頂法寺は、京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町にある天台宗系単立の寺院。
山号は紫雲山。本尊の如意輪観世音菩薩(如意輪観音)は秘仏。
西国三十三所第18番札所。
「恋の寺」六角堂と京のヘソ石
頂法寺は、京都市中京区堂之前町にある天台宗系単立の仏教寺院。 山号は紫雲山。 本 … 続きを読む →
早咲き六角堂の御幸桜
頂法寺は、天台宗系単立の仏教寺院。 山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。 西 … 続きを読む →
寺号は頂法寺であるが、本堂が平面六角形であることから一般には六角堂の通称で知られている。
華道、池坊の発祥の地としても知られている。
中京郵便局旧庁舎
1871年(明治4年)の郵便制度発足時に、東京、大阪と共に設けられた郵便役所を前身としており、日本で最も歴史のある郵便局の一つ。
1902年(明治35年)に建設されたネオルネサンス様式、赤レンガ造りの美しい外観が特徴。
当局の面している三条通のこの一帯は、京都文化博物館別館や日本生命京都三条ビルなど、明治期以来の近代建築が多く残っていることで知られ、京都市から「歴史的界隈景観地区」に指定されている。
また本局舎は京都市登録有形文化財であり「景観重要建築物」として指定もされている。
京都文化博物館
前身は平安博物館と称し財団法人古代学協会の施設として1968年(昭和43年)に作られた私立博物館であった。
平安博物館の建物は旧日本銀行京都支店(重要文化財)であったが、京都文化博物館を創設するにあたり財団法人古代学協会から京都府に寄贈された。
旧日本銀行京都支店の建物は現在は京都文化博物館の別館として使用されている。
中京の街並み
「TIME’S」、二階(地上階)にはTシャツ屋「Design Tshirts Store graniph(グラニフ)」が入っていましたが、そこが撤退してテナントゼロになったようです。
2020年夏時点でこのTシャツ屋だけという状態だったようなのですが、いつの間にかそのお店も撤退してゴーストタウン化しています。
安藤忠雄の世界 TIME’S
建物は京阪・地下鉄三条駅より三条大橋を渡り、少し歩いた先にかかる三条小橋西詰に建 … 続きを読む →
瑞泉寺
文禄4年(1595年)7月、秀次は叔父豊臣秀吉から謀反を疑われ関白の職を剥がれて高野山に追放された。
7月15日(8月20日)、賜死を命じられた秀次は切腹した。
山本主殿、山田三十郎、不破伴作など家臣5人もまた殉死した。
秀吉は伏見で首実検し、8月2日(9月5日)、秀次の首は三条河原で梟首(キュウシュ。さらし首)されることになるが、その時に秀次の妻妾、幼児などを合わせて30余人が打首とされた。
遺体は秀次の首とともに河原に埋められ、塚、石塔が建てられて(石櫃に)「秀次悪逆塚文禄四年七月十四日」と刻されたという。
この首塚と墓は、殺生塚、関白塚、摂政塚、畜生塚などと称され、かえりみる者は無かったが、慶順という行者はそのかたわらに草庵を結び、菩提を弔った。
豊臣秀次菩提寺 瑞泉寺
悲劇の人豊臣秀次の墓所「瑞泉寺」は鴨川の西、三条小橋東詰南、高瀬川沿いに建つ。 … 続きを読む →
竜馬通り界隈。
先斗町歌舞練場
あちこちの店先に鴨川ちどりが描かれた提灯が掲げられ、情緒豊かな雰囲気を醸し出している。
京都には現在「五花街」と呼ばれ、賑わっている祇園甲部、上七軒、先斗町、祇園東、宮川町の五つの花街がある。
これらの花街にはそれぞれ紋章がある。
先斗町の紋章は「鴨川ちどり」。
明治5年(1872年)に鴨川をどりが初めて開催されたときに創案されたものである。
かつては鴨川に数多くいたという鳥類も今ではあまり見かけなくなったが、先斗町通を歩いていると、千鳥の画が描かれた提灯があちらこちらの店先に掲げてあり、街の雰囲気を和やかに盛り上げている。
新春花街舞初め特別講演2013
先斗町歌舞練場で行われた新春花街舞初め特別講演2013の様子を報告します。 先ず … 続きを読む →
先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街及び歓楽街。
「町」と付くが地名としての先斗町はない。
先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、公文書(四条通地区地区計画:京都市都市計画局)にも使用されている
また、鴨川寄りに面したお茶屋・料亭・レストラン・バー等は納涼床を設ける店舗も多数存在している。
黄昏時 先斗町
先斗町では住民が5年ほど前から景観に合わない大型看板、ネオンなど広告物を自主的に … 続きを読む →
東華菜館
四条大橋と鴨川の風景になじむ「スパニッシュ・バロックの洋館」で伝統的な北京料理を提供。
現存する日本で一番古いエレベーターを体験出来、異国情緒がある落ち着いた空間でゆっくり食事を楽しめます。
鴨川、納涼床、川床(ゆか)ともいう。
二条大橋から五条大橋にかけての鴨川西岸の料理店では、5月から9月にかけて河原に張り出した木組みの床が設けられる。
北エリア(二条通から先斗町公園の上木屋町、先斗町北)と南エリア(先斗町公園から五条通の先斗町南、西石垣、下木屋町)に位置し、観光客を魅了している。
切り通し(きりとおし)は京都市東山区内の南北の通りの一つ。
北は新橋通から南は四条通までの僅か約180mの通りのように見えるが、実際には北は古門前通まで続く。
東の花見小路通、西の縄手通と共に、祇園の中心となる通り。
新橋通、白川南通から末吉町通の間は狭い路地のような通りであるが、新橋通などと同様、石畳が敷かれており、飲食店も点在し風情ある景観を見ることが出来る。
昔は舞子の追っかけのようなことをしたこともあるなあ・・・・・
祇園の八朔2012
今年も八朔へ出かけた。 今までと違ったシーンを撮りたいなと思いつつ足はついついい … 続きを読む →
祇園放生会 [祇園白川・巽橋]
祇園放生会は、遥か中国陳代(557~589)、今より約1400年以前の天台宗の高 … 続きを読む →
木屋町から白川通りへ夜桜の路を彷徨
吉井勇が「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」と詠ったのもこの辺りにあった料亭でのこと。 … 続きを読む →
この白川沿いの石畳の道は昭和20年頃まではなく、お茶屋が立ち並んでいたそうです。
祇園白川に「大友」あり「大友」に「お多佳さん」ありというぐらい有名なお茶屋がその中にありました。
「大友」には、夏目漱石、谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたそうです。
「大友」のあった場所には「かにかくに」の歌碑がある。
谷崎潤一郎ら数名が吉井の古希の祝いに建立したそうです。
毎年十一月八日には「かにかくに祭」が祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれています。
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