童謡「赤とんぼ」のふるさと 龍野

兵庫県


『播磨国風土記』によれば、龍野の由来は「『野見宿禰がこの地で没し、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだ』という故事から『立野』と呼ばれ、『龍野』に変化した」、とされている。

龍野の地名起源は野見宿禰
この地で病没した野見宿禰の墓を建てるために人々が野に立ち(立つ野)手送りで石を運 … 続きを読む →

画像は隅櫓(模擬)。

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龍野の地は江戸時代初期、姫路藩池田氏の領地であったが池田利隆の死に伴いこの地に本多政朝が入封、龍野藩が立藩した。以後、諸氏の支配や天領を経て、最終的には脇坂家10代200年の治世の後維新を迎えた。

これにより城下町が形成され、龍野藩の城下町となった。
現在の市街地にも城下町の町割りが残る。

播磨の小京都 龍野城
龍野城は、標高210mの鶏籠山山頂の山城として築かれた時代と、現在の地、山麓を含 … 続きを読む →

画像は龍野城(霞城)の大手門。

龍野城は鶏籠山(けいろうさん)の山城と山麓の平山城とのニ期に分かれます。

山城は約500年前赤松村秀(あかまつむらひで)によって築かれ、現在の平山城は寛文(かんぶん)12年に信州飯田から脇坂安政公(わきざかやすまさこう)が移って築城したとされています。

寛文12(1672)年、脇坂家3代目老中堀田家から養子の安政が信濃飯田から、揖保川に朝夕深い川霧がたつ龍野に移る。

この地で200年、維新まで生き延びる。
しかし5万3千石の石高は変わらず、参勤交代の費用は倍以上。

安政実兄の改易蟄居もあり、決して割の合う国替えではない。
のちに老中もつとめる格式と経済力のために知恵を絞る。

結果、江戸期日本を代表する醤油醸造、明治期童謡赤とんぼの詩人三木露風が生まれる町並みが醸成されたのだ。

龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡に建つ聚遠亭
聚遠亭(しゅうえんてい)は龍野藩主脇坂氏の上屋敷跡にある歴史的建造物および庭園。 … 続きを読む →

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白壁が残る道の北側にはご覧のような赤レンガの煙突があります。

外観の意匠も凝っているこちらの建物は、龍野醤油協同組合の事務所として大正期に建てられたもの。

ここも国の登録有形文化財になっていて、現在は「大正ロマン館」として観光案内所などが入っています。

如来寺

533年(天文2年)に当案賢正を開山として創建された。
1672年(寛文2年)には龍野藩主脇坂氏の菩提寺となった。

1730年(享保15年)に宝鏡寺門跡から山号「松龍山」を賜った。

風情のある落ち着いた街並みが残る龍野の街、ゆっくり観光して歩くにはいい街だ。

童謡の里龍野
春の盛り、日本のうた“赤とんぼ”の作詞者である詩人三木露風の生誕地龍野を訪れた。 … 続きを読む →


醤油屋さんの高い煙突は何処にいても見渡せ格好の目印。

小林家住宅の土蔵は江戸時代前期という現存する最古クラスのものらしいです。

觜崎屋本店

たつの市で人気の老舗の和菓子屋さんです。

バス2台のツアーですが車内で案内されたこともあり、たちまち売り切れ。

非常に興味深い望楼付属町家。
ツシ二階建てから本三階建てへの過渡期的町家で、稀に京都市内などで見かける。

路地を隔てて見るとなかなか風情のある景色。

醤油の三大名産地 日本全国で作られている醤油ですが、代表的な産地は、千葉県、兵庫県、香川県の小豆島になります。

全国の生産量の約15%を占め、1位の千葉と合わせると日本の醤油の半分はこの2県で生産されていることがわかります。

兵庫県では主に色が淡く、料理の色や味わいを活かす「淡口醤油」が造られています。もともとは一般的な濃口醤油を造っていたのですが、現在の龍野市で江戸時代から淡口醤油が造られるようになりました。

