建造中の名称は亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)、完成後の名称は箱館御役所(はこだておんやくしょ)。
柳野城(やなぎのじょう)とも呼ばれる。
国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。
今回は北海道の100名城巡りの五日間のツアーです。
関空からのフライトです。
函館へ向かう途中の有珠山SAでトイレ休憩。
左が有珠山、右が昭和新山です。
有珠山は20世紀の100年間だけで実に4度もの噴火活動が観測された、世界的に見ても活発な活火山です。
2007年、昭和新山とともに日本の地質百選に選定されました。
昭和新山は明治新山等と同じく有珠山の側火山であり、デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。
現在も噴気活動が見られる。
バスの車窓からの駒ヶ岳。
駒ヶ岳は山頂部には直径約2 kmの火口原があり、西の剣ヶ峯、北の砂原岳、南の馬の背・隅田盛で囲まれるほか、山腹は、火山噴出物で覆われる地形輪廻の原地形(初期段階)を見せる。
半月堡開口部と二の橋
二の橋を渡ったところが表門です。
五稜郭の大きさは, 堀の内側は約125,500㎡と, 東京ドームの約3倍の広さがあります。
また,水堀は約56,400㎡,さらに堀の外側で史跡指定の所は約69,000㎡の広さがあります。
水堀の幅は最大約30m ,深さは4~5mで,この堀の外周りは約1.8㎞ の長さとなっています。
石垣の中で,正面側の石垣の一番上には,石が一列飛び出しているところがあります。
これは「はね出し」や「武者返(むしゃがえ)し」または「しのび返し」と呼ばれるもので,五稜郭の石垣の大きな特徴の一つです。
本塁石垣の構造(現地説明板より転載)
五稜郭の土塁は、堀割からの揚げ土を積んだもので、土を層状に突き固める版築(はんちく)という工法で造られている。
土塁の上から堀を見る。
土蔵(兵糧庫ひょうろうこ)
五稜郭築造時の建物で、唯一現存する建物。
箱館戦争の記憶から、いつしか「兵糧庫」と呼ばれるようになったようである。
大正時代には「懐旧館」という箱館戦争の展示資料館として利用されていた。
文献資料や発掘調査成果から庇屋(ひさしや)があったことが確認されたことから、平成13・14年度の修理工事の際に、現在の姿に復元した。
1854(安政元)年の日米和親条約締結に伴う開港がきっかけで、蝦夷地の開拓や外交などを担うために設けられた箱館奉行所。
当初は函館山山麓(現在の元町公園付近)にありましたが、防衛上の理由で、ヨーロッパの城塞都市を手本に蘭学者・武田斐三郎が設計した、星形の五稜郭へと移転します。
実際、箱館戦争の際、箱館奉行所の建物の天辺にある楼閣が、官軍の軍艦の艦砲射撃の格好の標的となった。
それを知った旧幕府軍は慌てて楼閣部分を撤去したが、射撃角度をかなりの精度で知られてしまい、要塞内に次々と着弾、最早この時点で要塞としての機能は麻痺していた。
五稜郭タワー展望台からの眺望~五稜形をした五稜郭跡
西洋式土塁の特徴である稜堡(城本体からの突出部)とよばれる突角は、左右対称の星形五角形に配置されている。稜堡は土塁で築かれ、一部に石垣が積まれている。
本来のヨーロッパの稜堡式の築城様式であれば、半月堡は二重、三重に築かれて縦深防御を構成したが、たった一箇所の半月堡ではかなり見劣りがする。
一番の問題としては、既にヨーロッパでもこのような稜堡式の築城様式は、いささか旧式化していたことである。
展望台から函館湾を望む。
左手前方に函館山が見える。
函館市街を背にした土方歳三。
京都では「鬼の副長」として新撰組隊士を厳しく統率し恐れられた土方だが、箱館での土方は、「人に慕われることは、あたかも赤ん坊が母親を慕うかのようだ」と伝えられるほど温厚で、明治2年(1869)春からの新政府軍による攻撃に際しては、自ら最前線で兵を励まし奮戦し、押し寄せる敵を撃退した。
しかし明治2年5月11日、新政府軍の総攻撃により孤立した友軍を援護するために出撃したが、一本木関門で銃撃を受け35年の生涯を閉じた。
展示されている開陽の模型。
10月20日に蝦夷地鷲ノ木沖に到着した開陽丸は、しばらく鷲ノ木沖に停泊。
10月25日に旧幕府軍が箱館および五稜郭を占領すると、箱館港に入港して祝砲を撃った。
旧幕府軍は松前城を奪取した後、江差へ進軍を開始。
その援護のために開陽丸も11月11日に箱館を出港して江差沖へ向かった。
11月14日に江差沖に到着、陸地に艦砲射撃を加えるも反撃がないので、斥候を出すと、松前兵はすでに撤退していた。
榎本は最低限の乗組員を開陽丸に残して上陸し、江差を無血占領した。
ところが翌15日夜、天候が急変する。
開陽丸は、タバ風と呼ばれる土地特有の風浪に押されて座礁。
江差沖の海底は岩盤が固く、錨が引っ掛かりにくいことも災いした。
回天丸と神速丸が救助に向かったが、その神速丸も座礁・沈没する二次遭難に見舞われ、開陽丸は岩礁に挟まれていよいよ身動きが取れなくなる。
留守を預かっていた機関長の中島三郎助は、艦内の大砲を一斉に陸に向けて撃ち、その反動で船を離礁させようと試みたがこれも失敗に終わり、乗組員は全員脱出して江差に上陸。
数日後、榎本や土方が見守る中、開陽丸は完全に沈没し、海に姿を消した。
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五稜郭へのアクセス、行き方歩き方
北海道函館市五稜郭町・本通1
函館市電2系統・5系統五稜郭公園前駅 – 徒歩15分