播磨塚と小町塚

小町塚・播磨塚、両塚は、もともと別個のもので、現在地(阿倍野区王子町4丁目)に近い畑の中にありましたが、1929(昭和4年)、道路建設に伴いこの地に移りました。

播磨塚は南北朝時代、播磨の武将赤 松氏が、住吉の合戦で戦死した将兵 の遺骨を納めて塚を築き、冥福を祈 ったと伝えられている。

小町塚は小 野小町の塚であると伝えられるが不 明。謡曲「卒都婆小町」に因んだもの とも考えられる。

「小町塚」は、古書「芦分船」には、小野小町の塚であると説明しているが、小野小町がこの地で死んだという記録はなく、小野小町の美貌や才能にあやかりたいとの念願から、信仰などの目的のため造られたものと思われます。(説明看板などより)

能「卒都婆小町」

高野山の僧が供をつれて阿倍野の松原に来かかると、朽木に腰かけて休んでいる乞食の老婆がいた。

見れば朽木と見えたは尊い卒都婆。

僧たちがとがめると老婆は一歩もひかず応酬。
宗教問答となり老婆が勝利を収める。

老婆は小野小町の成れの果てであった。
突然、小町に深草少将の霊が憑き、彼女は狂乱状態になって いく・・・・・

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ちょうどはねず(うすべに色)の梅が咲くころ、小野小町を偲ぶ土地の童唄と踊りが、隨 … 続きを読む →

普通のお話では少将は百夜を前に死んでしまうのが、はねず踊りでは99日目の雪の日に少将が代役を立てたのを小町は知ってしまい,愛想を尽かして小野の里の子供達と楽しく余生を過ごすという話になっている。
悲しいお話が楽しい話に変わっていて,踊りもかわいい。

小野小町ゆかりの寺 退耕庵
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伝説では多くの男心を苦しめた小町が、己の罪業を償うためこの地蔵菩薩像を作ったとされ、良縁を結び悪縁を絶つといわれ信仰を集めています。

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その供養のために建てたのが、この宝塔であるというが、俗に和泉式部とか、小野小町の塔とも呼ばれている。
「年々に牛に心をかけながらこそ越えね逢坂の関」と、式部が詠んだからで、小町の方は、謡曲の「関町小町」から出た伝説に違いない。

ライバルを救った小町の慈悲心「草子洗小町」
小町零落説の背景には、あまたの貴公子を虜にした小町に対しての男性諸氏のひがみ根性 … 続きを読む →

神や仏と謳われた小町の功徳は、謡曲「草子洗小町」に描かれている。
「小町と歌合せで勝てないと思った『六歌仙』大友黒主は前日に歌を盗み聞きする。

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