鹿王院(ろくおういん)は右京区嵯峨北堀町にある臨済宗系の単立寺院山号は覚雄山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義満、開山(初代住持)は春屋妙葩。
山門をくぐると石畳の道に紅葉のアーチが続いており、最初に目に飛び込んでくる、奥に伸びた参道の苔の緑色と紅葉の赤色のコントラストが見事。
周囲は静かなエリアで、意外と人も少なく時間帯によっては、静寂を感じながらの紅葉を堪能できる。
紅葉狩りの観光客でにぎわう、嵯峨野の隠れた紅葉の名所と言えるのがこの「鹿王院(ろくおういん)」。
嵐山は人が多くとても混み合っていますが、ここは穴場スポットなので混雑を避けられます。
参道の紅葉は、もう少し後になると散りモミジも人気があります。
中門付近から庫裡(くり)を望む。
庫裡は、鹿王院中興の師、虎岑和尚の再建(寛文年間・1660年代)によるもの。
宿坊や拝観のための入り口にあたり、玄関正面には「韋駄天(いだてん)の像が安置されている。
中門脇の紅葉とススキが目を引く。
既に12月に入っているが紅葉は赤く美しい。
客殿南東側から、前庭、駄都殿(舎利殿)、そして背後の嵐山を望む。
平庭式枯山水庭園である前庭には、室町時代の石組や樹齢四百年の木斛(モッコク)の銘木をはじめとして計画的に配置された樹木があり、拡張高い庭となっている。
駄都殿(だとでん)に安置されている仏牙舎利(ぶつげしゃり)は、もともと鎌倉将軍源実朝が宋の国から招来したもの。
少し逆光気味で紅葉の垢が今一目立たない。
廊下に落葉一葉。
舎利殿内部、中央が仏牙舎利を納めた大厨子(多宝塔)
駄都殿(だとでん、一般的には「舎利殿」と呼ばれる)内部の様子。
内陣中央の須弥壇上の大厨子の中にある多宝塔内には、源実朝が宋の国から招来した「仏牙舎利(ぶつげしゃり)」が安置されている。
大厨子の四方には四天王像が立ち、壁面には「涅槃図」や「十六羅漢図」が並んでいる。
舎利殿 天蓋。
本堂内にある「開基 足利義満像」。
足利義満は、寿命を延ばすことを祈ってこの寺を創建した。
足利義満は康暦元年(1379年)のある夜、「そなたは今年中に大患をわずらうが、宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。
そのため、義満は自らの帰依する禅僧・春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし、康暦2年(1380年)完成した。
当初の寺号を興聖寺といい、後に宝幢寺(詳名は大福田宝幢禅寺)に改称したという。
鹿王院は、嘉慶元年(1387年)、開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る塔頭として創建されたものである(春屋の死去は翌嘉慶2年・1388年)。
宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺であったが、応仁の乱で廃絶。
塔頭の鹿王院のみが残った。
鹿王院は寛文年間(1661年 – 1673年)、酒井忠知(徳川四天王の一人である酒井忠次の子)によって再興され、忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山となった。
「足利義満の自筆による「鹿王院」の額」
客殿の扁額「鹿王院」、足利義満真筆という。「天山」の道号が印にあり、出家した38歳以後の揮毫とみられている。
鹿王院の名の由来は、廟(びょう)を建てようとして横の藪を切り開いたところ、藪の中から白鹿が出てきたために名付けられたらしい。
鹿王院山門右の古瓦入土塀。
鹿王院へのアクセス、行き方歩き方
京都市右京区嵯峨北堀町
075-861-1645
京福電鉄鹿王院駅より徒歩2分。
JR山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山駅より徒歩7分。
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