夕張炭鉱跡と幸せの黄色いハンカチ思い出広場

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今回の北海道旅行も最終日です、今朝釧路を立ち、夕張を経由して千歳空港へ向かいます。

帰路も恋問海岸へ立ち寄ったが一昨日の往路の快晴とは打って変わって曇りがちの天候で、画像もモノクロに近い。

ホテルマウントレースイで昼食を戴く。

もともと夕張市と夕張市出資の第三セクターによってスキー場として開業した。
その後1988年に松下興産が約20億円で施設を買収し、約100億円以上を投じてホテル建設とコースの大規模な拡張を伴う再開発を行い、1991年にリゾートとして再開業した。
この時に夕張駅前まで施設が拡大している。

1990年代後半に松下興産の経営難が顕著となると、2002年に夕張市に売却(買い戻し)を打診した。
当時の市長であった中田鉄治が26億円で購入し、再び夕張市の施設となった。

2007年に夕張市が財政破綻すると、指定管理者を公募し、応募した加森観光が運営受託を担うようになった

ホテルに隣接する夕張駅もちっちゃなものだ。

ライマンが石炭調査を行った場所にできたのが北炭夕張炭鉱。

ペンシルベニア州、インドなどの石油調査を終えたのち、1872年(明治5年)北海道開拓使の招待で来日、1876年(明治9年)まで北海道の地質調査に従事し、後に工務省の依頼で1876年から1879年の間、日本各地の石炭・石油・地質調査にあたった。

1891年(明治24年)に帰国するまで自身の日本人助手に教育するなど日本の地質学に貢献した。

地下1000メートルの炭鉱へ降りる「竪坑ケージ(入坑用エレベーター)体験」になっていて、アナログで子供だましな仕掛けなんですが、これが結構コワイ。

採炭現場へ

炭鉱に生きた男たち

発破の穴モミをする採炭夫

全員ヘルメットを支給され探索へ出発。

幸せの黄色いハンカチ思い出広場
入口にある、床屋さんの古い建物です。
この家屋も映画で使われたものとか・・

映画で使われた赤い車の周り、壁・柱・天井のいたるところに、黄色い紙に書かれた感想や願い事が貼り付けられていました。

来館者が自由に書いて貼れるように紙と絵筆記用具、画鋲が置いてありました。

シンボルの風にはためく黄色いハンカチの幟や炭住などがロケ当時の姿のままで公開され、壁一面に貼られた訪れた人たちが記念に書き残した黄色のメッセージカード。
まさに圧巻です。

炭住といわれた古い木造長屋が並び、そこが記念館になっています。

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