家康に煮え湯を飲ませた 真田の城 上田城

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信濃の戦国大名、真田昌幸の本拠。
昌幸は大坂の陣で活躍した雪村の父。
千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。

折からお城祭りが開催されており、真田鉄砲隊の一斉射撃で迎えられた。
上田城を築城した真田真幸率いる真田兵は城に攻め入る徳川の兵に勇敢に立ち向い敵を苦しめたそうです。

その中でも真田鉄砲隊は三段撃ちと言う撃ち方で敵の攻め入るのを防いだそうです。
弾を込めて撃つのに30秒掛かるそうで、その間に攻められてしまうので縦に3列に並び順番に撃つのだそうです。

かつての尼ヶ淵から見上げる上田城。
こちらが「西櫓」…河岸段丘の崖の上に、城が建てられていることがよく分かります。

この櫓は仙石氏が築城した当時からここにある、正真正銘の現存櫓です。
石垣もありますが、基本は土塁の城。
本丸の土塁は高さも幅も、さすがに見事です。

石垣もありますが、基本は土塁の城。
樹齢100年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園です。

土塁の上から内堀にかけて見事な紅葉が広がる。

陽を受けたモミジの葉が美しい。

堀端にあった真っ赤に紅葉したモミジ、日陰にあったためそのままでは真っ暗に映ってしまいます。
露出をモミジに合わせ、遠景を飛ばして映しこんだ画像です。

本丸を南側に置き、二の丸が本丸の北・東・西を囲み、二の丸と東の大手門の間に三の丸を置く、梯郭式といわれる縄張りとなっている。

これは千曲川に接する断崖となっていた南側が最も天然の防御力が強く、当時の情勢から東(徳川氏)からの攻撃を想定したものである。

上田城本丸東虎口櫓門の正面右手の石垣にある高さ約2.5m・横約3mの大石。
真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられ真田石と呼ばれている。

真田信之が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられる。

櫓の内部。

下の広場では祭りの参加者が思い思いにくつろいでいる。

こちらでは真田十勇士が勢ぞろい。

大阪夏の陣屏風

上田城隅櫓の鬼瓦。
仙石氏在城時代には、同氏の家紋永楽銭紋入りの鬼瓦が使われていたが、松平氏入封後は、その家紋であるこの五三の桐紋の鬼瓦に替えられたものである。

東虎口櫓門を二の丸方向から見た、奥には真田神社が見えている。

二の丸跡公園、紅葉真っ盛りで息をのむ美しさ。

上田城にある鐘楼は、古くは「時の鐘」として市民に親しまれてきましたが、戦時に軍に徴用されて消えてしまいました。
そこで復元に市民運動が立ち上がり、昭和48年に「平和の鐘」と呼称を変えて復元されている。

真田神社境内にある酒樽茶室「百余亭」。

“戦国武将ブーム”、“お城ブーム”といわれる昨今ですが、上田城は歴女たちに最も人気の高いお城のひとつで、上田城跡公園内の真田神社に飾られた絵馬に描かれているのは、そのほとんどが「戦国BASARA」の真田幸村です。

本丸跡には、明治に松平神社として建立された歴代城主を祀った神社がある。
現在では、真田神社と呼ばれている。
真田神社の奥には「真田井戸」があります。
井戸からの抜穴は、城北の太郎山麓の砦に通じていたと云われています。

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上田城へのアクセス、行き方歩き方

住所:長野県上田市二の丸
電話:0268-22-1274(上田市立博物館)

JR上田駅 徒歩約12分

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