筒井家の本拠 高石垣の城 郡山城

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平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。
主な城主は筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏

鉄御門跡
本来ならばこの斜め向かいにもうひとつ石垣があり、その上に櫓が建っていた。

奈良盆地を一望するこの地は,郡山城の「詰の城」であった高取城の峻険な山とは好対照で,大変のどかな風景の中におかれていた。
青畝は「15万石の城下へ花の坂」と詠んだ。

桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されている。

写真の真ん中あたりの線で囲われたような部分で、この堀の水を浄化する為にイケチョウ貝を飼育している。

『追手門向櫓は、追手門(梅林門)を守る櫓で、本多氏時代(1639~1723)は「大手先艮角櫓」(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていた。
「追手向櫓」と呼ばれるようになったのは、柳澤入城後(1724)のことである。

元々は豊臣秀長の重臣・桑山一庵法印の屋敷がこのあたりにあったので法印郭などと呼ばれていたが、柳沢氏の入城後に東隅櫓という名に代えられた。

復元された大和郡山城の追手門。

大和また新たなる国田を鋤けば (山口)誓子

城址会館 明治の館
『この建物はもと県立奈良図書館として明治41年(1908)奈良県技師、橋本卯兵衛氏の設計により建てられた、木造瓦葺二階建、外観は日本古代建築を模した堂々たる建物であった。

このような由緒ある建物を財団法人柳澤文庫の協力を得て、昭和45年(1970)ここ郡山城址法印郭に移築し、内部改造を加え、市民の集会等に利用されている。』

天守は存在しませんが、10mを越す本丸の高石垣は見所です。
高石垣と言えば藤堂高虎築城の伊賀上野城を思い出しますが、この大和郡山城も豊臣秀長に仕えていた若き日の藤堂高虎が築城に携わっていたと伝えられています。

『郡山城と城下町』によると「現存している伝天守台に5層6階の天守閣は建築学上から考えて建てられること不可能」としている。

本丸南側の堀と石垣。
壮大な石垣だ。

柳沢神社。柳沢藩の開祖、柳沢吉保を祭神として祀る。

5代将軍・綱吉に仕えて柳沢家を15万石の大名にまでした柳沢吉保を祀る。

埋門跡を通り天守台の裏へ回る。

奈良は良質な石材が乏しかったため、転用石 が多用されている。
市内東部の平城京羅城門跡から運ばれた礎石と伝わる。

石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵を確認することができ、これは逆さ地蔵と呼ばれている。
この天守は逆さ地蔵の祟りや大和大地震で倒壊したという俗説が残っている。

庭石、五輪塔、寺院の礎石などかき集めて築いた野面積み 。
お地蔵様には花が供えられている。

毘沙門郭から本丸への道。左上には竹林橋門跡。

白澤門跡。

柳沢文庫
柳沢家所蔵の書画など郷土資料を保存。

現在、四阿(あずまや)がある文庫の前庭のあたりは、もともと堀之側にあった「柳沢金魚研究所」を昭和に入って移したところで、昭和40年ごろに庭園に造成された。

写真でも分かるように、前庭の中心部は菱形の図形になっています。
大和郡山市の市章はその柳澤藩の紋所「郡山花菱」を図案化したもの。

高台なのに水を切らさぬ池。

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郡山城へのアクセス、行き方歩き方

やまと郡山城ホール公式サイト

住所:〒639-1160奈良県大和郡山市北郡山町211-3
お問い合わせ先:0743-54-8000
近鉄橿原線 近鉄郡山 徒歩 7分
関西本線 郡山 徒歩 15分

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