山吹咲く 松尾大社

京都府

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2012年4月24日訪問時のものです。

京都で最古の神社、お酒の神様として知られる松尾大社は関西一の八重咲き山吹の名所として知られており、境内を流れる一ノ井川沿いに約3000株が群生。

例年4月10日~5月5日には「山吹まつり」が行われており、境内には鮮やかな黄金色に輝く八重咲きの山吹が咲き乱れます。

赤鳥居の上部に柱と柱を結ぶ注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下っていますが、これは脇勧請と称されるもので、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっています。

この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされています。

詳しい資料なども現存せずその占いの方法や仕方などはほとんどわかりませんが、占いによって月々の農作物などの吉凶を判断していた太古の風俗をそのまま伝えているので、民俗史学上も貴重な資料とされています。

「楼門」は江戸時代初期の建造になるといわれている。
当神社は二十二社に列せられ、それらの中でも皇室鎮護の神社になっていただけあって堂々とした楼門である。

「楼門」をくぐり奥に進むと短い石段があり、その上に「拝殿」が見える。「拝殿」は江戸時代初期の建造といわれている。

「拝殿」の南側には軒下に酒樽が積まれた「神輿(みこし)庫」が建っている。

「楼門」の手前、社殿に向かって左側に「お酒の資料館」がある。
ここには昔の酒造用具などが展示されている。

この撫で亀さん、長寿を願う善男善女によって、篤く信仰されている。

『山吹と太田道灌』
 ある日道灌が鷹狩りに出た際、雨に降られた為近くの貧しい家を訪ねて蓑(みの)を貸してくれるように申し入れたところ、若い女性が無言で山吹の花を折って差し出しました。

道灌は花を貰いに来たのではない、実にけしからんと怒って帰ってしまったそうです。
後にこの話を聞いたある人が、八重山吹の花に実のならないことを、賎家に蓑が一つもない侘びしさに掛け、風情ある古歌の心で伝えようとしたのだと道灌に教えたのです。

その古歌とは
七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき』(兼明親王『後拾遺和歌集』)
道灌は無学を恥じ、これより歌道に心寄せたといわれています。

一ノ井川と山吹と巫女さん。

少し早めに出かけるとあちこちで掃除中の巫女さんを見かけます。
仕事の合間に少しオシャベリ。

相生の松
松尾大社の境内には、雌雄根を同じくし、”相生の松”の名で親しまれる樹齢350年を数える古木がある。

昭和31、32年に天寿を全うし、現在は名松の大株を見ることができる。
夫婦和合・恋愛成就の象徴といわれ、厚い信仰を集めている。

椋の霊樹
蓮菜の庭の入口に立っていた、樹齢800年の京都の名木だった
1993年(皇紀2653)平成5年7月に大雨で枯朽する。

境内末社は本殿南側境内に、衣手社、一挙社、金刀比羅社、祖霊社の四社

伊勢神宮遥拝所

曲水(きょくすい)の庭
曲水の庭は、王朝文化華やかなりし平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現したもの。

葵殿では結婚式も行われます。

廊下の奥には神像館がある。
重要文化財=御神像三体(国内最古最優品)、御神像十八体等が展示されている。

右手は茶室。
丸窓から庭とヤマブキを眺めながらいただくお茶はいかに。

即興の庭
当初の設計計画には全くなかった空間で即興的に造り上げた庭園である。

緑泥片岩、白川砂、錆砂利構成の枯山水形式の庭園で、宝物館、渡り廊下、葵殿の三方向からの眺めを考慮し、盤座の自由奔放さと曲水の庭の形式的な石組との中間構成といえる意匠となっている。

上古(じょうこ)の庭

松尾大社でも今から千三百年前の昔、大宝元年(701年)に現在地に御本殿が建てられる以前は、神社後方の松尾山々中頂上近くにある磐座で祭祀が営まれており、この古代祭祀の場である磐座を模して造られたのが本庭。

庭の奥、中央に巨岩二つは、当神社ご祭神の男女二柱を、ミヤコザサは人の立ち入れない高山の趣きを、そしてこれを取り巻く多数の石は、随従する諸神の姿をそれぞれ巨岩によって象徴している。

シロヤマブキ
このシロヤマブキは名前には”ヤマブキ”との言葉が入るけれど、花弁が四枚、黒い実を付けるなどでヤマブキと異なり別種だそうだ。

松尾大社のヤマブキは有名だけれど、このシロヤマブキも同社の庭園裏に群生している。

背後の松尾山(223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座とされる巨石がある。
5世紀ごろ、渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神とした。

大山咋神については、『古事記』に「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されており、古事記が編纂されたころには有力な神とされていたことがわかる。

松尾山から流れた渓流が「霊亀の滝」となり、小さな渓流となって社殿群の間を流れている。

霊亀の滝の近くに「亀の井」と名付けられた霊泉がある。
酒造家はこの水を持ち帰り、醸造時に混ぜて使うという。

また、この水は長寿の水として知られているようで、多くの人がこの水を汲みに訪れているようである。

神饌所裏の御手洗川岸に、四大神社、三宮社、滝御前社の三社がある。

蓬莱(ほうらい)の庭
蓬莱とは、不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に最も流行し、これが作庭技術にも採用されて来た。

鎌倉将軍「源 頼朝」は、当神社に対し神馬十匹・黄金百両を献じて深い尊信の念を捧げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治の時代まで続いた。

蓬莱(ほうらい)の庭の前には茶店もあり、おいしいそばがいただける。

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松尾大社へのアクセス、行き方歩き方

松尾大社公式サイト

住所:西京区嵐山宮町3
電話番号:075-871-5016
FAX:075-871-3434

阪急電車嵐山線 松尾駅下車 徒歩約3分
市バス/京都バス 松尾大社前下車 徒歩約3分