大都市の目の前にありながら僅か10分の船旅で都会の喧噪を忘れられるとあって、福岡市民の身近な行楽地として親しまれる。
福岡でも屈指の菜の花・桜・コスモス・水仙の名所で、満開のころは一年で最も混雑する。
能古島が初めて登場する文献は『平安遺文』。
731年(天平3年)頃の住吉神社の社領を記述した文中に「能護嶋」の名で登場する。
『能古島の歴史 防人(さきもり)の島』 現地案内板より
「天智天皇の2年(663年)、唐・新羅の連合軍に攻略された百済の救援に向かった日本軍は、白村江の戦いで大敗した。
それ以降、北九州や壱岐・対馬などは、国を守る第一線となり、律令政府は、城を築いたり海岸に兵士を置いて守りを固めさせた。
九州や壱岐・対馬を守るこれらの兵士を「崎守」「岬守」といい、中国唐の制にならって「防人」の字をあてた。
諸国の防人は難波(大阪)の港まで歩いてきて、そこから船に乗り、九州に向かった。
防人は3年交替で食料などは自分持ちだったため、ひとりの防人が出れば、その家は滅びるとまでいわれた。
8世紀を通じて防人のほとんどは東国の兵士であったが、天平宝字1年(757年)には、東国防人が廃止され、西海道7国の兵士2000人がこれに従った。
なお、万葉集に「也良乃崎守」とある也良は、能古島最北端の松尾の荒崎をさし、対馬・壱岐以外での防人の配置を示す好例である。
“沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ
山上億良 巻16-3866
沖に棲む鳥の鴨という名の船が帰って来たら、也良の崎守りよ、早く知らせておくれ。
永福寺の入り口のだるまさん。
永福寺、能古島にあるお寺。
創建の由来は不明なのだそうですが、祇園山笠発祥の地として知られる承天寺の末寺という。
福岡の地行にある金龍寺ともかかわりが深いお寺ということで、曹洞宗に属する。
とてもきれいに整備されて、境内には登り窯跡、孔子廟などもあります。
能古博物館の入口近くには「まぼろしの能古焼」と言われている能古焼の古窯跡がある。
能古焼は江戸時代中後期に 陶磁器を作っていた窯で有田焼系の磁器であったようです。
今は能古島に焼き物の窯はなく滅びています。
能古博物館(島の歴史をはじめ和船、古高取の銘品床置、筑前亀井学の関連資料など展示)、冬季は閉館だが我々のため本日特別にあけていただけた。
博物館からは対岸が一望、見えているのは船出した姪浜かな。
白髭(しらひげ)神社は、能古島の生土神(うぶすながみ=氏神、鎮守の神)で祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)、神功皇后、志賀明神(しがみょうじん) など。
能古島という地名は「神功皇后が住吉の神霊を残した島なので残島(のこのしま)になった」といういわれがあり、この神霊を留めたのが 白髭神社だといわれています。
島で見かけたマンホールの蓋。
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