東洋のマチュピチュ 別子銅山 東平ゾーン

四国
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標高750mの山中にある東平(とうなる)は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。

松山自動車道を走っています、煙突の煙がまっすぐ上がっています、時折小雨のぱらつく天候。

『東洋のマチュピチュ「東平」定期観光バス』。
端出場ゾーンから地元のボランティアガイド付きでマイクロバスを運行しています。

東平に来るまでの道はとても狭くて大変です。

県道から分かれた狭い道を5キロも抜けてようやくこの風景に到着。
この道は、冬季(11月末~2月末)通行止めになります。

そんな場所に、最盛期には山の斜面に作業場や社宅がぎっしりと並んでいたとは、厳しい生活です。

東平ゾーン到着、霧に包まれているが紅葉はきれい、さすが標高750m。

旧保安本部、現在、東平記念館のマイン工房として利用されている赤レンガ造りの建屋は、明治期は配電所、大正期は林業課事務所、その後は保安本部として活用されていました。

霧が晴れるのを待たねばなりません、それまで資料館の見学。

大正 – 昭和にかけて賑わった地区の生活のようすを模型や映像を使い紹介したり、銅にまつわる品々を展示する「東平歴史資料館」、かつての施設を活用して銅板レリーフなどを体験できる「マイン工房」。

画像は娯楽場、5月の山神祭時には上方歌舞伎が行われており、戦後は映画上映、楽団演奏会が開催されていた。

東平の住宅はほとんど社宅でした。
これは明治30年代末頃に建築した呉木の社宅で、第三通洞が開通した後の東平地区では最も古いもののひとつ。

冬の雪に備え屋根はトタンでした。

ジオラマ、真ん中の少し上あたりに東平の表示が見える。

東平の電車乗り場から第三通洞へ向けて2つのトンネルがあります。
東平集落にある短いトンネルを小マンプと呼んでいました。

マンプとは坑道を意味する間符から転じたものとされています。
現在、小マンプの中は、東平にゆかりのある鉱山運搬機器展示場となっています。

小マンプを出たところは広場です、左に展望台があります。

天空のまち 東平、絶好のフォトスポットは展望台から。

ここからの眺めはまさに東洋のマチュピチュです。

旧インクライン、端出場(はでば)から索道で東平へと運ばれてきた物資は、インクライン(傾斜面を走る軌道)を通じて荷揚げされていました。

現在、インクラインはマイントピア別子東平ゾーンの園内遊歩道の一部、220段の長大階段に生まれ代わっています。

長大階段から趣のある間道へ。

東平貯鉱庫跡、東平地域を代表する産業遺産のひとつに、重厚な花崗岩造りの貯鉱庫があります。

関連施設である東平選鉱場や東平と黒石を結ぶ東黒索道が、明治38年(1905)に完成していることから、この貯鉱庫は、これらとほぼ同時期に建設されたと思われます。

この貯鉱庫は、第三通洞経由で運ばれてきた鉱石と、新太平坑(しんたいへいこう)と東平を結ぶ太東索道から運ばれてきた鉱石を、一時的に貯蔵するものでした。

東平索道停車場は、鉱山施設が集中していた東平集落の下部にあり、東平と端出場(黒石)を結ぶ主要輸送機関でした。

鉱石運搬はもちろん、日用生活品や郵便物、新聞もこの索道で輸送されていました。

鉱石は、隣接する貯鉱庫から搬器に移され、端出場へと運ばれていました。

施設を横から見る。

現在、赤レンガ造りの東平索道停車場の遺構があります。

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別子銅山 東平地区へのアクセス、行き方歩き方

新居浜市立川町654-3
0897-36-1300

東平ゾーンJR新居浜駅からタクシーに乗車。約40分。
施設は冬季休館あり。
2007年(平成19年)3月中旬まで、台風による崖崩れの道路復旧工事のため、地区に近づくこと自体が不可能だった。