東寺小子房は天皇のための貴賓館

京都府
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現在東寺では宝物館、小子房の特別拝観が行われている。

五重塔は東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔。
高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。

天長3年(826年)空海により、創建着手、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。

雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたもの。

前日までの春はどこへ行ったの、時折小雪の舞う寒い一日となった。

金堂、東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。

当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。

現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。

講堂、金堂の背後(北)に建つ。

東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)にはまだ建立されておらず、天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。

当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。

東寺食堂前の香炉。

小子房 本坊。
東寺境内にあり。鎌倉時代、後宇多天皇が真言密教の修行道場として建てた庵。
建武年間(1334~1338)には北朝の光厳上皇がここで政務を執り行った。

現在の建物は昭和9年の再建。
水墨画の襖絵は堂本印象による。
常時非公開。

寺紋は八雲。
内部は6個の部屋(鷲の間、雛鶏の間、勅使の間、牡丹の間、瓜の間、枇杷の間)からなる。

庭園は七代目小川治兵衛によるもので、「澄心苑」(ちょうしんえん)というらしい。

奥のある門は国宝蓮華門。  
弘法大師空海が、高野山に去る時にこの門から出立した時に、足元に蓮華(はす)の花が咲いたので、蓮華門と名づけられた、いわれがある。

枯山水の庭園と勅使門。

『東寺亀』と呼ばれるこの亀、頭を手で撫でて、その手で自分の頭を撫でると良いとか、自分の患っているところ触りながら右回りに歩くとご利益があるそうだがそのいわれは不明。

光厳天皇について

嘉暦元年(1326年)7月24日、大覚寺統の後醍醐天皇の皇太子になる。
当時、鎌倉幕府の裁定によって、持明院統と大覚寺統は10年ごとに天皇を交代させる決まりになっていたが、大覚寺統の後二条天皇が在位7年での急死後に例外的に後二条(大覚寺統)→花園(持明院統)→後醍醐(大覚寺統)→邦良親王(大覚寺統・後二条嫡男)→量仁親王(持明院統)という例外的な皇位継承順位が定められていた。

ところがこの年の3月に邦良親王が病死したため、急遽量仁親王の繰り上げ立太子が実現した。

だが、当時皇位にあった後醍醐天皇は幕府の裁定そのものの無効を主張して譲位には応じなかった。

元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の倒幕のもくろみが発覚し(元弘の乱)、8月に天皇が笠置山へ脱出すると、9月20日に量仁親王が即位し(光厳天皇)、後伏見上皇が院政を行った。

皇太子には邦良親王の嫡男康仁親王が立てられて、両統迭立原則は維持されることとなった。

10月6日後醍醐天皇は廃され、翌年隠岐に流される。
なお、この時に光厳天皇が利用した里内裏が現在の京都御所になっていく。

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東寺へのアクセス、行き方歩き方

近鉄電車 東寺駅下車 徒歩約10分/市バス 東寺東門前下車すぐ/JR京都駅下車 徒歩約15分