清盛ゆかりの兵庫厳島神社

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わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。
清盛が描いた夢の跡をたどってみた。
今回は清盛ゆかりの厳島神社。

奈良時代に行基上人によって開港されていた大輪田泊は、平清盛公によって日宋貿易の拠点となるべく大改修が行われ、1174(承安4)年には経ヶ島と呼ばれる37ヘクタールほどの広さの人工島が難工事の末に完成するなど国際貿易港として整備が進められました。

1180(治承4)年、平清盛公は宿願だった大規模港湾整備事業の完成を祝う意味と大輪田泊の繁栄を祈願するため、平家一門が守護神として厚く崇敬している安芸国・宮島の厳島神社より市杵嶋姫命を勧請しました。

厳島神社の由緒です
治承4年(1180年)福原遷都の際に平清盛が安芸の厳島神社を
この地に勧請したものであるという旨書かれています。

境内の北東に立つ若永稲荷・白萩稲荷。

社殿右手には針塚がありますが、全国の淡島社の総本社である和歌山市加太の淡島神社が針供養で有名な神社であるため、それにちなんで建てられているのではないでしょうか。
兵庫厳島神社では、毎年2月8日に盛大に針供養神事が行われています。

境内の南に立つ大きな石灯籠

伝龍燈の松
かつて本殿の裏に、樹齢1.000年にも及ぶ老松があり、清盛公が厳島明神をおまつりする所を探していたとき、この松の梢に燈火がかかるという奇端があったので、当地を社地に定めたと伝えられています。

のち文政7年(1824)5月5日、沖から燈火が飛来し、この松にかかり煌々と輝いたので「龍燈の松」と称するようになりました。
太さ約1.5m、高さ約3m程の枯幹が残っていましたが、戦災により焼失しました。

「退筆塚」と彫られた石碑
退筆塚とは使い古した筆を埋め、その供養のために築いた塚のこと。

社殿に向かって左手に立つ淡島神社には少彦名命・大己貴命・息長足姫命(=神功皇后)が祀られています。

少彦名命は医療に優れた神さまであったため、「病気平癒の神」として崇敬を集めています。
特に婦人の守り神といわれ、女性の崇敬が篤い神社です。

境内の南に立つ放生池と石碑
手水鉢は裏側に ”’増福寺”’ 。前面に、嘉永元年霜月(1848年11月)、放生池の碑には、 ”’増福寺”’ 、天保10年9月(1840年)と各々刻まれております。

これは、明治の初期まで、増福寺の支配下にあったためですが、現在増福寺は無いそうです。

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兵庫厳島神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:神戸市兵庫区永沢町4-4-21

神戸高速鉄道「新開地駅」下車、南西へ徒歩5分
JR神戸駅より 西へ また、兵庫駅より東へ 各々徒歩10分