明治の風薫る白亜の洋館 仁風閣

地域

仁風閣は1907年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸。

今日の昼食は鳥取砂丘でいただいた。

鳥取市は、元鳥取藩主池田家の居城であった久松山(海抜263m)を扇の要(かなめ)として発展した都市で、この城跡に建っている洋風建築が国の重要文化財仁風閣。

フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建て。
正面右の尖塔は館内にある螺旋階段用角尖塔である。

仁風閣から望む鳥取城の石垣。

また仁風閣のある久松公園は桜の名所としても有名で花見シーズンになると多くの花見客が訪れ賑わいを見せています。

この螺旋階段には支柱がありません。
ささらげた(階板を支えるわき板)が支柱の代わりをしています。

ささらげたは、削ったケヤキの厚板を6枚つないで出来ています。
全国的にもまれなものです。

「仁風閣」の名は、この時随行した海軍大将東郷平八郎の命名で、今もその直筆が二階ホールに掲げられています。

明治39年9月着工
明治40年5月11日頃竣工、わずか8ヶ月間の突貫工事
建築費29,362円、装飾・設備費5,740円、電灯費1,787円、庭園・果樹園費2,000円等

総経費は43,335円、当時の鳥取市の年間予算は約5万円でしたから、莫大な資金を投入して作られたことがわかります。

殿下ご到着の当日に、鳥取県下ではじめて電灯が灯されるなど明治の文明開化を華々しくうたいあげた記念建築でもある。

設計を手掛けたのは、3つの国立博物館や東宮御所の設計で知られ、明治期の日本の近代建築界を代表する片山東熊工学博士。

皇室関連施設の設計に数多く携わり、宮廷建築家と称された片山東熊ならではのルネッサンス様式の本格的な洋館建築です。

御座所
この建物のなかで、最も豪華なこしらえの部屋です。
落ち着いた彩色・柄の壁紙、天井紙に包まれて、イタリー産黒大理石のマントルピースが安定感を増し、柱左右の緑色タイルは当時世界的に有名なイギリスの陶芸家フラックスマンの作品で、右に王子像左に王女像が配してあります。

鏡枠は菊花彫刻がほどこされ、カーテンボックスの美しい花柄の彫刻と調和し、天井には5灯のシャンデリヤが豪華な曲線美を見せています。
寝椅子・座椅子はウルシ塗り、菊花の金マキ絵仕上げで、当時をそのままに表現しています。

御寝室

洋式トイレ

この部屋は、明治40年5月に「仁風閣」を皇太子殿下御宿舎として使用されたとき、御食堂にあてられました。

調理場(この建物の南側、元お米蔵にあった)でつくられたお食事を、渡り廊下・らせん階段を経て隣室の供進所に運び、殿下がお席につかれてから差し上げたものと思われます。

2階のガラス張りのバルコニーからは池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できる。

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仁風閣へのアクセス、行き方歩き方

仁風閣公式サイト

住所鳥取県鳥取市東町2-121
TEL 0857-26-3595 FAX 0857-26-3595

JR鳥取駅から100円循環バス「くる梨」青コースで11分、「仁風閣・県立博物館」下車すぐ