梅雨期の醒ヶ井宿

滋賀県
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醒井宿は、近江国坂田郡にあった中山道(中山道六十九次)61番目の宿場であり、現在は滋賀県米原市醒井に位置する。

醒井宿は、柏原宿より1里半(1里18町、5.9km)、番場宿まで1里(3.9km)の距離にある。

番場忠太郎 – 劇作家・長谷川伸の「瞼の母」の登場人物で当地の出身の設定なので実在の人物ではないが、この作品のおかげで当地は知名度を得た。

西行水

山麓の岩間より湧出する清水で、仁安2年(1167年)に西行が旅の途中に立ち寄ったといわれる。

伝承によれば、西行が傍らで飲み残した茶を、心を寄せた茶屋の娘が飲んだところ懐妊して男子を出産した。

後に西行が「もし我が子なら元の泡に帰れ」というと、たちまち泡に戻ったといわれる。

「泡子塚(泡児塚[49])」と称される仁安3年(1168年)に建立された石塔がある。

また、平安時代中期の僧仲算が、延喜年間(901-923年)に岩端を短剣で切り、湧出させたという伝承があり、「仲算結縁水」とも称される。

これにちなんだ川柳「醒ヶ井の水仲算の徳に湧き」が知られる。

十王水の呼称は、かつて付近に十王堂があったことによる。

醒井大橋に近い家屋裏手の山麓より湧出し、往来沿いの川中に「十王」を示した灯籠がある。

平安時代の天台宗の僧浄蔵により開かれたとして「浄蔵水」、「浄蔵結縁水」(じょうぞうけちえんすい)とも称された。

旧中山道わきの了徳寺には、天然近年物の御葉津附銀杏(オハツキイチョウ)があります。

毎年8月から11月に、葉の表面に銀杏(ぎんなん)が実ります。

ふつうギンナンは葉とは別に実りますが、葉の表面に実るのは、めずらしいですね。

醒ヶ井は7年ぶりの訪問です。

前回の訪問記醒ヶ井地蔵川のバイカモ(梅花藻)
中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません … 続きを読む →

また、湯村温泉に田君川という梅花藻の咲く川がある。
川面覆う可憐な花咲く 田君川
夢千代日記で有名な湯村温泉に田君川はある、鳥取砂丘まであと30分くらいかな、かな … 続きを読む →

しかし、どうも近年不作のようだ。

写真家のブログに記載があった。

台風などで流されては復活し続けたものの昨年に続き、今年もまばらにしか咲いていないらしい。
原因が人の手ではないだけ歯がゆい。

中山道61番目の宿場町。

醒井の地名の由来ともなった「居醒の清水」を源流とした地蔵川の流れに沿って、今も風情ある町なみが続いています。

醒井宿には全国でも珍しく、宿場をきりもりした施設「問屋場」が昔のままの姿で残っており、往時のにぎわいを伝えています。

中山道醒井宿は湖北八景に選ばれています。

水温年間約14度前後の川の水底に群生し、水流中に沈生し、流れに沿って這うように育つキンポウゲ科の多年生草木植物で、長さは約50センチほどになります。

初夏から晩夏にかけて梅の花に似た小さな白い花を咲かせ、7月下旬~8月下旬にかけて見頃を迎えます。

「居醒の清水(いさめのしみず)」は、2008年6月「平成の名水百選」(環境省)にも選ばれています。

なお、梅花藻は6~9月にかけて開花しますが、梅雨時は水量が多く花か沈水するので、8月~9月中旬が見頃となります。

梅雨期にはそういうことで梅花藻は見られず、水槽で栽培されているものが展示されている。


醒井宿問屋場(旧川口家住宅)

醒井宿にあった7軒の問屋の1つとして残存する川口家住宅の一部であり、米原市醒井宿資料館の1つに使用される。

享和4年(1804年)の醒井宿絵図に記される。

江戸時代前期(17世紀中期-後期[134])築、木造平屋建。2000年(平成12年)より修復された。

『古事記』『日本書紀』に、ヤマトタケルノミコトが東国征伐の帰りに、伊吹山の神が白い猪の姿であらわれた。

その猪が氷雨(雹)を吐くと、ヤマトタケルは前後不覚におちいった。

やっとの思いで山をおり、「玉倉部(たまくらべ)の清水」に到って休憩すると、気分が回復してきた。

よって、その清水を「居醒の清水」と名付けたといいます。

ヤマトタケルの西征 建部大社
瀬田の唐橋の東約500m。 この社は、近江一の宮といわれ、長い歴史と由緒を持つ全 … 続きを読む →

雲上の楽園「伊吹山」
滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山地主峰の標高1,377mの山。 滋賀県最高峰の山 … 続きを読む →

日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中、伊吹山に荒神がいることを聞き、その荒神を征伐するために伊吹山に登られました。

山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため、尊は弓矢で威嚇してさらに進まれました。

腰掛石・鞍懸石・蟹石 – 居醒の清水の湧き出る場所に、日本武尊が腰を掛けた「腰掛石」や同じく馬の鞍を掛けたという「鞍懸石」のほか「蟹石」などがある。

『近江名所図会』(『木曽路名所図会』)において、カニの形に似るとされる蟹石には、雄略天皇の勅使が美濃国の霊泉より持ち帰った巨蟹に、途中で水を飲まそうと居醒の清水に放った途端、石になってしまったという伝承がある。

高台の上に加茂神社。

京都の上賀茂神社と同じく賀茂別雷神(かもわけいかづちのみこと)を祀ります。

醒井の町と向こうの山々が一望できます。

居醒の清水そばに鮫島中将の歌碑。

明治28年(1895)北白川能久親王が台湾に出征した時、熱病に冒され、水がほしいと所望した。

その時、そばにつきそっていた鮫島中将は、醒井の水の冷たさを思い出し、

あらばいま 捧げまほしく 醒井の うまし真清水 ひとしずくだに

と詠むと、親王は微笑まれたということです。

北白川能久親王はこの台湾出征中に亡くなります。

東京の北の丸公園に馬にまたがる像が立っています。

醒井地蔵堂

慶長年間(1596-1615年)に大垣藩主石川家成(日向守)が病気の治癒に感謝して地蔵堂を建立した。

享和2年(1802年)の『壬戌紀行』には、腰掛石のそばに「地蔵堂たてり。

額に濃州大垣石川日向守建立也と書り」とある。

地蔵堂は何度かの再建を経た後、1889年(明治22年)に現在の宝形造の仏堂が建立され、1990年(平成2年)には大改修がなされた。

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