十二体の扇神輿に移し、御本社より御滝へ渡御をなし、御滝の参道にて重さ50㎏~60㎏の十二本の大松明でお迎えし、その炎で清める神事が「那智の火祭り」です。

夏でも涼しいパワースポット
日本一の名瀑那智の滝
・高さ133m
・銚子口の幅13m
・滝壺の深さは約10m

那智大滝(なちのおおたき)。「日本の滝100選」のひとつ。
滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから那智の滝は「三筋の滝」ともいわれます。

滝の落ち口には注連縄が張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられます。

三重の塔は、実際には4層になっており、最上層は那智の滝を見渡す展望台のようなスペースになっています(拝観料200円)。

ここからの眺めも絶景ですし、三重の塔のご本尊で、飛滝権現の本地仏とされる「千手観音像」なども拝見できます。

美しい三重塔と那智の滝ツーショットは絶好の撮影スポットで、ここを訪れる人は必ずといっていいほどカメラにおさめる景観である。

「扇神輿」は幅1メートル、長さ6メートル程の細長い框に赤緞子を張り、金地に朱の日の丸を描いた扇を組み合わせ、9ヶ所に計32本、白銅鏡8面、それに「光」「蝶 の髭」「縁松」「桧扇の花」などを飾りつけ、その姿は「那智の大滝」を表すといわれます。

大松明に先立って、二本の小松明が走ります。
途中の「伏し拝み」という場所で扇神輿を残して全員が滝本に下がり、御滝前では宮司ら神職が祭壇前に座り、烏帽子をかぶった二臈神職が点灯した2本の松明を持って「伏し拝み」まで「使」が走ります。

これはいち早く扇神輿を迎えるために放たれる矢です。
一の矢、二の矢、三の矢と、矢は三度放たれます。

「大松明」は重さが約50kg程になり、桧の割板を桶のように輪じめにしたもので、那智山地元の人々の奉仕によります。

白装束に烏帽子姿の氏子らが、重さ50~60キロの大たいまつを担ぎ、133の石段を練りながら御神輿を先導。

場内には神職さんによる解説があり、わかりやすく神事を拝見することができます。

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那智大社への行き方・歩き方

熊野那智大社公式サイト

所在地   :〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社
TEL 0735-55-0321(午前8時から午後5時まで)
FAX 0735-55-0643

アクセス  :車
[大阪~]
大阪から国道168号線・国道42号線を経て紀伊勝浦へ (約4時間)
大阪から阪和自動車道を利用して、南紀田辺インターより田辺西バイパス、国道42号線を経て紀伊勝浦へ(約4時間)
[名古屋~]
名古屋から東名阪道・伊勢道・紀勢自動車道を利用し、大内山インターより国道42号線を経て紀伊勝浦へ(約4時間)
紀伊勝浦より約20分

電車 :
[大阪~紀伊勝浦]
JRきのくに線新宮行 特急オーシャンアロー号・スーパーくろしお号で京都から約3時間50分、新大阪から3時間20分、大阪天王寺から約3時間・紀伊勝浦駅下車
[名古屋~紀伊勝浦]
JR紀勢本線・名古屋から特急ワイドビュー南紀号で約3時間・終点、紀伊勝浦駅下車
紀伊勝浦駅より熊野交通バスで神社お寺前駐車場まで約30分 、タクシー約20分
熊野交通ホームページでバスの時刻表をチェック
※紀伊勝浦駅のバスのりばは勝浦駅と表記してあります

飛行機 :
羽田空港~南紀白浜空港まで 1時間 
白浜からJRで紀伊勝浦へ 1時間30分
関西国際空港や名古屋空港を利用し、JRにて紀伊勝浦へ

駐車場   :神社駐車場 30台 (神社防災道路通行料800円 必要)
※神社境内付近まで車でお越しになれますので、ご年配の方やお子様連れの方にお勧めです
那智の瀧前は 主にお土産物屋さんの有料駐車場になります

神秘の秘境・油木美林遊歩道

油木(あぶらき)美林は御嶽山の据野に広がる太古の森。
ヒノキなどの木曽五木をはじめとした、樹齢300年の木々が茂る原生林です。

学術参考林にも指定されるほど神秘的で美しい森は、遊歩道が整備されているのでハイキングに最適!
周辺にある滝と合わせて、森林浴やバードウォッチングが楽しめる。

森の入り口近辺は御岳信仰の霊場の真っ只中。
御岳山は日本で14番目の標高 3,067mを誇る、日本百名山の一峰です。

「油木美林遊歩道」駐車場より遊歩道を歩くと、最初に現れるのがこもれび滝です。
階段のように水が流れ落ちるその様は、すぐ近くの「不易の滝」ともまた違った涼しげな雰囲気です。

