私費で建設した明治天皇行在所 慶雲館

滋賀県

明治20年、明治天皇の長浜行幸に際し、当地の富豪・浅見又蔵氏が行在所として急遽建設しした。
明治天皇・昭憲皇太后夫妻が京都を発った当日朝の時点では、建設工事の後かたづけも終わっていなかったという。

夫妻は同日13時前に長浜港に到着し、同館で昼食および休憩をとったあと、13時45分発の列車で名古屋へ向かった。
慶雲館の名は、初代総理大臣の伊藤博文公の命名と伝わっている。

「明治天皇長浜行在所」の標柱の立つ慶雲館表門には折からの盆梅展用に見事な梅の盆栽が。

慶雲館玄関

深い樹林に覆われた「前庭」は、表門から砂利敷の小径が緩やかな曲線を描いて中門へと続きます。

京都で行われた孝明天皇御式年祭(20年祭)のため明治天皇が行幸した前年の1886年(明治19年)、長浜の実業家で当時は太湖汽船頭取を務めていた浅見が行幸計画を知ったさい、長浜で自社航路から鉄道へ乗り換える時間に滞留する適当な施設が無かったことから急遽、自らが所有する大通寺別殿跡地に行在所を私費で建設した。

造営は、近代の作庭家として名高い七代目小川治兵衛(植治)が行ったと言われており、明るく開放的な景観、巨石を用い変化に富んだ滝石組など、植治作品の特徴を随所に見ることができます。

大灯籠
正門をくぐるとすぐ右側に、自然石の巨大な灯籠が目に入ります。
高さ約5メートル、推定重量は20トン。慶雲館には幾多の巨石がありますが、ほとんど滋賀郡志賀町から琵琶湖上を船で運ばれたと伝えられています。

約200坪の壮大な庭園は、近代日本庭園の先覚者と呼ばれ、平安神宮の神苑(庭園)など多くの名園を手がけた京都の庭匠、七代目小川治兵衛の作。
国の名勝に指定されています。

長浜領朱印地石柱
豊臣秀吉公による朱印地区域を示すもの。
慶雲館には2本ありますが、いずれも明治期以降に移設されました。

「蓬莱にきかはや伊勢の初たより はせを」
はせを」とは芭蕉のこと。

横綱像
角聖と尊称される明治の大横綱常陸山。
名前の通り常陸国(茨城県)の出身ですが、浅見又蔵翁が谷町として贔屓にしていた。
慶雲館にはライバルの横綱梅ヶ谷とともに何度も訪れ、その写真も残っています。

期間中、頻繁に盆が入れ替えられるので、常時美しい盛りを観ることができる。

浅井町高山(現・長浜市高山町)在住の高山七蔵が、自らの所持していた梅の盆栽約40鉢を「多くの人に鑑賞してもらえれば」と長浜市に寄贈したのが、盆梅展のルーツとなっている。1952年(昭和27年)から毎年開催されている。

展示されている盆梅の中には、樹齢が、400年を越える古木もあり、長浜市が管理する約300鉢の中から、開花時期に合わせて常時約90鉢が展示されています。

長浜盆梅展は昭和27年からはじまり、平成21年で58回目を迎えます。

毎年1月10日から2ヶ月間、新春の風物詩として開催しており、歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」として親しまれています。

長浜の早春の風物詩ともなっており、梅を見ながらいたただくお抹茶(有料)もまた風流です。

玉座が設けられた2階からは、琵琶湖と伊吹山が一望でき、当時の新聞に「美麗壮観同地に冠たるものなり」とあります。

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慶雲館 へのアクセス、行き方歩き方

長浜盆梅展(公式サイト)

住所:滋賀県長浜市港町2-5
JR琵琶湖線「長浜駅」下車 徒歩 3 分