東北地方の農家は、広い平野にそれぞれの位置を占めた散村を形作り、敷地背面に防風林をもつ永い独立した生活を送った姿をとどめています。
移設元旧岩手県紫波郡矢巾町煙山
昭和39年(1964)に移築されたこの民家も、かつては一つ家(ひとつや)と呼ばれ、この家がぽつりと一軒建っていたという名残りを伝えています。
旧南部藩(なんぶはん)に属するこの地方は、かつての馬の産地として栄えました。
大きな厩(うまや)と母屋(おもや)をカギ型に接続させた「曲家(まがりや)」が多いのもそのことからです。
母屋は座敷・板張りの広間(ジョイ)・狭い2つのネマからなっています。
奥側が寝床。
厩(うまや)と母屋の接続部には、台所と広いニワ(土間)があります。
いろりは台所を切りこんで作られていますので、土足のまま火を囲んで家族がだんらんできるようになっています。
特に冬期は、母屋が煙出しがなく厩が入母屋(いりもや)になっているので、いろりの暖が厩を通って屋外に出るようになっています。
これらの事から、馬に対する家族の細やかな心遣いがみうけられます。
雪国らしくソリ、スキーが展示されている。
厩を外から見る。
ちょうずどこ(便所)、直径1m以上ある木桶が2、3個埋められていた。