あずま屋もあるので、油木美林や付近の滝を見ながらのんびりとハイキングが楽しめます。

二段目と滝壺のアップ。

少し近づいて上段の滝を。

木立が多く薄日がさしていますが薄暗い道です。

油木美林というとヒノキのイメージが強いのですが、この辺りはカツラやトチの大木、というか巨樹があります。

谷を何度か渡り不易の滝を目指す。

このカツラは相当デカイ。

苔むした岩肌が人を寄せ付けない太古の森を感じさせる。

橋を渡り急な階段を上る。

巨大な倒木が見られます。

不易の滝です。
昔からその容姿を変えぬとの謂れでその名がついています。

地下水が岩からしみ出してくるような繊細な姿は、まるで水墨画を思わせるような美しさです。

付近には小さな滝も散見されます。

多くの流木が横たわる渓を横目に元来た径を引き返す。

百閒滝、ロープウエイへの分岐、本来、往きはバスとロープウェイを乗り継ぎ7合目まで上がります。
そこから油木美林道を辿り、標高1000m近く降るのです。

800段の階段です。
高さ100m以上の崖にへばりついて付けられています。

これだけの距離があり、時間がかかります。

ウッドチップで舗装さ.れた遊歩道を駐車場へ急ぐ。

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油木美林へのアクセス、行き方歩き方

住所:長野県木曽郡木曽町
電話:0264-22-4000木曽町観光協会

JR中央本線木曽福島駅下車 →バス(※季節運行) 32分 →徒歩 60分

冬期の氷瀑で有名な御船の滝を訪れる

雨の行者還林道の撮影を終え、杉の湯近くまで戻り、御船の滝の撮影に向かう。

まだ小雨が降り続いています。
少し高い所から滝のある方角を望む、滝は画像正面の桜の下あたりです。

井光川の支流の渓流に分け入ります。
木道は雨でぬれており滑りそう。

幾つかある木橋は、新調、補強されていました。
谷川を渡りさらに奥へ進む。

歩くこと5分、前方に滝が見えてきました。

滝の最上部、高さ約50メートル。
2段になって水が勢いよく流れ落ちます。

「御船」の由来は、
(1)滝のある谷の名前である船ヤ谷から命名された。
(2)美しい船ヤ谷の滝から御(美)船の滝と呼ばれた。
などが考えられます。

冬期の氷瀑は文殊菩薩を現すとも言われ、知恵を授ける滝と伝えられます。
数ある川上村の滝でもその姿はやさしげでファンの多い滝です。

水量は多くはないが、奇岩に砕け散って裾を広げる流身が非常に美しい。

古文書にも登場する歴史のある滝で「水飛沫と岩に十三尊仏と十六善神が示現して観る人の心を清め、冬は凍結して文殊菩薩となり、人々に知恵を授ける」と伝えられている。

黒い岩盤に白い流身がひときわ目立つ。その流れはすべるように岩肌をつたい、丸い滝壺に吸い込まれていく。

時々差し込む太陽の光が素敵なスパイス。
向こう側の深緑を霧状のベールで透かしてみる。

この辺りにはまだミツバツツジが残っていました。

春の到来を告げるように花が咲き、新芽が芽吹きます。

新緑が小雨に濡れ光っています、小さな雫もかわいいじゃないですか。

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御船の滝へのアクセス、行き方歩き方

住所:奈良県吉野郡川上村井光
電話:0746-52-0111 (川上村役場 地域振興課) 

近鉄大和上市駅より奈良交通バス「湯盛温泉杉の湯」行終点下車。
乗換武木バス停下車徒歩75分で御船の滝入口、徒歩5分。

紅葉の神庭の滝逍遥

国の名勝と岡山県立自然公園に指定されている神庭の滝は、高さ110m、幅20m。
「日本の滝百選」の一つに数えられ、四季折々の美しさを見せる。
ダイナミックに流れ落ちる滝の水しぶきと、カエデやカツラ、シデなどの紅葉が織りなす秋の風景は秀逸で、多くの観光客が訪れる。

依然訪れた時の記事も参考にしてください日本の滝百選 西日本一 神庭(かんば)の滝

駐車場に車を停め、渓谷の紅葉を楽しみながら滝を目指します。

渓谷には大小さまざまな滝がいくつもあり目を楽しませてくれます。

紅葉に彩られた渓流は清々しさがただよう。

三脚を据えて流れを撮っていたら、年配のご婦人が「え~っこれが滝なの!!」
「いえいえ、上流に立派な滝がありますよ」
「あゝよかった」

神庭の滝に向かう途中にある美しい潜流瀑『玉垂の滝』
『玉垂の滝』は、日本の滝百選「神庭の滝」の駐車場から滝に向かう遊歩道途中にあります。

草葺き屋根から雨のしずくが落ちる姿に似ているから、又は、水滴が絶え間なく落ちる姿が水晶の玉を連ねているように見えるため「玉垂の滝」と名付けられたそうです。

渓流を5~6分たどると、滝が見えてきます。

神庭の滝は旭川の支流で星山(1,030m)を源流とする神庭川水域にあります。

滝の中央には黒い岩が突起し、落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。

高さ110m、幅20mの瀑布は、日本百景、日本の滝百選に選ばれている。
断崖絶壁を落下する滝の豪快さは、西日本一を誇る。

秋には紅葉が美しい。
周囲の地質は石灰岩で、近くに「鬼の穴」という鍾乳洞も見られる。

昔は滝壺の近くまで行けたが現在は滝見橋から先は立入禁止となっている。

この日は水流も多く滝も見ごたえ十分だった。

晴れたり曇ったり、時には小雨がぱらついたりと不安定な天気だったが、最後にお陽さんが顔を見せてくれた。
太陽が滝と紅葉を照らし陽に透けた紅葉がことのほかきれいだった。

滝から車で5分程度下ると、江戸時代の城下町の名残を残す「勝山町並み保存地区」があり、情緒ある趣が楽しめます。

参照 のれんのかかる町 町並み保存地区 勝山

神庭の滝から車で15分のところに旧遷喬尋常小学校があります。

明治40年に建てられた左右対称のルネッサンス風木造洋風建築物で、平成11年に国の重要文化財に指定されました。
『ALWAYS三丁目の夕日』など映画のロケ地としても、使用されています。

参照 旧遷喬小学校 迎賓館を思わせる明治のモダンな校舎

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神庭の滝へのアクセス、行き方歩き方

■お問い合せ先
真庭市役所
〒717-0013
岡山県真庭市勝山53-1
TEL:0867-44-2611

アクセス方法
◆自家用車
米子自動車道久世I.Cから約30分
米子自動車道湯原I.Cから約30分
◆JR
中国勝山駅からタクシー10分(約5km)
駐車場:普通車94台(無料)