秀吉は感激し、当社に「鴉宮」の名を贈った。
伝法川跡の南岸(左岸)に鎮座する。
伝法の集落は伝法川を境に北組と南組に分かれていたが、当社は南組の鎮守にあたる。
鎌倉時代の建保3年(1215年)4月、村と港の繁栄を祈念して、伝法村の中心に伝母頭神社として社殿を建立。
文禄元年(1592年)2月に当社を訪れた豊臣秀吉が旅の無事を祈願したところ、社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。
お告げ通り平穏に帰国を果たした。
秀吉は感激し、当社に「鴉宮」の名を贈った。
それに合わせ、鴉が巣を成している森地に遷宮したと伝えられている。
現在、正連寺川に架かる橋を「森巣橋」というのもこのご由緒によるものである。
「三足の鴉について」
往古より、熊野郡那智大社、山形出羽天山神祓、京都下鴨神社等、霊鳥「八咫烏(やたがらす)」すなわち三足の鴉に 関係した神話が多くのこされており、瑞兆に尊く神使として崇められている。
本殿は昭和初期の神明造。
拝殿は切り妻造り、彫刻付き蟇股(かえるまた)、雲龍彫刻など華やかな意匠が美しい。
国登録有形文化財。
江戸時代に入ると神領を没収されるなどして衰退したが明治時代に復興、酉島町の住吉神社、秀野町の住吉神社を合祀して現在に至っている。
正面中央に船の舳先が設えられている
正面中央に船の舳先が設えられているのがとても珍しく、村と港の繁栄を祈念して創建されたこの社に相応しく感じる。
皇太子殿下(現 天皇陛下)ご成婚記念碑、伊勢神宮遙拝所。
主な祭礼
1月9・10・11日:十日えびす(此花えびす)福娘から福笹・熊手などの授与がある。
11月3日:例祭。
7月31日 – 8月1日:夏祭、屋台が建ち並び、3台の布団太鼓や獅子舞の行列が住宅地などに繰り出され、インターホンを鳴らして布施を要求することが多い。両日ともに10万人もの人達が訪れる。
千成瓢箪の発祥の地
本宮鴉宮の拝殿の表側には、神の使い八咫烏、裏側には大阪府の府章である千成瓢箪など全国的に珍しい貴重な彫刻がされおり、千成瓢箪の発祥の地と伝わっておいます。
本殿、拝殿、中門及び透塀は国の登録有形文化財
拝殿の後ろにあるのが中門と本殿。
昭和6年(1931)の再建で、拝殿と共に国の登録有形文化財。
祭神は内陣に天照皇大神、住吉大神(4神)、
恵比須大神を外陣に水神・市杵島比売神を祀る。
本殿、拝殿、中門及び透塀は国の登録有形文化財に登録されている。
琴平社
境内中央に立つ注連柱
注連柱は鳥居の原型とも言われており、主に聖域を分け示す為のものです。
聖域を示す柱という事で標柱とも言われます。
『光輝八紘 瑞烏導師』(かがやかしく、みちびきたり)と仏教伝来の喜びの言葉が刻まれています。
玉垣に刻まれた名前も高名な名前が多い。
元官幣社の名前も見える。
鴻池一族のもの。
「傳母頭(もりす)宮殿」の名を後世に残すために付けられたと言われています。
文久3年(1863年)、備前藩によって正蓮寺川に架けられました。
橋の名前の由来は、川の北側にある鴉宮(からすのみや)の元の名である「傳母頭(もりす)宮殿」の名を後世に残すために付けられたと言われています。
四貫島商店街 素晴らしいサイド光に遭遇
森巣橋を渡ったら四貫島商店街、朝から歩き始めたがもうすでに午後4時を過ぎている、サイド光が美しい。
四貫島中央商店街、前方に森巣橋が見える、一条のサイド光が見事です。
ここでいくつ作品が作れるかな。
商店街を抜けると四貫島2丁目のバス停かすぐ、もう日が暮れる、朝から歩き詰めで足は棒になっている。
酉島をスタートして今回で3度目のアップ、中身の濃い記録が届けられたかな。
安治川河底トンネル、矢倉緑地公園にも行こう
この道を南に抜ければ安治川河底トンネル
今回は淀川左岸を遡ったが右岸を下れば都会の秘境!? 淀川の終点『矢倉緑地公園』
アクセス
阪神なんば線「伝法駅」または「千鳥橋」駅から徒歩約10分