見ているとひっきりなしに近所のおばちゃんが参拝に見える。
飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。
寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。
薬師堂の建立後、周りに人が住み始め、町を形成していった。
これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が転化して「ひらの」になったと言われている。
本堂には樋尻口地蔵堂の地蔵首も祭られている。
大阪夏の陣で、真田信繁(幸村)が地蔵堂に地雷を仕掛け、徳川家康の爆殺を図ったが、地雷が爆発した時、家康はたまたま催して席を外していた為、辛くも難を逃れたという伝説がある(平野の地雷火)。
この地雷により、地蔵の首が約300メートル離れた同寺に飛んだとされる。
地蔵首の開帳は8月23日と24日。
中世には藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商らが環濠を築き上げ、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。
大坂冬の陣では徳川秀忠の軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられている。
全興寺では推奨されている参拝順路があります。
まず本堂へお参りし、その後にこちらの地獄堂へ行くのです。
ガラスの涅槃仏
涅槃仏とは、お釈迦さまが横たわりお亡くなりになられたときのお姿。
こちらでは総ガラスの涅槃仏が見られるとのことで、貴重な体験になります。
一願不動尊の雲海では、中央に立っておられるお不動さまの池に鯉が泳ぎ、時折白い水蒸気の雲海がたなびきます。
ほとけのくに
境内の地下には「ほとけのくに」という多数の石仏に囲まれた空間がある。
四国八十八箇所霊場から採取した砂を納めた手すりがある階段を下りた所にあり、床には密教の曼荼羅がデザインされたステンドグラスがあり、そこに座って瞑想をすることが出来る。
中では水琴窟の音が聞こえ、周囲には真言宗の開祖である弘法大師像や四国八十八箇所の札所の本尊など約160体の石仏が置かれている。
参拝者は曼荼羅の上で瞑想したり、石仏を熱心に拝んだり、おのおのの形で祈りを捧げている。
地獄堂
堂の中は薄暗く、閻魔大王や2メートル以上ある鬼の像が置かれており、閻魔大王の前にあるドラを叩くと、大王がしゃべり出し、地獄の様子がビデオで映し出される仕組みとなっている。
その恐ろしさに途中で泣いて逃げ出す子も多いが、最後は閻魔大王が「こんな所に行かぬよう、悪いことをせず、自分の命を大切に」と諭すという。
道標
右 さ山 高野山 すぐ信貴山道
「小さな駄菓子屋さん博物館」と「のぞいてごらん おばあちゃんのお部屋」では、昭和20年~40年代に駄菓子やさんに並んでいたおもちゃや、その駄菓子屋さんのおばあちゃんの部屋をみることが出来る。
旧石器時代から現代まで、人々が営んできた歴史がいっぱい詰まった町、平野の一部をこの後散策します。
かなり失われたものも数多くありますが多くの歴史のつまったこの地区を今後も改めて機会を見つけて巡りたいと思う。
アクセス
JR平野駅より歩いて13分・地下鉄平野駅より歩いて13分
電話番号 06-6791-2680
開門時間 朝7時ごろから夕方5時すぎまで
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