播磨平野の豊かな小麦、山間部に産した質のよい大豆、赤穂の塩、そして清らかで鉄分の少ない川の水が淡口醤油作りに適していたそうです。

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醤油のうんちく

醤油の元祖は紀州の湯浅

ちなみに現在のような醤油は紀州、和歌山県湯浅で鎌倉時代の1254年に誕生したと言われています。

臨済宗禅寺の僧である覚心(法燈国師)が、中国で金山寺味噌の醸造法を学び、それを湯浅に伝え、その亀山時味噌から醤油が生まれたそうです。

五大産地には入っていませんが、湯浅が醤油の元祖です。

野田の醤油の始まりは永禄年間(1558-1570年)。

龍野の醤油の始まりは天文年間(1532~54年)、天正年間(1573-1592年)、2つの説があります。

小豆島の醤油の始まりは文禄年間( 1592 ~ 1595 )。

銚子の醤油の始まりは元和2年(1616年)。

大野醤油の始まりは元和年間(1615~1623)。

五大産地の内、野田だけは紀州との関係がわかりませんでしたが、他の産地はいずれも、どこかの時点で紀州の醤油づくりの影響を受けています。

龍野は紀州に醤油をもたらした覚心が、湯浅の後、龍野にも醤油のつくり方をもたらしたと言われています。

小豆島で醤油が作られるようになったのは、大阪城築城のために、小豆島に石材を切り出しに来た採石部隊が携帯していた紀州湯浅の醤油だったとか。

その醤油に興味を持った島民が湯浅に渡って醤油づくりを学び、醤油をつくりはじめました。

銚子で醤油が作られ始めて、しばらく後の、1700年(元禄13年)、紀州から移住した濱口儀兵衛がしょうゆづくりを盛んにしました。
濱口儀兵衛は現在のヤマサ醤油の当主のご先祖様です。

大野醤油は、加賀藩三代藩主前田利常に命ぜられた直江屋伊兵衛が紀州湯浅で、醤油のつくり方を学んできました。
直江屋伊兵衛は大野醤油の直源醤油のご先祖様です。

大手メーカー6社

2020年時点で、大手メーカー 6 社で国内流通する醤油の約 60 % を生産している。

キッコーマン(千葉県野田市)[注釈 1] – 2018年時点の国内シェア 28.6 %
ヤマサ醤油(千葉県銚子市) – 2018年時点の国内シェア 11.7 %
正田醤油(キッコーショウ)(群馬県館林市) – 2018年時点の国内シェア 6.5 %
ヒゲタ醤油(東京都中央区)[注釈 2] – 2018年時点の国内シェア 5.1 %
マルキン醤油[注釈 3](香川県小豆郡小豆島町) – 2018年時点の国内シェア 4.0 %
ヒガシマル醤油(兵庫県たつの市) – 2018年時点の国内シェア 3.9 %

西日本に知られた淡口醤油中心の有名なメーカーとして、ヒガシマル醤油がある。
一方で、和歌山県では古くから濃口醤油が主流となっている。

現在、国内で生産されているものの大半が本醸造であり、またこの濃口醤油が大半を占める。

「本醸造」の条件は、大豆、麦、米等の穀物を蒸煮し、麹菌を用いて作成した麹に、塩水または生揚げを混合して発酵・熟成させたものを指す。

麹に、蒸した米や甘酒を添加したり、分解を促進するための、セルラーゼ等の酵素を添加することも許されている。

ただしプロテアーゼを除く。
JAS特級の条件には「本醸造であること」という項目も含まれているため、特級醤油であれば常に本醸造醤油である。

都道府県別では、キッコーマン(野田市)、ヤマサ、ヒゲタ(いずれも銚子市)等の大手が存在する千葉県が34%、ヒガシマル(たつの市)が存在する兵庫県が16%と上位2県で半数を占めているが、日本各地に中小メーカーが存在する。

なお、現存する最も古いメーカーは、室次(福井県福井市)である。
うすくち(淡口)

汁物、煮物、かけうどんつゆなどの料理用に、特に近畿地方で多用される。

近畿の料理は昆布出汁を多用し、昆布の風味が失われないよう香りの薄いものが求められた。

また濃口醤油を使うと料理の色が黒くなる(うどん汁が大阪では薄色で、東京は濃く黒っぽくなるのは醤油の色の違いである)ので、素材の彩りを生かす京料理などに透明なものが好まれた。

塩分濃度は濃口より1割ほど高い。
濃口よりも原料の麦を浅く炒り、酒を加える。

仕込み時には、麹の量を少なく、仕込み塩水の比率を高くする。

圧搾前に甘酒を加えることもある。酸化して黒みが出ると価値が低いとされているために濃口醤油より賞味期限が短い。

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