関東では珍しい、総石垣の戦国山城 金山城

日本100名城の一つ。
金山の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。
背後の斜面には石垣の一部が遺存しており、往時のようすを現在に伝える。

関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。
西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。

車はかなり上まで上がり、駐車場の脇が登頂口になっている。
1469年(文明元年) 新田一族であった岩松家純によって築城される。

以降、1528年(享禄元年)に由良成繁・国繁親子、1584年(天正12年)には北条氏と主は変わったが、上杉謙信の攻撃を退けるなど、関東七名城の一つとされる。
1590年(天正18年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際攻撃を受けて落城、こののち廃城となった。

遺構は尾根筋に沿って存在し、なだらかなスロープを登る。

関東には珍しい石の豊富な山城でこのような岩盤がいたるところで見られる。

すごい堀切です。
「西矢倉台西堀切」は通路としても使われていたようです

手前に見えるのは「土橋」と呼ばれる堀を渡る通路。
城内の曲輪と外との出入口に設けられるが、敵にとっては好都合な通り道となるので、これを迎え撃つために石垣を設けて防御した。

ここを通過すると向こう側は実城へ通じる通路「馬場下通路」。
この左手上方に「馬場」があるためこう名付けられた。

馬場下通路から斜面に深く刻まれた「竪堀」を見る。
敵が斜面に沿って動き回れないようにするための防御設備。

石垣から矢を射かけたり石などを落として敵の侵入を拒んだ。
これも中世の山城に見られる主要な築城術。

「土橋」から左を見ると大きな掘り割りとなっていて、岩を砕いて造った築城時の苦労が偲ばれる。
重機がなかった当時は鏨(たがね)でカンカン打って砕いたのだろう。

馬場下通路を進むと「建物跡」がある。
2棟発見された。
土に直接柱を立てた掘立柱建物ではなく、礎石を置いてその上に柱を立てたちゃんとした建物。

何に使われたのかは説明板には書かれていない。
礎石建物の奥には物見台に上がる石段が見えます。

城跡の周囲の状況を見るために造られた「物見台」の跡。
写真に見えるコンクリート製の構造物は、当時の物見台を復原したものではないと説明板に注釈が記されている。

物見台にある展望台から見た太田市街の展望。
駐車場から最奥の実城(新田神社)までの中間地点にあり、ちょっと休憩するにはちょうどいい。
この日は霞んでいたが、空気の澄む冬場はもっと遠くまで見通せることだろう。

物見台には三角点がある。

木柵と復元建物。
復元されているものは1棟ですが平面展示されているものが2棟。

幟を眺めながら坂を下ると「月ノ池」がある。
これは観賞用の池ではなくて貯水池である。
石垣でしっかり造ってある。

山城はその地形からわかるように水源の確保が難しい。
攻められて籠城する時は水がなければ身が持たないため、どこの山城でも水の確保が絶対必要だった。

大手虎口
「虎口」とは曲輪への出入口。
ここを通らないと城の中心部へ進むことができない。

特にこの大手虎口は重要なポイントだったので、威圧するような高い石垣を積み、通路に侵入する敵の動きを制するために通路を折れ曲がらせるなど巧妙な構造となっている。
通路には排水溝がある。

土中の水を排水しないと石垣が崩壊するためである。
当時最新の土木技術を駆使して城が造られていたのだ。

日ノ池
築城以前からあった池で、平安時代に祈祷を行った遺物が発見されている。
池の脇に2つの井戸があり、1つは今でも水が出ている。

金山城当時の石を利用して復原されていて、一部はその石の積み方がわかるように露出展示されている。
なお、この曲輪は「水ノ手曲輪」と呼ばれる。

本丸までの最後の登り。

新田神社
城跡の最奥、本丸でもある天主曲輪に建つ。
新田義貞を祀る明治8年に創建された神社。
「史蹟 金山城阯」碑が建つ。

1336年(建武3年)に佐野義綱が新田庄の新田城を攻め落としたという記録がある。
この新田城が新田義貞によって金山に建築されていたのではという説があるが、最近行われている発掘調査ではその時代の遺構や遺物は検出されていない。
ただし城郭遺構の保護との兼ね合いのために万全な調査ができていないという一面もある。

金山の大ケヤキ
本樹木は金山の山頂、金山城実城(みじょう)域にあり、推定樹齢800年ほどとも伝えられる大木で、金山のシンボル的存在。

樹勢が良好で、まとまった幹を持っているなど樹形も良く、また神社の参道という人々に大事にされてきたことが伺える場所に立つことからも、文化財として指定されるに相応しい価値を備える。

南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられている。

休憩所の前に設置されている金山城跡を立体的に表した地形模型。
縮尺は1/300で精巧に作られている。

ブルーシートがかけられています。
ここは大田口と呼ばれる地域で平成20年度から発掘調査が行われているところ。

ここが当時の大手道になっているようで、現在でも発掘調査が続いています。
結構急な斜面でも曲輪が3つもみつかるなど、金山城のその規模にもビックリです。

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金山城へのアクセス、行き方歩き方

住所:群馬県太田市金山町40-98
東武伊勢崎線 太田駅 徒歩約50分

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