司馬遼太郎の墓は、どこにあるの

京都府

京都 東山五条 司馬遼太郎の墓

今日司馬遼太郎の墓参りに行ってきた。
国民的作家だが意外と墓所は知られていないのでは・・・・・、全国の司馬ファンのため場所の説明をしておく。

司馬遼太郎のお墓は 京都大谷本廟にあります。

浄土真宗本願寺派 本願寺 大谷本廟(西大谷)
京都市東山区五条橋東6丁目514(通称:五条坂・東山五条)
075-531-4171(代)

五条坂の交差点から橋を渡り大谷本廟へ向かいます。

総門をくぐる。

五条坂の大谷本廟は親鸞の墓所で、平安古代より鳥辺野と呼ばれた葬送の地である。

更に進むと仏殿が見えてくる。

仏殿の手前を左にとり、

仏殿に沿って進む。

大谷本廟北門 此処で聞くと司馬さんのお墓までの道を丁寧に教えてくれる

左手に見えるのが大谷本廟北門 此処で聞くと司馬さんのお墓までの道を丁寧に教えてくれます(地図が用意されているとの話を読んだことがあります)

塀に沿って真直ぐ進みます。
この付近に お店が並んでいますので お花やお線香を買うことが出来ます。

本廟の塀が切れるところで 右に曲がります。

しばらく塀沿いに進み、

右「新勧学谷」と標識のあるところを塀沿いにもう一度右折。

曲がると直ぐ先に階段が見えてきます、正面に廟正面で見えた国道1号線が再び見えてきます、ずっと階段を下りて行きます。

手摺りが切れて踊り場が見えてきます。

此処で左に折れます、これ以上階段を下りないでください。

左に曲がるとこんな景色が広がります、右奥の萱の木まで直進です。
目印になる仏塔、その向こう側を目指します、新勧学谷の区域です。

この墓地を 新勧学谷と呼ぶそうです。

ドーム型をした石塔の20mほど先、大きな木の先を右に曲がる。

右に曲がって右側に並ぶお墓の一番奥の角が司馬さんのお墓です。

こちらが 司馬さんのお墓ですゆっくりお参りください。

墓には、正面に「南無阿弥陀仏」、左側面には「司馬遼太郎(福田定一)」、右側面には戒名である「遼望院釋 浄定」と刻まれている。
命日は平成八年二月十二日。

死から2年後に墓ができた。

司馬遼太郎の墓を西大谷廟に設えたのは、新聞記者時代の縁ということもあるだろうが、それ以 上に、なるべく坂本龍馬の眠る場所に近いところにしてあげたいという遺族の配慮ではないかと想像する。

距離にして約700メートル。
遠くから京都に来て坂本龍馬の墓の前で手を合わせた者は、その足 で鳥辺野墓地まで歩くことができる。

1996年(平成8年)2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去。

1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に吐血して倒れ、国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院。

2日後の2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した。
72歳没。

同日は「菜の花忌」と呼ばれている。

死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。

絶筆「濃尾参州記」は未完となった。
親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬遼太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。
絶筆となった「街道をゆく 43 濃尾参州記」はこちらでお求めになれます。

坂本龍馬の墓の記事は下記当ブログの記事にあります。
坂本龍馬 葬送の道を訪ねる
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大谷本廟へのアクセス、行き方歩き方

京阪電気鉄道京阪本線清水五条駅から徒歩10分
京都市営バス(80・急行100・202・206・207系統)、京阪バス(82・82C・83・83A・83C・84・84C・85・85A・86・86A・86B・87・87A・87B・88・88B・88C系統)「五条坂」バス停下車すぐ