京の冬の旅非公開文化財特別公開 知恩院

京都府

今回特別公開されるのは大方丈、小法上、方丈庭園。

大方丈(重文)は、武者隠しのある「上段の間」や54畳の「鶴の間」、「抜け雀」の襖絵で知られる「菊の間」など、各室が金碧障壁画で飾られた豪壮華麗な佇まい。

小方丈(重文)は対照的に水墨画が描かれている。

三門は本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。

高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、現存する日本の寺院の三門(山門)のなかで最大の二階二重門。

組物(軒の出を支える構造材)を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似た形式とする。

門の上層内部は釈迦如来像と十六羅漢像を安置し、天井には龍図を描くなど、やはり禅寺風になっている。
日本三大門のひとつに数える説がある。徳川二代将軍徳川秀忠が寄進した。

境内はかなりの高所にある。

徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)が松平氏第5代長親の弟であること、二条城とともに京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったと言われている。

多宝塔

鴬張りの廊下、御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550メートルもの長さがある。

歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされている。

また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれています。

仏足石

唐門 (重要文化財)、大方丈玄関に通ずる門で、寛永18年(1641)造営。江戸初期の建築ですが、桃山時代の彫刻を生かしており、牡丹唐草、鯉魚に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人および松を配した細かな彫刻がなされている。

これは桃山時代に流行した故事伝説に基づくものであるといわれている。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降。

方丈庭園 二十五菩薩の庭

江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。

北門より外に出る。

黒門坂、この辺りの佇まいはまさに城、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景がくみ取れる。

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