青森港に夕日朝日を追いかけて

陸奥湾の最奥部に位置する、波浪の少ない天然の良港。
江戸時代初期に弘前藩により港が開かれ、その後江戸時代を通じて藩の商港として栄えた。

明治後期以降は1908年(明治41年)の青函連絡船の就航により本州と北海道を結ぶ港として位置付けられ、1988年(昭和63年)の青函連絡船運航終了まで鉄道輸送と船舶輸送の結節点として位置し続けた。

しかし、国鉄による青函連絡船が運航終了した今日もなお、北海道と本州を結ぶフェリーの発着地としての重要性は衰えておらず、青森港の取扱量の大部分をフェリーによる車両の移出入が占める。

また、その他の貨物では主に石油製品・LPGが扱われ、主に石油製品やLPGを輸入あるいは移入、LPGを主に移出している。

現在はクルーズ客船の寄港が多く、2011年(平成23年)は年間10回(6隻)が寄港している。

ホテルにチェックイン後あたふたと撮影に出かけた。
柳橋通りをベイブリッジの交差点にたどり着いた所で日の入りを迎えた。

右に見えるのは観光物産館「アスパム」

少し進むと対岸に青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸が見えてくる。

青森ベイブリッジ
橋長は1219mあり青森市最長の橋。
青森県では八戸大橋 (1323.7m) に次いで2番目。

橋脚やケーブルなどいたる箇所に青森の頭文字である「A」の形がかたどられている。

青森っベイブリッジの下にあり、青森港にかかる歩道橋・青森ラブリッジ。
青森ラブリッジという名称は、海を見つめながら愛を語るところからこの名前がつけられたとの説もある!?

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
1964年から1988年まで、日本国有鉄道及び北海道旅客鉄道の青函航路に就役していた八甲田丸の船体をほぼ往時のまま利用して展示したもの(博物館船)。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸は、1988年に廃止された青函連絡船の岸壁に繋留されており、往時の外観をほぼ残している。
また、駅構内から連絡船につづく車両搬入口・引込線も残されている。

青森県観光物産館アスパム
「青森」の頭文字である「A」をかたどった三角形の外観が特徴。
展望室やレストラン、多目的室を併設する他、津軽三味線の演奏などさまざまなイベントが開催される。

青森ベイブリッジとともに、青森市のランドマークとなっている。

また、電波塔や橋を除いて青森県で最も高い建物である。このため、市内郊外からも見ることができる。

さて、一夜明けて早朝日の出を見たいと青森港の岸壁まで来てみたが、あいにくの曇り空で日の出は見えず。

右側の三角形の建物は展望台。

この突堤の向こうが北海道。

アスパム、展望台、八甲田丸。

青い海公園野外ステージ

青森港に隣接しアスパムを間近に眺める公園が、青い海公園。
青い海公園の夜は、ライトアップされた青森ベイブリッジなどを眺めることができ、ナイトスポットの名所としても知られている。

JR奥羽本線・青森駅から東に1km。
青森駅の東側に青森港に面して“青い海公園”が広がる。

海に長くつきだしている新中央埠頭の根元(青い海公園の東端)に「明治天皇御渡海記念碑」と書かれた,青銅の獅子頭が飾られたやや古風な印象の ずんぐりと大きな石塔があり,その近くに「海の記念日発祥の地」という石碑が建っている。

1876(明治9)年,明治天皇は1ヶ月半にわたる東北・北海道巡幸に出た。随行者は岩倉具視・大久保利通・大隈重信・木戸孝允などそうそうたる顔ぶれで,総人数200名超という大イベントだった。

東京を出発して北関東と東北各県を回り,青森港から灯台巡視船「明治丸」に乗船し,函館を視察した後 7月20日に横浜港に戻った。

このことを記念して 1930(昭和5)年に「明治天皇御巡幸及御渡海記念碑」が青森港に建立され,,その周辺は公園となり“聖徳公園”と呼ばれた。

さらに1941(昭和16)年になると,天皇が横浜に帰着した7月20日が「海の記念日」に制定された。

1990(平成2)年,「御渡海記念碑」の近くに「海の記念日発祥の地」の石碑が建てられ,明治丸の碇のレプリカが飾られた。

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