紅葉2015 浄土宗の古刹 清凉寺

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清凉寺(せいりょうじ)は、右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。
山号を五台山(ごだいさん)と称する。

嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。

清凉寺の西隣に夕霧太夫遺跡がある。
愛宕街道の中院には花魁「夕霧太夫」の生家があったと云われている。

夕霧太夫は、京都・嶋原、大坂・新町郭にいた太夫である。

夕霧太夫の生年は不詳だが、どうやら嵯峨のこの辺りで生まれたと云い、名を照と云う。
嶋原の扇屋で太夫となり、扇屋が大坂の新町に移った為に、大坂で最初の太夫となる。

みめ麗しく、情深く、芸事、諸事全般なにをとっても素晴らしく、当代一の名妓として知られている。

夕霧太夫から末尾に「きり より」と書かれた文をもらったら、その一筆だけで心ときめくことだろう。

夕霧太夫の墓は、ここ清涼寺裏の墓所と大阪・生国魂神社の西「浄国寺」や、また徳島、和歌山にもあるという。

死後、夕霧を題材とした浄瑠璃や歌舞伎などが作られ、後世にその名を残した。

因みに、「吉原の吉野太夫」「島原の高尾太夫」そして「新町の夕霧太夫」を寛永の三名妓と呼ぶ。

夕霧太夫に因んだ当サイトの記事が下記にあります、併読いただければ理解が深まることと思います。
日本最初の花街島原に夕霧太夫を訪れる
夕霧太夫を偲んで清凉寺で夕霧祭
夕霧太夫の眠る上町台地散策
夕霧太夫の面影をもとめて新町を歩く

仁王門を背景に朝日の照らされた紅葉がきれいです。

境内茶屋・大文字屋の床机から多宝塔。

「多宝塔」 1703年江戸護国寺で造られて運ばれ建立された下層3間本瓦葺の塔です。

ススキも秋が深まっていることを示す。

ゆどうふ竹仙の前のイチョウもきれいです。

ここのゆどうふには門前にある嵯峨豆腐の名店「森嘉」の豆腐を使用している。

仁王門、多宝塔を望む。

またこの地は源氏物語のモデルとされる源融(みなもととおる)の墓があることでも有名です。
清凉寺 源氏物語ゆかりの地の記事をお勧めします。

そして、おもしろいのが秀頼の首塚があることです。

昭和55年(1980)に行われた大坂城三の丸跡の学術調査で、発掘現場から豊臣秀吉の三男の豊臣秀頼公のものと思われる頭蓋骨が出土した。

その後の調査でこの骨が人為的に丁寧に埋葬されていることや、介錯の跡、周囲からの出土品などから考察して秀頼公のものと断定されました。

秀頼が没してから368年振りの昭和58年(1983)に、秀頼公が再興につくした由縁を持つ清涼寺に首塚が造られ、ここに首が納められました。

およそ1メートル半の高さを持つ首塚は小豆島から運ばれた石で造られているそうです。首塚の脇には大坂の陣諸霊供養塔も並べて造られています。

秀頼公の墓は三十三間堂の東向かいに建ち、浅井長政の院号から名を取った養源院にあります。

清涼寺は徳川綱吉の母桂昌院の尽力によって、再興された。
豊臣を目の敵にしていた家康が、秀頼の首がこの地にあることを知ったら、彼は何と言うでしょうか。

あの世ではもはやこの世の恨みつらみは関係ないのかも。

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清凉寺へのアクセス、行き方歩き方

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
Tel:075-861-0343

嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」から徒歩15分

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