人を幸せにする写真 幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと

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幸せになれるかもしれないと思ったあのひのこと

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人を幸せにする写真 幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと

人間の幸せとは?本当に大切なものとは

人間の幸せとは? 本当に大切なものとは?
ハービーさんの写真から、その答えが見つけられた気がする。

── 宇賀なつみさん推薦

自分のスタイルを見極め、自信と誇りを持って撮り続けていくことの大切さを綴るフォトエッセイ。

写真家になろうとする若きハービー・山口へ、何を撮るべきかを示すミューズになった女性との
五〇年ぶりの再会。

「人生で大切なことは何でしょうか?」本番が迫っている楽屋での問いにある歌姫が出した答え。

写真嫌いのハリウッド俳優とのギャップを埋めるためにとったハービー・山口のある行動──
プロであれアマチュアであれ、自分のスタイルを見極め、自信と誇りを持って撮り続けていくことの大切さを綴るフォトエッセイ。

末には、どうやったら人を惹きつける写真が撮れるのかに悩む人々へ送る、実際に使ったカメラのスペックやレンズ、撮影時のエピソードやシャッターチャンスまで……良い写真を撮るため、ひいては人生を豊かにするためのヒントが満載。

ハービー・山口の作品


「Diana Spencer」Nikon F 35mm f2(ロンドン、アールスコー ト 1980)
まだ19歳だったダイアナ・スペンサーさん。私の友人がダイアナさんと同じマンションに住んでいた。
ある日、この友人から電話をもらい、「ここ数日パパラッチが来ているから、あなたも撮っておいたら、将来有名になる方かも知れないわよ!と言われた。
もし来るなら、横丁の細い道に駐車しているオースチンメトロという小型の赤い車が彼女の車だから、その車の所で彼女を待っていたら確実、とのアドバイスを受けた。


「Early Autumn」Leica M6 Summicron 35mm(ロンドン、 タルスヒル 1986)
一人ポツンと座っていた女性に遠くから一声かけたら、ニコッと笑って撮影に同意してくれた。
何かあったのだろうか、少し寂しそうだった。
壁の落書きは「YOUR」が正しいが「YOR」になっているのが興味を引く。
屋根の質感が見事に感じられ、フィルムの良さが改めて分かる。

ハービーさんのこと

1950年、東京都出身。中学2年生で写真部に入る。
大学卒業後の1973年にロンドンに渡り10年間を過ごす。
一時期、劇団に所属し役者をする一方、折からのパンクロックやニューウエーブのムーブメントに遭遇し、デビュー前のボーイ・ジョージとルームシェアをするなど、ロンドンの最もエキサイティングだった時代を体験する。
そうした中で撮影された、生きたロンドンの写真が高く評価された。
帰国後も福山雅治など、国内アーティストとのコラボレーションをしながら、常に市井の人々にカメラを向け続けている。
多くの作品をモノクロームの、スナップ・ポートレイトというスタイルで残している。
その優しく清楚な作風を好むファンは多く、「人間の希望を撮りたい」「人が人を好きになる様な写真を撮りたい」というテーマは、中学時代から現在に至るまでぶれることなく現在も進行中である。写真発表の傍ら、エッセイ執筆、ラジオ、テレビのパーソナリティー、さらには布袋寅泰のプロジェクト「ギタリズム」では作詞家として参加している。

もう一つ、ハービーさんが二十歳の頃に撮ったという中学生の女の子の写真について話をしてくれた。

「13、14歳くらいでバレーボールをしている彼女を見かけ撮らせてもらった。ボールが僕に当たりそうになったとき『あっ、当たったら痛いから避けて!』って訴えかけるような優しい目を必死でしていたので僕は『えっ?』ってボールを間一髪で避けることができた。
でもその代わりに撮ることができなかったあの訴えかけるような優しい表情が忘れられなくて。
『あの表情が撮れていたら見る人たちの心が優しくなるような写真が撮れたはずだ』っていまでも思っています。
そこから50年経ったんだけど、いまでも写真やっている理由の1つは撮り逃した優しいあの目を世界のどこかで見つけて撮りたいからだっていうのがあるんです」

まとめ

「ハービーさんのこと」に書いたが、人との偶然の出会いが人生を大きく変えることだってあるんだということ。
ハービーさんが二十歳の頃に撮ったという中学生の女の子の写真について話をしてくれた。
50年経ったんだけど、いまでも写真やっている理由の1つは撮り逃した優しいあの目を世界のどこかで見つけて撮りたいからだっていうのがあると語っている彼の原点はそのあたりにあるのかな。

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