巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城

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苗木城跡には建造物は何一つ残っていないが、城跡の規模は1万石に過ぎたるもので、巨岩と石垣との壮大な組み合わせが往時のまま残り、国の史跡に指定されている。

苗木城は、幾度塗り替えても竜にはぎ取られ赤壁が残るという「赤壁伝説」の史跡「赤壁城」、実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかったと思われる。

また、城に危機が迫ると木曽川から霧が一面に立ちあがり、城を隠してしまうという伝説があり「霞城」とも言われる。

中津川市苗木遠山史料館でまず予備知識を。

史料館では苗木遠山家の資料を中心に,苗木領と苗木城に関わる貴重な資料を展示し,関連する資料の調査・研究も行っています。

城への上り口は公園として整備されています。

標高:432m、比高差:80mの主郭をめざし出発。

緩やかなカーブを曲がりきって足軽屋敷・龍王院跡辺りから天守台、その向こうには雪を頂いた恵那山。

いきなり巨岩、苗木城ではこのような巨岩と人口の石積を巧みに組み合わせて石垣を構築している。

風吹門は大手門とも呼ばれ、三の丸の出入口にありました。
城の内部と外部の通用門で、潜り戸が付いていました。

この場所に風吹門が設置されていた。

大矢倉跡
巨石をうまく使った重量感のあるどっしりとした見事な石垣です。

当時は、この上に三階建ての櫓が建っていたそうで、大手門から攻め込んで来る敵を 高いところから狙い撃ちできるように作られたのでしょう。

駈門(かかりもん)跡の枡形石垣。
駆門は木曽川畔の大手門から三の丸への通用口にあたり、今でも門跡から山麓東側の大手門跡へは「四十八曲り道」と呼ばれる急峻な登城道が続いている。

大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」といわれている。

大門跡。
苗木城中枢へ入る為の門であり、基本的に大きな行事以外の開門はなかったと云われています。

御朱印蔵跡。
将軍家から与えれた領地目録などの重要書類、また刀剣などが保存されていたところ。

二之郭。
当時はこの郭に城主居館が建てられていました。

綿蔵門跡。
門の2階には年貢として納められた真綿が保存されていました。

大門跡の西側が城主の居館や勘定所などがあった二の丸跡で、礎石が一面に広がっている。
遠景は笠置山。

綿蔵門に続いて坂下門。

この辺りは苗木花崗岩 (貫入花崗岩の一種。この地域は花崗岩の産地)といわれる巨岩の壁。

続いて菱櫓門があり、このあとさらに本丸門と続きます。
非常に門の多い城で、山の険しさばかりでなく門の多さからも要害堅固という感じがする。

本丸口門の左側にある的場跡・・弓の練習場の跡です。

この石垣の上が本丸です。
やっぱり扇状の石垣は形がきれいです。

石垣の手前には千石井戸と呼ばれる井戸が今でも水をたたえています。
正直小さな井戸ですが、どんなに日照りが続いても水が枯れたことがないという。

苗木城では最後の門となる、本丸口門。

本丸口門を過ぎると、通路脇には具足蔵(旗蔵)・武器蔵跡。
名前の通り、具足蔵には領主の甲冑や旗、武器蔵(八間蔵)には弓・鉄砲などが保管されていました。

具足・武器蔵より真上の本郭を望む。

自然の巨石をどかすことなく、その間へ巧みに石垣を組み込んでいるのに感心。

本郭です。
この本郭には自然の巨石が2つあり、その巨石の上を跨ぐ形で天守が建てられていました。

天守閣は3階構成となって、一階は「天守縁下」二階は「玉蔵」となり、最上階部分の三階が天守となっていたようです。
現在は柱を使って当時の三階部分一部を復元、展望台ともしています。

ここからは三の丸にある大矢倉を上から眺めることができます。
三の丸から見上げて見ていた大矢倉もなかなかのものでしたが、 こうやって上から見下ろす大矢倉も壮観で立派です。

天守からの眺望、恵那山はまだ雪を冠しています。

・・・今にも巨石が転がり落ちてきそうな角度で止まっています・・・・。
しかし今まで崩れたという記録はないようなので、当時からこのままだったのでしょう。・・・・絶妙。

本郭後方にある巨石「馬洗岩」
かつてこの岩上で、水の代わりに米で馬を洗い、敵に水は豊富だ!という印象を与えたことからの名前です。

この種の伝承は各地に残る。

巨石・馬洗岩の周りにも大きな岩があり、その岩の直下には、笠置矢倉と呼ばれた建物があったようです。

この笠置矢倉跡からは南西方面がよく見渡せ、正面に笠置山が見えたことで笠置矢倉と云われているとのこと。

またこの倉は、床下もあわせて3階建ての構造物だったようで、最上階部分は巨石にのっかる形になっていたとか。

帯曲輪の東部、石垣で何段かの平場が造られたところを登り切ると、仕切門がありました。
帯曲輪のここまでが二の丸、仕切門から先は本丸です。

ギリギリ大名の一万石で「城持ち」の苗木遠山氏は、異例中の異例ということになります。
実際、一万石で「城持ち」だったのは、苗木遠山氏だけだったそうです。

人口の石垣と自然の岩を大胆に利用した普請が見事。
積んだ石垣も、自然の岩に合わせるように削っているのが凄い。

今にも頭上から圧し掛かって来そうな絶壁の側を通過。

物見矢倉跡。
木曽川に面した崖の上に建てられたことから「木曽物見」ともいわれ、樹木越しに木曽川が望める。

八大龍王大神。

二の丸建物群の最南端側には不明門が設けられていました。
不明門は「あかずのもん」ともいい、一段戸低いところにある門で、二階建てになっていました。

二階部分は物置に使用され、一階部分は門になっていました。
幅約1間の通用口の両側の壁は石垣で、高さは最大で3.2mあります。

普段は締め切られ、忍びの門であるといわれていますが、現在門から外につながる道は確認できていません。

不明門跡から帯曲輪の南側進むと清水門跡があり、その先にこんな大岩が露出しています。
この大岩の下に湧水があることから清水門というそうです。

二の丸周辺では新たな発掘作業が行われている。

景色も夕日に赤く染まってきました、ホテルへ急ぐ。本日の泊りは恵那。

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苗木城へのアクセス、行き方歩き方

住所:岐阜県中津川市苗木2897番地の2(〒508-0101)
電話:0573-66-8181 中津川市苗木遠山史料館

JR中央本線中津川駅から北恵那バスで15分「苗木」下車、そこから苗木遠山資料館まで徒歩20分。

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