秋篠寺 技芸天が微笑をたたえる寺

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堀辰雄が東洋のミューズと称賛した伎芸天と木立に囲まれた金堂跡の綺麗な苔の絨毯。
梅雨の晴れ間の輝く緑の絨毯が見たいと思いつつ時機を逸してしまった。

この寺の本堂に安置されているのが、おだやかな微みと立ち姿の美しさで知られる伎芸天立像。
堀辰雄や会津八一などの文人が、その微笑に見せられて足しげく通ったことでも知られている。

ふっくらと美しく、頭を傾けた姿が魅力的だ。
頭部のみ天平時代の乾漆造で、胴体は鎌倉時代の補作。

礼宮さまは,平成2年のご結婚式後、陛下から歴史ある皇室ゆかりの地名に因んだ「秋篠宮」の宮号を賜りました。

その当時、妃殿下である「紀子さま」の横顔が、「伎芸天像(ぎげいてんぞう)」に似ておられるという評判が起こり、多くの人が伎芸天を拝観すべく秋篠寺に観光バスなどで訪れました。

2006年には、秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまが誕生されます慶事がありお寺は賑わいましたが今は静寂な境内で感動を覚えるお寺に戻っております。

拝観入口は東門になっているが、本来の正門は南門である。
「秋篠寺」の草創は,光仁天皇の勅願とか秋篠氏の氏寺であったなどと言われていて、はっきりしないところが神秘的で、秋篠寺にふさわしいような気がします。

秋篠は、古くから土師氏ゆかりの土地であったと言われており、延暦元年(782年)に土師安人の姓が宿禰から朝臣に改められた際に「居住地にちなんで」秋篠安人と改名している。

この少し前(具体的年代には諸説あり)に秋篠寺が秋篠の南側に建立された。
また、この近くにある旧そごう、現イトーヨーカドーは長屋王邸跡であることはつとに有名であります。

また、和歌の歌枕としても著名であり、西行の『新古今和歌集』に採録された「秋篠や 外山の里や 時雨らむ 生駒の岳に 雲のかかれる」の歌や慈円の『拾玉集』に採録された「旅の空 秋ぞ悲しき 秋篠の 鹿と虫とに 枕並べて」の歌などが代表作として知られている。

左手に折れても、参道はまだまだ続きます。
この写真の左手には(香水閣)という井戸がありました。

この右手の白壁の向こうが、鐘楼のあるあたりです。
砂利道を踏んで白壁に沿って境内を進む。
境内全体が重要文化財に指定されている。

香水閣 – 本堂東側、東門近くにある井戸。
平安時代の初め、僧常暁が当時の閼伽井の水面に映る大元帥明王像を感得したという故地である。
霊水が湧いている。

明治維新までは、この井戸で汲まれた水が宮中行事に使われたとのこと。
日頃は門が閉じられている。
毎年6月6日には公開されるとのこと。

閼伽井の前を通ると十三社の祠があり、前の小径を奥へ真っ直ぐ進んで行くと南門に至る。

金堂跡の綺麗な苔のジュータン・・・   
真言密教道場として隆盛をきわめるも、保延元年(1135)兵火により伽藍の大半を焼失し今は見事に青々とした苔の庭になっている。

この寺の一つの魅力は金堂跡の苔庭である。
苔が光って美しい。
「入るな」という無粋な立て札は見あたらないが、多分誰もが踏み込むのを躊躇する。

今年は降水量が多く、苔は例年より色鮮やかだったという。
地面の凸凹に応じて様々な表情を見せる。

南門と本堂の間には、雑木林の中に金堂、東西両塔の跡があり、それぞれ礎石が残っている。
竹薮に囲まれた栄華をとどめる「礎石」は、「東塔」が天平時代後半から平安時代初めの創建で、礎石の上に突起物「?(ほぞ)」が造られています。
これほどの貴重な遺構が写真撮影だけでなく手で触れることが出来るのは有難いことです 。

会津八一の歌碑
秋篠のみ寺を出でてかえり見る生駒ヶ岳に日は落ちんとす

本堂(国宝)
鎌倉時代の建立で、当時の和様仏堂の代表作の1つである。
正面5間、側面4間。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。

堂内には本尊薬師三尊像(重文)を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像(重文)、帝釈天立像(重文)、伎芸天立像(重文)などを安置する。

大元堂 – 本堂西側。秘仏の大元帥明王像を安置する。
大元堂 秘仏.大元帥明王は6月6日のみ公開。
激しい怒りの形相をしている。
「勝負の神」であり、「元帥」という肩書きの由来と言われている。

開山堂
僧正善珠大徳を祀る。

霊堂

十三重塔

役行者の石像

鐘楼

このお寺の正門である南大門です。
南大門から入ると、写真左手の林の中に東塔の礎石が、右手の林の中に西塔跡が残っていました。

八所御霊神社 – 南門の外にあり、早良親王など八柱を祀る。

秋篠窯の煙突
南門から少し歩くと、この窯がある。
看板に、営業時間は9時30分~日没までと書いてある。
今西方哉(いまにしまさや)氏の窯である。

氏は染め付けの大家であり、2003年4月にも大阪三越で染め付け展を開催されている。
手前の大きな窯は、3年に一度位しか火が入らないようだ。

称徳天皇高野陵
孝謙天皇(こうけんてんのう、養老2年(718年) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))は、日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日) – 天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。

父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。

即位前の名は阿倍内親王。生前に宝字称徳孝謙皇帝の尊号が贈られている。
続日本紀では終始高野天皇と呼ばれており、ほかに高野姫天皇・倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)とも呼ばれたこともある。

淳仁天皇を経て重祚し、第48代称徳天皇(しょうとくてんのう、稱德天皇、在位:天平宝字8年10月9日(764年11月6日) – 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))。
この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 – 1643年)に至るまで、実に850余年もの間、女帝が立てられることはなかった。

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秋篠寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:奈良市秋篠町757
電話番号:0742-45-4600
営業時間:9時30分~16時30分

最寄駅 近鉄大和西大寺駅
駅からの交通 北口より押熊行バス6分「秋篠寺」下車すぐ

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