抑えがたく燃え上がる嫉妬の炎

「源氏物語」の中で六条御息所はその高貴な身分に加え、才気、美貌ともにすぐれた女性として描かれている。
光源氏がそんな御息所を見逃すはずはない。
「源氏物語」の「夕顔」の巻には、源氏が強引に御息所のもとに忍んで行ったことが描かれているが、思いを遂げてしまった後、源氏は御息所に冷淡だった。

そして源氏は、五條あたりに住んでいた夕顔に惹かれて通うが「見たまへば、ただこの枕上に夢に見えつる容貌したる女、面影に見えてふと消え失せぬ」と一瞬姿を現した女が源氏の傍らの夕顔を「ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶えはてにけり」と一瞬にして殺してしまう。
この女こそは六条御息所の生霊に他ならなかった。

賀茂祭(葵祭)に先立って禊が行われる日、一条の大路は名高い光源氏を一目見んものと大勢の人々でにぎわっていた。
六条御息所も気晴らしに、そっと源氏の行列姿を眺めようと思って、人目を忍んでわざと粗末な車に乗って、伴の車も連れずに出かけました。

そこへ遅れてやってきた源氏の正妻である葵の上の一行が、その権勢をかさにきて、他の車を押しのけて割り込んできた。
結局、御息所の車は打ち壊され、何も見えない後ろへ追いやられてしまった。
誇り高い御息所は恥辱に耐えかねて「悔しう何に来つらんと思ふにかひなし」と帰ろうとしているところへ源氏の行列がやってきた。

源氏は御息所の存在に気付くこともなく、それどころか葵の上の前では特別の敬意を表して通り過ぎて行った。
このことによって、女としての自尊心を決定的に傷つけられ、同時に今を時めく葵の上に圧倒されて、わが身の立場を思い知ることともなった。

「影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる」と思って涙をこぼすみやすどころであった。
愛憎紙一重で揺れた御息所の心は、この車争いの事件の後、一気に魔界の闇に転落してゆく。
御息所は自分の娘が斎宮に選ばれ伊勢へ行くことになっていたが、自分も一緒に伊勢へ行くか、定めない源氏の愛を待ち続けるか煩悶していた。

そんな時、葵の上は物の怪がついて病床にあった。
どんな修験僧をもってしても片時も葵の上から離れない霊がひとつった。
葵の上に取り憑いた生霊はまさしく御息所の魂に他ならなかった。
秋となり、葵の上はやっとの思いで夕霧を生むが、にわかにせきあげて死んでしまう。

御息所はといえば、愛欲迷妄の闇から抜け出るには伊勢に行くしかないと思い定めて、野々宮に籠る。
そのもとを源氏が訪れるが二人は語りつくせぬ暁を迎える。
嵯峨野は一面の秋の花も枯れ枯れて、松風に楽の音がかすかに聞こえてくる。
野々宮からである。

近づくにつれてはかなき小柴垣、黒木の鳥居が神々しく、闇の中に浄火がちらちらと燃えて、恋ゆえの訪問はまことに憚り多き斎垣(いがき)の中。
ここに自分のためにしめじめと物思いを尽くす人が隠れ住むのかと思うと、御息所のことが痛ましく悲しい・・・・・・・
源氏物語「賢木」の巻
秋風吹く寂寥の嵯峨野の野辺は男女の会者定離と女の愛憎の果ての舞台となる。

御息所の嫉妬は生きては生霊となって夕顔を、そして葵の上を取り殺し、死してもなお死霊となって女三宮を仏門へと追いやる。
何ともすさまじく暗い怨霊のありようは女の業そのものであった。
そして、御息所は光源氏に恋い焦がれる男女の魔界から救われることはついになかった。

一夜、子君の車に紛れ込んで、中川の宿に忍び入った。
若い後妻は継娘と碁を打っている。
戸の隙間から覗くと、なるほど、伊予助自慢の娘は色白く、つぶつぶ肥えて、花やかな目鼻立ち。

継母の方は見劣りするかと思いのほか、嗜み(たしなみ)ぶかい物腰が格段人を惹きつける。
娘は碁に心を奪われて、胸もあらわに、大声を立てるのが、気品に欠けるとはいうものの、
二人とも決して悪くはない。
その夜、女は継娘と寝ていた。

寝所に忍び込む源氏の気配を察知した女は、小袿(こうち)だけを残して逃げ去った。
まるで抜け殻を残すかのように・・・・・
源氏物語「空蝉」の巻

源氏物語 澪標の巻 住吉詣での図   南海電車 住吉公園駅西側
レリーフには会うことができなかった光源氏と明石の上が描かれています。
牛車の横に光源氏、右上の舟が明石の上の舟。

入道はいよいよ住吉の神を崇め奉り、この秋も娘たちに参詣の舟出をさせた。
そこへ、源氏の内大臣もあの嵐の折の大願を果たすため、お礼参りにやって来る。
きらびやかな内大臣の行列、人々にかしずかれた源氏の嫡男の姿を遥かに下がって拝する明石の人々。
あまりの身分違いをまざまざと見せつけられて、彼女たちはまた自信を失ってしまうのだった。
難波津の澪標・・・・・・・再会はかなわなかった。
源氏物語「澪標」の巻

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