この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2013年4月5日訪問時のものです。
川端冷泉通りを疏水沿いに行く道は、桜の穴場として親しまれています。
川端通りを北へ向かう疎水沿いの道。
柳とのコラボがなんともいい。
蹴上発電所から南禅寺、岡崎を通り鴨川に放流される。
川端通りから小さく見えているのが「夷川発電所」。
ソメイヨシノは満開に近い。
今日はダムに咲く逞しい桜です。
鴨川の川端通りから疏水に沿って冷泉通りを東に歩きます。
和歌で有名な公家の冷泉家は、この通り沿いに当初存在した。
このあたり、地名は聖護院。
通り名は「冷泉通り」です。
道路標識は「Reisen Dori」となっています。
あれ、「れいぜい」じゃなかったっけ?
冷泉は、古くは【れいぜい】と読まれていたはずなのだが、さいきんは【れいせん】が公式の読みになっていて、道路標識でも、Reisen-Dori、と大書されている。
中京区の冷泉町も「れいせん」が公式になっており、江戸時代の書物ですでにそう書かれているらしい。
ただし、れいぜい、と呼んでいる京都人もまだ多いようである。
一方、京のお公家さんの冷泉家は今も「れいぜい」である。
激流に咲く桜。
この夷川発電所は、明治23年(1890)に琵琶湖疏水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疎水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。
そして、東大路通りに架かった徳成橋から東を見た風景は、結構、有名。
徳成橋の少し東で疎水は右に曲がって京都会館の方に行く。
この辺の京都の道は東西南北に走っていて、疎水は明治時代に道に沿って作った運河なので、疎水が曲がる時も直角に曲がっている。
現代の冷泉通がけっこう広いのは、かつてここに、路面電車が走っていたからだ。
二条橋の先を左に曲がると平安神宮の大鳥居がある。
平安神宮の大鳥居や京都市美術館、京都市動物園などがある岡崎辺りの疏水を岡崎疎水と呼ばれている。
岡崎桜回廊十石舟めぐり、琵琶湖疏水沿いのソメイヨシノやヤマザクラを、疏水を行く十石舟からたっぷり楽しめる。
南禅寺前、インクラインから平安神宮鳥居前を通り夷川(えびすがわ)ダムに至る約1.5kmの琵琶湖疏水。
岡崎公園の枝垂れ桜。
川端通りに帰ってきて、レンギョウ、柳、桜の豪華なコラボ。
丸太町橋の南の桜と柳のコラボも見事だ。