東海の20名城

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東海北陸20名城 吉田城

吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城。江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともある。また、歌川広重による浮世絵木版画...
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東海北陸20名城 西尾城

西尾城は、鎌倉時代前期に三河守護の足利氏が築城した西条城が起源とされ(異説あり)、戦国時代の城主の変遷に伴い規模が拡大、1585年に徳川家康の命により近世城郭に改築された。『三河物語』には、徳川家康による桶狭間の戦い後の三河統一戦で「西尾の...
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織田信長の初めての城 小牧山城

1562年2月18日(永禄5年1月15日)には徳川家康と清須城においていわゆる清洲同盟を結び、完全に東側の脅威がなくなった。ここにおいて、信長は全力で美濃を攻める体制をつくるために、本拠地ごと北方へ前進する策を採った。この新しい本拠地に選ば...
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織田信長が敦盛を舞い、桶狭間へ出陣した清州城

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を舞い、茶漬けを食べながら、螺(ほらがい)を吹け、具足をよこせと出陣していくシーンは映画やドラマでよく出てきます。引治元年(1555)織田信長公が那古野城から入城、永禄3年(...
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秀吉出世の地 墨俣一夜城

1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。現在、墨...
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海上の名城と言われた桑名城

桑名城は桑名市街の東端に位置し揖斐川に臨む水城である。城の北辺には東海道桑名宿「七里の渡し」があり、交通の要衝となっていた。歌川広重の東海道五十三次「桑名」に往時の城が描かれている。長良川河口堰その建設に当たり、利水や治水の観点から建設を望...
東北

桜の名所 三春城跡

三春城跡は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城であった。現在は公園として整備され、桜の名所としても知られている。別名舞鶴城。丘陵の中腹地(現在お城坂といわれる登り口付近)には...
東海

司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城

現在の天守は、大垣城(当時)を参考に1933年(昭和8年)模擬天守としては全国的にも珍しい木造で造られた。山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変...
東海

巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城

苗木城跡には建造物は何一つ残っていないが、城跡の規模は1万石に過ぎたるもので、巨岩と石垣との壮大な組み合わせが往時のまま残り、国の史跡に指定されている。苗木城は、幾度塗り替えても竜にはぎ取られ赤壁が残るという「赤壁伝説」の史跡「赤壁城」、実...
北陸

ササラ峠越えのエピソードを残す 富山城

本能寺の変後、越中に居た佐々成政は徳川家康の決起を促すため富山から雪の立山を徒歩で超え浜松に行きます。佐々成政の努力に係わらず徳川家康は動かず、佐々成政はまた立山越えをして富山に帰ります。この立山越えが「雪のささら峠越え」と言い有名な話です...
北陸

北の庄城 勝家が築いた幻の名城

北の庄城は天正3年(1575)に築城が始まり、織田信長の安土城天主(7層)をしのぐ、9層の天守閣を持つ日本最大級の城だったと記録に残っている。天正11年(1583)羽柴秀吉に攻められ落城。城もわずか8年で「幻の名城」となった。北の庄の地には...